宇宙の小石

 先日、もちさんという方が書いておられる文章(※)で思い出したことがある。かつて、あれは年号が代わってまだ間もないころ、私は成人式に出た。どこでもそうだと思うが、故郷で行われた成人式は式のあと同窓会のような様相を呈して、中学以来五年ぶりに会った友人と歓談したのだが、ここで痛感したのは、この歳の男どもは寄ると触ると車の話をしているものだということであった。交わされている話は、どの車を買った、いくらで買った、どこで買った、ツインカムでオーバヘッドカムシャフトで4WDでサンルーフだ、というような話ばかりで、クルマへの興味など猫の耳あかほども無かった私は大いに憤慨したものである。要するに、私も若かったのだ。

 月日は光の速さで流れてはや十年、このたび私は生まれてはじめて自動車を買った。排気量一三〇〇ccの小型車だが、新車である。上のような経緯もあって自動車に対してむしろどんどん冷淡になっていった私が、しかし必要にかられてマイカーを手に入れてどうなったかというと、これがもう、自分でもおかしいのだが、もうハッピーでウッキーでトラッキーなのである。何だか分からないが、それだけ嬉しかったと思っていただきたい。一種、自分の空間を持つということでもあり、自分の能力のエクステンションでもあり、いやあ、車を持つってのは、いいもんだねダンナ。

 この車、納車のあと母に勝手に通勤に使われてなんだかセコハン気分だったとか、はじめて走った高速道路でトラックから飛んできた小石がフロントガラスに当たってヒビが入ったとか、私をアンハッピーでグロッキーでジャビットな気分にさせる体験がさっそくめじろ押しだったのだが、気を取り直して今は機嫌よく通勤に使っている。私の運転は客観的に見てかなりヘタクソなので、回転半径が小さくて運転しやすいのがありがたい。

 さて、自動車が小型のほうが良いところはもう一つ、燃費がすぐれているということがある。このあたりふだん自動車を運転しない方にはピンと来ない話だろうと思うし、それは十年前の私と同じなので心苦しいのだが、要するに、ガソリンが長持ちするのだ。街を乗り回すような使い方をしてもガソリン一リットルあたりで一四キロくらい走るようである。燃料タンクにいっぱいにガソリンを入れると約四〇リットル入るので、一回の給油で無理なく五〇〇キロメートルくらい走破できる勘定になる。私の通勤距離は一〇キロに満たない程度だから、一ヶ月に一回くらい給油すればそれでよい。

 私の子供のころ、ちょうどオイルショックがあって、現在の調子でゆけば石油はあと三〇年でなくなる、という話があった。私がまず思ったのは「父の持っているこのクルマは耐用年数が来る前に使えなくなるのではないか、それはもったいないなあ」ということであった。もちろん自動車がそんなに長持ちするはずはなく、さすがの父もそれ以来二回も車を買い替えている。この二一世紀になっても、石油が私の自動車の耐用年数以内に枯渇するということはどうやら言われていない。それとも、もしかしたらこれは自動車を買わそうとする自動車業界の陰謀で、ある日突然「残念、もう地球上にはガソリンはありませんその車は鉄クズです」ということに。って、いくら何でもそんなことはありえないか。

 さて、そうは言うものの、自家用車を乗り回している者として、省エネルギーにはあい勤めなければならない。先日も「自動車利用での省エネルギー一〇の提案」なる小冊子をもらって読んでみた。アイドリング、急発進、急加速、空ぶかしは止めたほうがいいなど、だいたいは常識の範囲内に収まる提案なのだが、空ぶかし一回につきガソリンがどれだけ無駄に消費されている、とデータが添えられているのでたいへん役に立つ。こうでなくてはいけない。

 もう一つ、これは盲点だと感心した条項がある。「車にムダなものを積み込まない」というもので、トランクに野球道具やバーベキューキット、テントや毛布や釣り道具を入れっぱなしにしてうろうろすると、ガソリンが余計に使われる、ということである。確かにこれら「自動車以外で持ち歩く状況が思い付けない」というものを狭いアパートの部屋にいちいち持って帰るのは馬鹿げている気がするから、これは注意されていないとやってしまいそうである。

 冊子によれば、無駄な荷物一〇キロを積んで千キロメートル走ると、ガソリン四〇〇cc、距離にして四一二〇メートル分の無駄が生じるそうである。燃費毎リットル一〇・三キロメートルで考えられているので、これがそのまま私の車に当てはまるわけではないのだろうが、ざっと〇・五パーセント無駄が生じていることになる。しかもこれは、倍の二〇キロ無駄な荷物を積んでいればガソリンも倍の一パーセント無駄になると考えてよいたぐいの数字であろうから、なかなかバカにはできない。

 ところがここで、そうだよな、ガソリンを満タンに入れた直後はやっぱり加速力が鈍るのが実感としてわかるもんな、と考えてふと気付いたのだが、ガソリンタンクに四〇リットル入れて走るというのは、四〇キログラムの無駄な荷物を入れて走っているということになるではないか。なるべくガソリンスタンドに寄りたくはないものだからつい「満タン」と宣言してしまうのだが、ガソリンタンクは、なにもいつも一杯にしておかねばならないものではない。今必要な航続距離以上のガソリンはデッドウェイト以外の何物でもないのだ。

 たとえば、ガソリンを四〇リットル入れて使い切るまで走るのと、二〇リットルずつ二回使い切る場合を対比させてみると、前者の最初の二五〇キロメートルについて、二〇キログラムの錘を積んで走っていることになる。つまり、この二〇リットルにつき二〇〇ccぶん(一パーセント)、ガソリンを損しているわけである。いつも満タンにするのに比べ、こまめ給油を心がければ、長い間にかなりの差ができるのではないか。

 と、ここまで書いて、気がついた。そんなみみっちいことを考えるより、私自身が一〇キロ痩せたほうがどれだけ環境によいかわからない。私の脂肪はもう、ウィスキーでジャンキーでシャオロンないいわけの効かないデッドウェイトなのであった。やせ型のドライバー諸君、太っててスマヌ。地球環境を破壊してスマヌ。


※「どるひん」の「どれにしようか」のこと。
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