1月32日の2月ちゃん このエントリーを含むはてなブックマーク

 それは、例年になく大雪が降った1月31日の夜中。受験を控え、下宿で一人暮らしをしている高校三年生男子の、そのアパートのドアをたたいたのは、まるで雪の中から生まれたような、ふわふわのコートを着込んだ一人の女の子だった。小柄な女の子は白い息をはいて、こんばんは、と挨拶をする。女の子は「2月」と名乗った。
 戸惑う主人公に女の子は話す。
「あの、私、これから仕事だったんですけど、夜中で、道に迷っちゃって、大雪でどこにもゆけなくって、すいませんこの部屋に明かりがついていたので。というか、すっかり遅刻しちゃって。あの、すいません、もしよかったらでいいんですけど、その……しばらくここにおいていただけませんか」
 意味がわからない。これから仕事って、いわゆる「夜の仕事」だろうか(それにしても遅すぎる時間だと思うが)。しかし、どうやら、何かに遅れたので遅刻するよりはもうサボってしまうつもりだということはわかった。
 待って、今から受験なんだ、困るんだ、と言おうとした主人公の鼻の頭に、風に吹き飛ばされたひとひらの雪。
「あ、そうか、そうだったな」
 この雪の中出てゆけとつっぱねることもできず、とにかく部屋に入れる主人公。
「ありがとうございます。すいません、ごめいわくをおかけします。ほんの少しの間だけですからっ」
 こうして主人公と2月ちゃんの奇妙な同居生活が始まったのだった。

 主人公と女の子は、おこたに入ってとにかくコーヒーを飲む。勉強を再開した主人公の前で、彼女は身の上話をする。彼女は2月。
「じゃあその、2月ちゃん……かな」
「はいっ」
 いやそんなことはどうでもいいし、勉強の追い込みもあるし、出ていってほしいけどなあ、と思いなおした主人公に、2月ちゃんは自分の話をはじめて、主人公は思わず聞き入ってしまう。これから仕事だったのだが、寝坊した上になんか読みかけの本とかを忘れてしまい、おまけに靴の紐がとけて三回玄関で転んだ。
「2月ってどう思います?」
「そりゃ寒くて、つらくて、雪が多くて、いつの間にか通りすぎていて、いや今年は受験だからなかなか通り過ぎないと思うけど」
 と言った主人公。あれ、と思ったら2月ちゃんはぐすぐす泣いている。
「ひどいですそんな言い方ってないと思います。確かにあんまりいいところないですけど。背も低いし忘れちゃう人も多いですけどっ」
「だって2月って実際に寒いよね。3月とか4月に比べたら、冬だよね」
「暦の上では春ですっ」
 いやそれは確かに。しかしええと。
「もしあなたが、いい点数を取ったときに『まあまるでお隣の鈴木さんところの美奈子ちゃんみたいな点数ね』とか言われたらどう思いますか?『3月上旬並の気温』というときにみんながしているのはそれです!」

 そうこうしているうちに、朝が白んでくる。
 わけのわからない論理ながら、この子が「2月」であることをうっかり何回か信じそうになった主人公は、もうどっか行ってくれなんか頭がおかしくなりそうだ、と2月ちゃんを追い出そうとする。受験があるんだ。2月末に試験があるから、勉強しないといけないんだ、と言う。ほら電車代あげるから。もうすぐ始発も出るから。
「どうしてそんなに勉強をしないといけないんですか?」
 悲しそうに戸口に立って、ブーツの紐を締めそこねて転んだり起き上がったりしながら、2月ちゃんは訊く。
「おれの場合、受験に、失敗するわけにはいかないの。あと二十日かそこらなんだぜ!?」
 なるべくそっちを見ないようにしながら、主人公は玄関に向かって言った。
「あの……」
 2月ちゃんは、そう言って手を挙げて、
「……それはないと思います。私が……あの、ここにいるので」
「はい?」
 いつの間にか夜があけていて、つけっぱなしのテレビではニュースをやっている。
「おはようございます。1月32日火曜日の、朝のニュースをお伝えいたします。まずは大雪のニュースから……」
 2月ちゃんは、ため息をついて言う。
「1月兄さま怒ってるだろうな……」
「そんな……馬鹿な……」
 主人公は呆然として、テレビの画面を見つめている。

