降下装甲服の操作槽に滑り込むように収まった俺を、一二個のやさしい緑の光が出迎えた。小隊の他の一二機が既に全員待機しているという表示だ。俺は小声で「待たせてすまん」とつぶやいてから、操作手袋に包まれた指先をのびをするように広げて、機載コンピューターにパーソナルコマンドを入力する。俺の降下装甲服は、かすかなハム音を合図にたちまち息を吹き返した。セルフ・チェックに必要なわずかな時間の後、灰色だった全周ディスプレイに格納庫の薄暗い風景が映し出される。「一番機準備完了」の表示と共に、並んだ緑の光が一つ増えた。デルタ小隊、出撃準備完了。俺のものを除く一二個の光は、いつになくリラックスして、ゆっくりまたたいていた。
高度三万五千フィート。五分前、「高高層プラットホーム」と呼ばれる滞空要塞から射出された軌道輸送機《隆盛》の中で、俺と部下たちは出撃を待っていた。《隆盛》は狭苦しい操作槽に閉じこめられた俺達のあずかり知らぬ高層の大気を切り裂きながら、恐ろしい速度で目標に向かって接近を続けている。あと数分で目標上空、デルタ小隊の兵隊達は、フライパンの目玉焼きに振り撒かれる胡椒のように空中に投げ出される。そうなれば俺達の存在を守るのは、身に付けたこのパワードスーツ、降下服の薄い装甲だけになる。それを思うといつも緊張に体が硬くなる俺なのだが、デルタ小隊の一三機の降下服の中で、そんなことを思いわずらって緊張に身を硬くしている人間は俺ただ一人だ。といっても、俺以外の全員が勇猛果敢な生まれながらの兵士だ、というわけではない。要するに、あとの一二機の操作槽に収まっているのは、親愛なる俺の犬たち、戦争用に訓練された降下犬たちなのだった。
戦争と犬とのかかわり合いは古い。その素晴らしい嗅覚、聴覚と剣呑な牙による攻撃力、そして何よりも人間に忠誠を誓って裏切らないこの愛すべき生き物は、過去百万年の間そうであったように、新世紀においても人間の忠実な友であり続けた。いや、友と言えるかどうか。人間たちはその友情をいわば利用し、彼らを道具として、なかんずく「兵器」として活用してきたのだった。やがて銃器の発展によって人犬共同の部隊は流行しなくなったものの、サイバネティクスの発展、強化装甲服の登場、そして何よりも人命の高騰による、兵士のなり手の減少にともなって、ふたたび戦争の犬たちにも活躍の機会が生まれた。訓練された十数匹の犬と人間による、K9空挺機動歩兵小隊が生まれたのだ。
犬たちの序列第一位である「マックス」を示す緑の光点がまたたき、彼の感情の変化を伝えた。どういう理由があるのかわからないが、比重の重い液体である衝撃吸収材と、鋼鉄の鎧である装甲服を通じてさえ、犬の感覚は人間のそれを遥かに凌駕する。はたしてその数秒後、通信機に中隊長からの出撃命令が届いた。デルタ小隊、降下開始。《隆盛》の出撃ハッチが開き、全周ディスプレイが空の青色で満たされる。眼下遥かに見える地表に向けて、ばらばらと振り撒かれるデコイに混じって、一見無造作に、小隊は降下を開始した。
人間がそうであるように、犬にも降下にどうしても慣れない者が確かにいる。降下犬として十分なシミュレーションの元で訓練されているにもかかわらず、出撃ハッチが開き、降下服がいざ投下されると、体をこわばらせたまま何もできなくなってしまう犬がいるのだ。降下犬候補として持ち込まれる多種多様な犬たちの中で、降下に強い資質を発見するのは並大抵の苦労ではない。しかし、いったん慣れてしまえば、大抵の犬は、人間よりも遥かに降下に強いようである。生と死が隣り合わせの敵地への降下にあたっても、知ってか知らずか、はしゃぎ回る者さえいるのだ。「ジョン」、茶色く短い毛を持った雑種犬が、石のように落下をはじめた自分にはしゃいで、緑のインジケーターを盛んに点滅させる。大型犬「ブル」はいつものように落ち着いて、圧倒的な降下の光景を受け流している。と、俺の降下服もハンガーから突き落とされ、真っ逆さまに降下を開始した。
高度五百フィートという低空を這うように進んでいた《隆盛》から地上までは一瞬のように思えるが、その間にもいろいろな事が起こる。俺達の降下服と共に射出された無数のデコイの幾つかを、必死の抵抗を行う地上の敵の対空レーザー射撃が射貫き、その高熱による金属の沸騰、爆発のような衝撃をもって破壊する。と、無線機に届いたかすかな悲鳴とともに、突然緑の光の一つが消失した。無差別に行われる、さして効果のない射線の一つが、運悪く降下服を貫いたのだ。序列第八位「ポンタ」の光点であることを素早く確認する。通信機に巻き起こる仲間の犬たちの悲しみの声に、俺は胸を詰まらせるが、この段階で俺にできることはなにもない。
