以前「めしとったり」というシャモジのことについて書いた。これはごはん粒がくっつきにくいシャモジだが、こういったアイデア商品で、買ってから長い間使い続けられる「真の便利さ」を持っているものは、当たり前のことを書くようだが、あまり多くない。一見して便利そうだと思って買ってみても、しばらくすると「なるほどこういうわけで今までこの商品がなかったわけか」と得心する結末になることが多いようである。生活に変化をもたらすのは難しい。
それでもこの三年間ほどで、便利に使い続けているアイデア商品が少なくともあと一つある。名前は忘れたものの、自転車に傘を固定する装置がそれである。といっても、雨の日に片手運転をしないように、開いた傘を自転車にホールドするものではない(買ってないが、これはいかにも便利だが失敗に終わりそうなアイデア商品である)。そうではなく、使っていないときに傘を自転車に取り付けて携帯する器具なのだ。前輪フォークの、鍵があるあたりに取り付けたプラスッチックの輪(これを買う)に傘の先を入れ、柄の曲がったところをハンドルに引っかけるという形をとる。場所をとらないことこの上ない。このスペースを見つけた人は偉いと思う。
高校生のときは、私は自転車通学をしていたが、傘は持っていなかった。かわりに雨ガッパが、いつも自転車の前カゴに入っていて、雨になるとこれを着込むのである。傘を差して乗ると危ないからしかたがないが、このゴムの雨ガッパは実に憂鬱な雨具だった。なにしろ長距離を通学していたものだから、カッパが雨をはじいて楽しいというのはつかの間、たちまち内部が乾かない汗で侵されはじめるのである。少しの雨であればあえてカッパを着ないほうが濡れないという代物だったのだ。雨を通さず、汗だけを発散させるというのは常識的に考えても難しい注文だろうとは思うが、ここにアイデアの曙光はまだ差していなかったのでしかたがなかった。
実はその頃、雨具に関するもう一つのアイデア商品を愛用していた。これは一言で言えば「傘の鞘(さや)」と言うべきもので、雨に濡れた傘を、周りが濡れないようにしまっておくためのゴム製の筒である。雨の日に、スーパーや大きい本屋さんの店頭で配っている傘ビニールを、何度でも使えるようにしたものと思えばよい。傘の差し込み口に紐が付いていて、どこかに結びつけて使うように作られていた。
買ったときに付いてきた説明書によれば、これは自動車の運転席のヘッドレストのところに結びつけて、後部座席側にぶらさげて使うもののようである。雨の日の買い物のあと、濡れた傘を車に持ち込むのに少し躊躇することがあるから、こういうものが欲しい気持ちはわからないでもない。しかし、マニアでオタクな理系男子高校生にこれを持たせるとどういうことをするかというと、腰のベルトに結びつけてそのまま「傘の鞘」として使ってしまうのだった。
実に若気の至りとしかいいようがないが、恥ずかしさをとりあえず忘れて使い勝手だけで評価すると、この「傘の鞘」は非常に便利であった。雨の日に本屋に入る時はこうである。傘を畳む。滴を飛ばすためにいったん外にむかってぶんと振る。右手に持った傘を、左腰の鞘にすとんとおさめる。濡れた傘が何かに触れないように気をつける必要もないし、両手が空くので立ち読みもできる。学校で、教室の自分の席に落ち着いたら、紐をほどいて鞘ごと腰から外し、机の横にでも引っかけておけばよいのである。
そもそも、私の高校には置き傘をするスペースがあまりなかった。ロッカーが駅のコインロッカーのような、立方体に近い形なので、折畳みでない傘は入らないのである。最初に述べた自転車に傘を取り付ける器具も、実は、それが置き傘として機能するという点に、使ってみてわかる便利さがある。傘の鞘にしてもそうである。腰に下げて歩くという奇矯な真似をしなくとも、使わないときに傘を机の横に吊っておける、という一点だけでも、この鞘の存在意義はあったと言える。
本当に、便利なことばかりで悪いことは一つもなく、どうして傘の鞘は世の中にもっと普及しないのか、それどころか、傘が鞘抜きで売っているのはなぜか、とまで疑問に思えてくるほどだ。私がどうしてこの鞘を使わなくなったかというと、当時雑誌連載中だった高橋留美子の「らんま1/2」という漫画に「良牙」というキャラクターが出てきて、彼がこの傘の鞘を背中に背負っていたからである。彼はここに番傘を差し、武器として使うのだが、それを見てマネをしていると思われては、と急に恥ずかしくなったのだ。それ以前の問題だとみなさんは笑うだろうし今の私も思うが、えてして、高校生にとってはそういうことが引き金になるものなのである。
そういうわけで「傘の鞘世界普及計画」は賛同者を一人も得ないまま、私だけに流行し、衰亡したのであったが、便利なことは間違いないので、そのうち誰か、もう少しファッションの何たるかが分かった人が思い付き、普及させてくれないものかと私は今でも思っている。
以下余談になるが、最近自転車に乗っていて、目にゴミが入って困ることが多い。街道沿いを通勤していると、風の強い日など、ほとんど目を開けていられないほどに埃が立つので、バイク用のゴーグルを買ってきた。これで花粉も怖くない。問題はこれがマニアでオタクな理系三〇歳男子だけにしか通用しないセンスであったらどうしようという悩みなのだが、ゴーグルをつけて自転車を漕ぐ男を見てあなたならどう思われるか。このゴーグルは「ドラゴンクエスト2」のローレシアの王子がしていたものに、似ている。