まっすぐに愛してる

 こういう話がある。この地球上で人類はさまざまな活動をしているが、それらは宇宙から見ると実にちっぽけなものである。月から地球を肉眼で見たとして、そこに見える、人類が作った建造物はたった一つだけで、それは中国の「万里の長城」である。

 これは、けっこう誰でも先生や親から聞いて知っている話である割に、よく考えればわかることだが、明らかに嘘である。万里の長城というのは、思い描いてみると、確かに長いのだが幅がさほど広くない、細い糸のような姿をしたものであって、これが月から見えるとはちょっと思えない。あれが見えるなら大陸横断鉄道や道路のたぐいはすべて見えることになってしまうし、より大きな幅を持つ建造物、ピラミッドでも関西国際空港でも、なんなら仁徳天皇陵でもいいが、そっちのほうが見えない理由がどうもわからない。そういうあれこれを考え合わせると、やはりどうかんがえても嘘である。

 誰が考えたのかわからないが、たぶん「万里の長城ほどの長さを持つ、円形のものでなければ月からは見えない(そして人間はまだそういうものを作れていない)」という話が間違って伝わったか、または、人類が最近作ったどんなものよりも「万里の長城」だけである、というのは実に歯切れがよく、迫力のある話なので、すべて分かった上でこういう嘘をついた人がいるのだと思う。こんなことを言うと語弊があるが、私の個人的な感想を言わせてもらえば、嘘とはこういうふうにつきたいものである。

 話は変わる。月とは言わないまでも、飛行機に乗って上空から人間の作った都市を眺めていたとして、ぱっと目を引くのがどういう地形かというと、これは「まっすぐな線」だと思う。たいていの街路や道路、鉄道や河川、海岸線といったものは、見事にうねうねと都合により曲線を描いていて、もつれた糸玉をほうりだしたような独特のカオスを呈しているものだが、そんな中に、ときたま、定規で引いたようなまっすぐな路線があって、それが目を引くのである。

 そもそも道というものは、丘や海岸の存在など自然が求めるところによって、またさまざまな所有権や社会的要請、時には政治家の個人的な都合に従い、ほうっておけばすぐぐにゃぐにゃになってしまう。埋め立て地の海岸線は、そうした自然や法の持つ力が特に弱いところで、であるからして使用する人間の都合に従い、まっすぐになっていることが多いわけだが、入り組んだ都市の中に、あえてまっすぐにつけてある道を見ると、これはもうなみなみならぬ努力を払ってそのようにわざわざつけた、勝利の証であり、そこが胸にぐっと来るものがあるのである。すいません、私、どうも「こんなに苦労して橋をかけたんだ」みたいな話に弱いのです。テレビで見ていてすぐ涙ぐむのです。

 さて、道はまっすぐのほうがなにかと使い勝手がいいのは確かなので、ブラジリアや札幌や、古くは平安京のように、最初から都市計画が存在してその通りに作られた場合、たいてい道路はまっすぐに作られている。反対に、東京のような、江戸城の周りに発展してそれがいつの間にか東京として首都機能を持たされ、さらにそれが一回戦争で焼けて再建された、というような土地の場合、かなり「まっすぐな道路」にとって都合の悪い環境になっているわけである。たとえば、最近開通した都営一二号線「大江戸線」など、地図を見ただけでどういう必要があってこんなふうなオタマジャクシ型に線路を通さねばならなかったのかわからないのだが、この鉄道は、地下鉄だけに、この線路とこの地下道の間を通す、というような、ほとんど三次元的な要求にしたがって線路が通されていたりするらしい。恐ろしいことである。カオスの街、東京である。

 ところが、東京の地図を眺めていると、どうやって引いたのやら、そんな直線の線路がちゃんと存在している。およそ二五キロメートルにも渡って、まっすぐに引かれた線があるのだ。

 それは、中央線である。中央線というのは、大ざっぱにいって、東京から山手線の内側を東西に走り、新宿で山手線と交差して西へ伸びているJRの路線だが、新宿から数えて二つ目の駅「東中野」から「中野」「高円寺」「阿佐ケ谷」「荻窪」「西荻窪」「吉祥寺」「三鷹」「武蔵境」「東小金井」「武蔵小金井」「国分寺」「西国分寺」「国立」「立川」まで、少なくとも三万分の一の地図で見るかぎり完全にまっすぐ線路が延びている。各駅停車なら、おおむね三十分ほどの間、電車は右にも左にも曲がらない。運転手は、ヒマであろうと思う。

 ここがまっすぐである、いかなる理由があるのかわからないが、想像するに、この路線が建設されたころ、沿線にはそれこそなんにもなかったのではないかと思う。どうも、JRの線路では、この直線は全国二位の長さであって、一位は北海道にあるらしいのだが、それを聞くとなおさら、なんだか、ここが日本一であると言われるよりももっと凄いことであるような気がしてくるから不思議である。

 ところで、それでは中央線の線路は数学的な直線になっているのか、というと、実はそんなことはない。この話は小学生あたりに尋ねてみるとなかなか面白い話題ではないかと思うが、読者諸賢には退屈であろう。要するに、地球は丸いので、中央線もその丸みにそって、ちょっと曲がっているということである。地球の丸みというのはなかなかどうして大したもので、東中野から眺めて、立川に立てたポールの先が見えるには、50メートルくらいの高さのサオ竹が必要である。もし、この区間に本当にまっすぐな線路を引きたいと思うなら、中央部分の三鷹、武蔵境駅あたりを25メートルの深さに掘らねばならない。

 地球の丸みに添わせたニセの直線ではなく、こうした「本当にまっすぐな建造物」を作らねばならないような状況が、ないかというと、実は私が知っているだけでも一つだけ存在する。「直線(または線形)加速器」である。原子核や素粒子についての研究を行う実験装置であるこの「直線加速器」は、本当にその構造が数学的な直線でなければならない。しかも、加速器とは、粒子を加速するキカイであるわけだが、その加速エネルギーが高い、詳しい研究をするためにはでっかければでっかいほどいい。予算と土地の許すかぎり、でっかいほうがいい。

 世界一の直線加速器は、アメリカのスタンフォード大学にあるもので、長さ三キロメートルほどである。長さ三キロの建造物というと、とてつもない大きさに思えてくるが、中央線東中野立川間にくらべるとさほどでもない(東中野から、高円寺くらい)。端と中央で、加速器の加速ダクトの高さの差は三十センチくらいである。土木工事をするほどの高低差でもない。正直言って、たいへんに残念である。まだまだ加速器は、人間の作ったさまざまな事どもの中でも、大したことない部類に入るらしい。


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