 とにかく「出て行かなくていい」ということがわかってにこにこしておこたでみかんを食べている2月ちゃんを、主人公は質問責めにする。
「じゃあ君は本当に2月なんだね」
「最初からそう言ってるじゃないですか」
「君が行かないと、2月は来ないの?」
「はい」
「いやそんな、馬鹿な」
 また「馬鹿な」と言った。どうも語彙が少なくて困ったものだが、しかしどうも、本当にそうらしいのである。テレビでは今日がまだ1月だということを、さも当然のようにやっている。週間天気予報は32日、33日、34日……の天気だ。
「それじゃ、このままずっと……1月……」
「1月兄さまに、捕まらなければですけどね」
「じゃあ、受験は?」
 と、ついそのことを訊いてしまう主人公。
「受験は、何日だったんですか?」
「2月25日。それと26日だ」
「じゃあ、来ません。その日は来ないんです」
「そんな馬鹿な」
 また言った。携帯電話を取り、その画面に「1月32日」と出ているのを薄気味悪く眺めながら、親に電話をする主人公。
「あ、母さん? おはよう。おれ。あの、今日何日?……あ、そうだよね、でもさちょっと。あ、うん。ああ……そうだ……っけ」
 どうしても「そうだよね、だと思ったよ」が言えずに、主人公は電話を持ってそれをまじまじと見つめる。
「……それでさ、受験ってどうなったっけ。おれの受験」
「そりゃ2月じゃないのかい」
「ああ、だけど、2月っていつ?」
 ばかだおれはばかだ、と思いながら訊くと、こう答えが返ってくる。
「ばかだねおまえは。1月が終わったあとに決まってるじゃないか」
 主人公は通話を切る。

 一時間後。あちこちにメールしたり電話したり、インターネットを調べたりして、主人公はこういう結論に達する。
・今は1月だ
・受験は2月だ
・2月は1月のあとで、それはまだやってきていない
 主人公は、まだみかんの残りを食べている2月ちゃんを見る。よく見ると、これが、あの、なんだろう。可愛いな。
 結局徹夜で勉強することになったのだ(進んでないが)。さすがに疲れてるのかもしれないが、
 思い切って、主人公は訊いてみた。
「あのさ、おれこれからちょっと行きたいところがあるんだけど」
「はい?」
「遊園地。一緒に来ない?」
 2月ちゃんは、にっこり笑って、うなずく。

「一回来てみたかったんです遊園地!」
 と2月ちゃんははしゃぐ。主人公はうなずく。どうやら受験が来なくなった、とわかった瞬間に、なんか気が抜けて、遊ぶことにしたのだが、それが2月ちゃんにこんなにウケるとは思わなかった。近所の遊園地に行った主人公と2月ちゃんは、まばらな人影の中、遊園地を歩く(雪がまだ残っているうえに、今年の1月32日は平日である)。
「だって、2月ってみんなあんまり遊園地行かないんですもん!」
「……そうかもしれないね」
「やったあやったあっ」
 くるくるくる、と2月ちゃんは回る。回り終わったところでぴたっと指をさして、
「あっ、あれ、あれなんていうんですか!」
「あれはジェットコースターだよ」
「乗りたいです。のりたいっ。だって2月にはあんまり休みとかないじゃないですか。あってもみんなあんまり遊ばないし。スキーとかなら別ですけど……」
「……わかった。行こう。よし、ジェットコースターなら任せとけ」
 論理はよくわからないながら、主人公は2月ちゃんと遊園地で遊ぶ。
 ひとしきり遊んで、最後に乗った観覧車の中で、主人公は自分の胸の内を語る。よくここに連れてきてくれた父親が数年前に死んだこと。早く大学に受かって、大学を出て、自分で働かないといけないこと。母親はそのために地方で仕事をしていて、楽じゃないのに、受験のために東京に部屋まで借りてくれたこと。
「ずっと我慢していたんですね……」
「わかる?」
「ええ、私も四年に一回のうるう年をどんなに楽しみにしているか!」
 それはちょっと違う、と主人公は思った。