と、加速警報が鳴り、犬たちは口をつぐんだ。加速度計がGの増加を示し、降下服背面の減速ロケットの点火を伝える。振動。激しい振動。そしてさらに大きい衝撃。デルタ小隊残存一二機、いや、と俺は光点をちらりと見やる。一一機だ。序列第九位「ベン」。気難しい柴犬である彼の光点が、またたいて消えた。爆発の破片を受けたか、拡散したレーザーによる異常加熱を受けたか、減速ロケットがうまく点火しなかったのだ。聞いていたよりずっと対空射撃は激しく、損害も大きかった。それでも、訓練は仲間をたちまち二匹失った痛手をも凌駕する。デルタ小隊は、抜けた二匹の犬の位置を巧妙に埋めつつ、進撃態勢を取った。
援護砲撃によって地上には土煙と水蒸気が立ちこめ、レーザー砲は効果がない。敵陣地に向けて、全力疾走をはじめた小隊を狙って右方向から実弾兵器が持ちだされるが、その射撃はまばらで、右翼を受け持つ三匹の犬たちの降下服からの反撃に、たちまち沈黙する。「マックス」を先頭に犬たちが彼らの援護のもと、塹壕に飛び込み、人間には真似できない圧倒的な反応速度で敵陣に死と破壊を振り撒きはじめると、まばらだった射撃は全く停止した。まさに戦争の犬たち。俺も二匹を護衛に、塹壕に飛び込んだ。もはや命令すべきことは何もないが、各々の犬たちの状態が刻々とディスプレイに表示される。敵装甲服の「銃剣」によって、序列第二位「コロ」の降下服が損傷を受けたが、戦闘可能。序列一一位「クロ」の降下服に異常が生じて、移動不能。俺は序列五位「ケン」に援護に当たらせた。
と。通信機が鳴る。《隆盛》司令室からだ。この圧倒的な勝利にもかかわらず、慌てた声だ。
「敵は陣地の放棄を決め、砲撃を開始した。デルタ小隊は撤退」
「何だって」
俺は大声で通信機に怒鳴り返すが、怒鳴り返した瞬間に意味が分かった。降下服のレーダーに、接近中の飛翔体がとらえられている。自ら陣地を放棄して、砲撃によってデルタ小隊ごと吹っ飛ばすつもりなのだ。焦土戦術。なんたる事。俺はほとんど反射的にこれだけを考えると、命令を発した。
「全員、その場に『伏せ』っ」
その命令とともに、生き残った犬たちはその場で衝撃をやり過ごす姿勢を取る。動けない「クロ」のことを「ケン」は面倒を見てくれたろうか、とふと考え、それも確認せぬまま、弾着に伴う衝撃がやってきた。
衝撃から電装系が立ち直ってみると、犬たちを示す光点はたった一つしか灯っていなかった。「ケン」も「ジョン」も「マックス」も、砲撃を耐え抜くことはできなかったようだ。残ったのは後方でバックアップ態勢を取っていた序列一二位「ロッキー」で、それも不安定にまたたいている。俺の降下服も、装備の九〇パーセントが作動不良を起こしており、もはや一歩も動けない。俺は通信機にささやいた。任務は達成。しかし遺憾ながらデルタ小隊は、全滅。任務終了を確認。報告者ヤシマ少尉。
「了解、ヤシマ少尉。任務終了。その場で降下服を放棄」
と、妙にクリアな通信が聞こえて、俺はため息をつくと操作槽の閉鎖を解いた。ハッチが開き、俺は窮屈な体勢から解放されて、取りあえず伸びをする。と、背後から不満げなうなり声が聞こえて、俺は慌ててもう一度操作槽に、上体だけ潜り込ませると、他の犬たちの固縛を解いた。周囲で減圧音がまちまちなタイミングで鳴り、ようやく任務から解放された犬たちが、彼らの操作槽から出てくる。俺は、近くに駆け寄ってきた「マックス」の頭を軽く撫でてやると、足で降下服と操作槽との通信リンクを切り、地上の降下服を自爆モードに入れた。一三体の降下服を遠隔操作していた《隆盛》の操作槽デッキで、再会を喜びあう一二匹の犬たちを眺めながら、俺はやっと、一息ついた。
完全オートメーションで生産される降下服に比べ、犬たちの訓練にはそれなりの人間の手がどうしても必要となってしまう。そう、今や戦争の犬たちの命こそ、降下服のもっとも高価なパーツなのだった。それにしても小隊全滅、降下服一三機喪失とは実に不名誉な結果である。《隆盛》が軌道に戻り、一息入れたらまた犬たちの訓練をやり直さねばならない。次の「実戦」のためにも。