痛いときにはどうしてああも我慢ができないのか、と父ちゃん情けなくって涙が出てくることがある。それで痛みが治るはずがないのに「いたたたたた」「いたいいたいいたい」「いたいよいたいよいたいってばこら」「もういやー、いたいのー、たすけてー」などと口走ってしまうのは、後から考えるとみっともなくてしょうがないのだが、その痛みの下にある時には、もういかんともどうしようもないのである。三十年生きてきた効能もあったもんではないのである。
なぜこのような痛みを味わわねばならないのか、そもそも今痛いのはなぜか、ということをよくよく考えてみると、実情はよく知らないのだが、いずれこんなようなことであろうと思う。
(1) 患部で痛覚神経が、なにかよろしくないもの(ゴルフクラブとか)にドツかれて、悲鳴をあげる。
(2) えらいことでっせ、痛覚神経がボコボコにされてまっせ、という情報が神経の中を伝わってゆく。
(3) 脳の近くのどこかで、その信号を受けた器官が「痛み物質」みたいなものを作る。せっせと作る。
(4) 痛み物質が私の脳細胞をシバく。私の脳細胞というと要するに私であるので、私はとても痛がる。
平たく言うと、センサーが受けた情報が非常信号として脳をシバいているわけで、普通、動物はこの非常ベルを受けて、痛みのない状態、自分にとってより安全な状態に自分を移動することで、死の危険を免れているんではないかと思う。
これがよくできたシカケであるのは素直に認めるとして、しかし私は動物ではないのであって、オッケー、痛い、オッケー、と「私」が認識したら、もう非常ベルは止めてもいいはずである。たとえば上の(2)の信号が伝わるところ辺りで、パチンと感覚を遮断する機構があっていいはずではないか。痛みと言っても、そこんところでは神経細胞を伝わってゆく電気信号なんであって、かかってきた電話をがちゃんと切るように、切断できてもいい。
いつかどこかで、痛みが極限に達すると、脳内に「痛み物質」より「痛みを押さえるというかむしろ気持ちよくなる物質」が分泌されて楽になる、という話を聞いたこともあるのだが、残念ながら、私がかつて味わったような痛み程度ではとうてい足りないらしく「痛みのあまりだんだん気持ち良くなってきた」という経験はない。この話、本当だろうか。得々として書いておいてナニな事ではあるが、何だかどこかで私が勘違いしているような気もする。ランナーズハイというのとは違ったんだっけ。
痛い痛いというがどれだけ痛いのか、自分が味わっている痛みが兵隊の位で言うとどのくらいかを判断するのは、これでなかなか難しい。まずもって、人間が病気や怪我で味わうさまざまな痛みのうち、どういう痛みが一番痛いのかというと、歯痛かヒョウソ(漢字がパソコンで出ない)がもっとも痛いそうである。私が中学生くらいのとき、北杜夫のエッセイにそう書いてあったのを読んだ。「ヒョウソ」というのが当時も今も何だか分からなくて、その割には今までよくも後生大事に覚えていたものだが、辞書を引いたら「手指・足指の化膿性炎症」とのことである。疼痛が甚だしい、とも書いてある。はなはだしいらしいが、もちろんこれだけではどれだけ痛いのかわからない。
痛みの度合いを何らかの装置で、脳内の「痛み物質」の濃度を測ったりして数値化できればずいぶん便利だろうと思うのだが、それができないので、「歯痛とヒョウソが一番」などというのはいろんな痛みを味わってみた人にどっちが痛かったかを聞いてデータ化する、などということをやって出てきたものだろうと思う。しかしそれでは痛みを味わった人の記憶の新鮮さにひどく影響されるように思うし、結局のところ患者がいかに豊かに痛みを表現できるか、ということに引きずられすぎやしないだろかと心配にもなる。
私に関して言うと、以前から時々頭痛があって困る、とここにも書いたことがあるが、愛用している頭痛薬(愛称はバファりん)を使えば治るし、どうも頭の内側から来るものではなく単に肩凝りが凶悪に進化したものであるらしいので、絶対値で言うといずれ大したことのない痛みであるに違いない。と、今現在は痛くないので冷静に分析できるのだが、痛いときは我ながらあとで恥ずかしくなるくらい豊饒な語彙を駆使して痛がるわけである。他人にはとてつもない痛みを想像されているに違いないのである。
先々週のことである。たまたま弟(二人いる私の弟のうち、下の弟)がうちに遊びに来ているときだったのだが、私は夜中まで焼き肉と酒を味わったあと、未明にとてつもない腹痛に襲われて、布団の上、痛みにのたうち回った。自信をもって断言するが、あれは私が人生で経験した中で最強の痛みであり、普段の頭痛を上等兵とすれば佐官クラスの将校であったと思う。我慢してもどうにもならず、弟がちょうど乗ってきていた自家用車で、行きつけの病院まで連れていってもらったわけだが、運転席の弟、助手席の妻が心配げに見守る中、後部座席で一時間ほども「イテデテエテエエイエデデ、グワフフギャフフウグロフファ」などとウワゴトをわめき散らすことになった。
結論から言うと、私の腹痛は、数日間入院までして検査を行ったところ、何か一過性のものであったらしく、それ以来特にそのような腹痛も経験せずに気楽な入院生活を送って四日で退院したのだが、弟にしてみれば、私は「ウフーフーフーフウッ」と痛がるし痛みが自分のことでないしで気が気ではない。「陣痛の妊婦を病院に運ぶタクシードライバー」の気持ちをたっぷり味わった、とのことである。やあ、すまんかった、弟よ。今となっては私、なんだってあんなに騒いだのか、後悔しておるよ。
そこで、しかし話は終わらない。その弟が、先週、今度はもう一人の弟(上の弟)夫妻と自動車で静岡から兵庫県まで移動することになった。ところが、道半ばで上の弟が歯痛を訴えはじめ、そのうち痛みは累進して運転していられないほどになった。結局またも、助手席の兄の妻の見守る中、後部座席で「ガガガグガガガアアガ」などと意味不明の音を並べはじめた兄を、はるばる兵庫県まで連れ帰るハメになったのである。毎週毎週痛みを訴える兄に出会うというのは、凄い話である。人員構成といい「こりゃどこかで一度見た光景だぞ」と思えてならなかったそうだが、正真正銘本当の話である。私がこんなことを言うのはナンだが、悪い霊かなにかが憑いているのではあるまいか。
ともあれ、なにしろ歯痛はヒョウソと並んで痛みの元帥なのである。上の弟の歯痛は、一週間前の私の腹痛よりも多分ひどかったに違いない。が、痛みに対しての騒ぎかた、わめき具合というと私があの時演じた以上というのはちょっと思い付かないので、相対的に私の方が「小さいことで大げさに痛みを訴えている」ということになるのかもしれない。弟よ、痛みに弱いダメな兄ですまん。これからは痛くても、なんだ、もうちょっとだけ我慢しようと思う。そうしていれば、そのうち、痛くなくなって、くれれば、いいんだがなあ。どうしてそうならないかなあ、ダメな体だなあ。