 一日遊んで、2月トリビアをたっぷり聞いて、出口のところで、二人は男に呼び止められる。
「探したぞ」
 場違いな着物を着たサムライみたいな男。
「な、なんだお前」
「お前とは無礼千万」
 男は、腰に差した刀の鯉口を切る。鯉口とはなにかわからないながらとにかくそれを切る。
「おぬしの後ろにいる、その女子に用があるのだ」
「なに言ってるんだ、こいつは……」
 はっ、と主人公は気づく。こんな素っ頓狂な人間がそんなにいるだろうか。
「兄さま……」
 主人公は、手のひらで額をぱちん、と叩いた。
 そう、それは1月兄さんだった。
 2月ちゃんの手を引き、逃げる主人公。あれが1月だとしてどうして1月に襲われなければならないのか、わけもわからず、とにかく逃げる二人。追いかける1月。
 しかも、
「待て。そこのおまえも刃向かうなら斬るぞ」
 と抜いた日本刀をぎらぎら光らせながら追いかけてくる。ああいうキャラクター?1月ってそうなの?と主人公は2月ちゃんに訊く。1月が腹立ちまぎれに刀をふるうと、電柱とかポストとかがまっぷたつになる。
「そうなんです。ああなんです」
 待てよ1月がああなら、2月ちゃんだって。
「あのさ、2月ちゃん、君も魔法とかないの魔法とか」
「ありませんすいません。12月姉さまとかなら……」
「あ、12月は姉さんなの?」
 12月の魔法とかそういう話かもしれないが、そんな場合ではない。特に日本刀男に追いかけられているのにこんな会話をしている場合ではないのだが、とにかくそういう会話があって、運動不足がありすっかり息も切れた主人公は、やってきたバスに飛び乗って早く出してください運転手さん、みたいなタクシーみたいなことを言う。運転手さんはなにをばかな、という顔をするが、バックミラーを見て顔色がかわる。
「このままというわけには行かぬぞ2月! 世界が、このままでは、世界があっ!」
「な、なんですあれは」
「いいからっ」
 バスが出る。怒った1月は、刀でバス停をまっぷたつにしたりする。かれがぶんと刀を振ると、今度はブロック塀がまっぷたつになった。
 そんなことをしながら、1月は遠くなって行く。

 バスは走る。乗客は、主人公と2月ちゃん以外誰もいない。
「君が1月のところに行かないと……」
「……はい、2月が来ないんです」
 主人公はぱちぱちぱち、と額を叩く。わけがわからない、が、なにかルールが飲み込めて来た気がした。
「来ないとどうなる?」
「……2月が、来ません」
 それは知ってる、と主人公はうなずく。
「あのさ」
 何か隠している気がするのだ。2月が来ない他に、彼女が隠している何かが。
「はい……なんでしょうか……」
 と、見るからにしょんぼりした2月ちゃんが答える。その姿を見ているうちに、主人公は追求する気をなくす。
 それよりも、そうだ。それよりもだ。
 明日は何をしよう。主人公は、突然かれの未来に、明るい日々への期待が広がっているのを感じる。なにしろもう受験は来ない。来ないのだ。毎日こうして遊んでいてもいい。勉強もしないでいいし、力を試される(それ次第では大学への道をあきらめることになる)こともない。
 この開放感。それはみんな、今目の前にいる、この小さな女の子が自分のところに運んで来たのだ。
 待てよ。みんなそうなんじゃないのか。やってくる日付におびえて、自分の仕事や勉強に悩んで。
 思わず、主人公は2月ちゃんに話しかける。
「あのさ、次の月なんて来ない方が、みんな幸せになれる……んじゃないかな?」
「えっ?」
 目を上げた2月ちゃんの表情が、急に明るくなった。
「ずっと1月なら、受験も来ない。こうやっていつまでも遊んでいてもいいんだ。そうだろ? それならさ」
「……」
「それならさ、2月ちゃん」
「……はい」
 2月ちゃんが、ふわふわのマフラーにあごをうずめて、上目遣いに、主人公のことをじっと見る。
「あのさ、おれのところにずっと」
 ずっといたらいいから。おれが守るから。
 ところがかれは、そこで口ごもる。力もない地位も学歴もない、高校三年生に過ぎないのだった。彼女を守る事なんて、できないのではないか。
 急に黙り込んだ黙った主人公に、2月ちゃんはふっとまた暗い表情になって、窓の外を見てしまった。
「……雪」
 窓の外を眺める主人公と2月ちゃん。バスの窓の外は、ちらちらと、また雪が舞い始めていた。


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