もし、あなたが今、椅子に腰掛けてこのページを見ているのなら、ちょっと御足労というか、お手間を願いたいのだが、その場で立ち上がる運動をして欲しい。ただし、このとき一つ条件をつける。立ち上がる時に、頭の位置を動かさず、ただまっすぐ上に立ち上がるようなイメージをしつつ、立ち上がっていただきたいのである。具体的には目の前に壁があって、それに鼻をぶつけないように起立するということだ。ではどうぞ。
どうだったろうか。上の指示を忠実に守ると、立ち上がるどころか、お尻をちょっと浮かすこともできないはずである。実は、椅子から立ち上がるためには、まず上体を前に倒して、足を置いている位置よりもかなり向こうまで、頭を突きださねばならない。これには、人間が立つためには足と足の間のどこかに重心がなければならない、という理由があるわけだが、座った状態から重心をこの状態にするには、お辞儀をするように上体を倒すか、あるいは手で椅子の背をつかむなどして体を支える点を増やしてやらなければならない。ぎっくり腰になったりすると、椅子に座ったり立ったり、というただそれだけのことに普段いかに腰を使っているかということが身にしみて分かるものだが、つまりは、こういう事情である。
このことは、知らないと結構びっくりする話ではないかと思うので、これを「催眠術」として演出して、他者にむかって行うこともできる。被術者に椅子に座ってもらい、被術者の正面に立って、指で被術者の鼻を指さし「さあ、もう立てないぞ」を宣言するのである。被術者が鼻を潰さないように立ち上がることはできないのだから、うまくやれば、本当に催眠術がかかったように見える。
ただ、本当のことを言えば、椅子から立ち上がるためにはまず上体を倒さなければならないというのは、わりあい誰でも本能的に分かっていることであるらしく「この指が邪魔で立ち上がれないのだ」ということが何となくわかってしまうことが多いようである。私も、これを何かの本で読んで弟にやってみたことがあるが、突きだした指と相手の鼻との力比べになってしまってうまく行かなかった。上体を倒す力と指先の力は、比べれば前者の方がずっと上であって、そうなれば簡単に押しきられてしまう。「この線から入らないように立ち上がってみて下さい」というコンセンサスが被術者との間に十分できていないとうまくいかないということなのだろう。
これは催眠術とも言えないが、世の中にはこの他に「ほんとうの催眠術」というものがあると言われている。あるのは知っているのだが、実際に自分または自分に親しい人が催眠術をかけてもらったことがある、という人は多くはないはずである。少なくとも私にはそういう経験はなくて、だから、ああいうものをテレビなどで見ていると、どうしても「ヤラセではないか」「みんなかかったフリをしているだけではないか」と思ってしまう。
催眠術とは、被術者にいろいろな言葉をかけ、動作を行って相手を「暗示」にかけることによって、ある程度被術者を術者の思い通りに操る技術である。特定の言葉が言えなくなったり、キーワードで鼻の頭が痒くなるように仕向けたり(「今何時かな」と聞くと、つい鼻をぽりぽり掻いてしまう、というような)、そういう能力をもった技として知られている。被術者の体が鉄のように固くなり上に座ってもびくともしない、というようなものもあるが、基本的に、被術者の意に反して何らかの動作を行ってしまう(あるいは、行えなくなる)技である、というふうに考えることができるだろう。
催眠術が仮に疑問の余地なく存在する技術であるとして、しかし客観的な証明にはかなり不利な、いわゆる「反証不可能性」を備えていることは間違いない。「反証不可能性」とは、たとえば「宇宙人の乗り物としてのUFOは存在する」という主張が、いかなる証拠によっても決して反証されないように(たとえばある目撃例を合理的に説明できたとしても、その目撃例だけが否定されただけで「宇宙人の乗り物は地球に来ていない」ことは証明できない、等々)主張に対して合理的な反証実験がそもそも行えない構造のことである。疑似科学的な主張が非常にしばしば備えている性質なのだが、催眠術にもそういうところがあるのである。
たとえば「催眠術にはかかりやすい人とかかりにくい人がいます」という言辞がある。何とも怪しげであって、それは結局、施術者と口裏を合わせているサクラと何も知らない一般大衆がいます、ということに過ぎないのではないかと、どうしても思ってしまう。さらに「催眠術でも本人が絶対にやりたがらないこと、たとえばピストル自殺を図らせたりすることはできません」というのもあって、これは催眠術師を殺人の容疑者としないでください、というなんだか保身の臭いがする上に、ある術がうまくいかなかった場合の逃げ道を用意しているように思える。「疑似科学の見分け方」というべき基準に照らして、状況証拠は真っ黒であり、これだけを聞けば、とてもこの世に催眠術が実在すると信じることはできない。
ところがである。この前、ファインマンという物理学者の自伝を読んでいて、この催眠術にかかってみたときの話、というのが出てきた。ステージで術を行う催眠術師をからかうつもりで、ファインマンさん(どうもこの人は「さん」付けをして呼びたい人だ)は、はじめ術師のいいなりに、あえてなってみたのだそうである。ところが、最後に、もうたくさん、これからは言われたことと反対のことをしてやろう、と、催眠術師の「席に戻るときにはまっすぐではなく、一度会場をぐるりと回って帰って下さい」という暗示に逆らおうとしたところ「非常にいやな感じ」がした、と書いている。ついに術者の言葉に逆らえず、ぐるりと回って席に帰ってしまった、ということだが、余人ならぬファインマンさんの言うことであって、これを疑うことは私にはちょっとできない。
もちろん、この逸話全体が、ファインマンさんが読者を騙そうとして書いた嘘なのだ、という可能性もあるわけだが、「初めは調子を合わせてやろうと思っていたら、なぜか、最後まで逆らえなかった」という描写が、術にかかった状況を非常にリアルに表現しえているように思うし、ファインマンさんが「してやられた話」を好んで書くとは思えないので、催眠術というものが本当にあるのだ、という方向に、今の私の意見はかなり傾いている。
さしあたりこの疑念は、私自身だけに関して言えば、誰か私に催眠術をかけてくれる催眠術師がいれば、完全に払拭できることになる(しかし、あなたに関しては、その限りではない)。いつかそういう機会が来ないものかとひそかに楽しみにしているのだが、どうも、いざその時になったら「あなたは催眠術にかかりにくい人です」と言われてしまうような気がしてならない。どんなにがっかりすることだろうと思う。