電波の鍵

 別に自慢したいとかそういうわけではないのだが、続いての自家用車の話になる。ごめんください。

 私が買った車には「キーレスエントリー」という機能がついていた。車を運転しない方のために説明すると、車のキー(ないしキーホルダー)にボタンがついていて、離れたところから車のドアロックを操作できるというものだ。キーからは電波が出ているそうで、原理がもうひとつよく分からないが、何らかの形で暗号化された情報がやりとりされているらしい。隣の車のロックが間違って開いてしまう、ということはまずないそうである。

 こういう遠隔ドアロック機能は最近発明されたものではなく、かなり前からあるもので、ただ、私が買えるような安い小型車のレベルまで降りてきたのは比較的最近かもしれない。だから、私がはじめてこのシステムの話を聞いたときは「かなりの高級車にしかないたいへんぜいたくな機能」としてだったのだが、そのときの感想を思い返してみると、うらやましく感じるよりは、正直言って、そんな機能が本当に必要なのかどうかといぶかる気持ちのほうが大きかったように思う。当たり前の話で、離れたところから鍵を開けることができたところで、離れたところから自動車に乗れるわけではない。ちょっと考えると必要ない機能に思えるではないか。

 しかし、これこそ素人の弁であった。キーレスエントリーは、使ってみてはじめて便利さが分かる類の機能だったのである。十年ほどまえに父が買った車で使わせてもらったところ、これが便利なのだ。車の外からドアロックを開けたり閉めたりする作業は、それまで意識していなかったのだが、かなりの手間なのである。たとえば、車に帰ってきて解錠するためには(1)ポケットからキーを取りだし(2)カギ穴に入れ(3)正しい方向に回さなければならない。これが(1)ポケットからキーを取りだし(2)「UNLOCK」ボタンを押す、という作業になる。あまり変わっていないような気もしてきたが、カギ穴に向けて狙いを定める、という作業が以外にひと手間あって、これを省略できるというのが大きいのである。

 なんだか説得力に欠けるような気がするので、もう少し書く。目的地に着いて、車を降り、ドアロックをする際に、実にやってしまいがちなのが「キーを車の中にとじ込む」というアクシデントである。キーを抜かないまま車を出て、ロックしたままドアをバタンを閉めてしまうとこうなるわけで、これを防ぐためには車のドアは必ず外側から、キーを使ってロックする、という癖をつければいい。ところが、やってみるとわかるが、これが「ロックしたままドアをバタン」に比べて非常に面倒であり、ついサボりがちになる。キーレスエントリーのいいところは、この手間を省いてくれるということなのだ。キーレスエントリーでしかロックを操作しない、と決意しても、ほとんど手間は増えないし、そうすればとじ込む可能性はほとんど無くなる。

 さて、そんなキーレスエントリーにも不安はある。あまりにも簡単にロックが操作されてしまうので、うっかりポケットの中でスイッチを押し間違って、知らない間にロックが外れてやしないか、というものである。ロックがかかったつもりになって買い物に行ってしまうというのは私などいかにもやりそうなことであって、ちょっと恐ろしい。

 ボタンを押したのに気が付かない、ポケットの中で勝手にボタンが押されてしまう、という心配はキーのボタンをちょっとへこませて、押されにくく作っておけばいいことだが、もう一つ、自分でうっかりボタンを押してしまうことがあって、どちらかといえばこちらの方が多い。何となくキーホルダーを触っていて、あれ今おれボタンにさわっちゃったかな、ということがあるのだ。
 このとき、車の近くにいれば問題はない。ロックの状態を目視して、ロックをかけ直せばいいのだ。問題になるのは中途半端な距離があって、ロックがかかっているかどうか目では見えないが、キーレスエントリーの電波はギリギリ届くかもしれない、というような場合である。この電波の「射程距離」は十メートル程度であるということだが、相手が電波であるだけに、偶然に調子が良くて遠くから届いてしまったらと、不安になってくるのである。なにしろ、関東でも一〇〇八朝日放送フレッシュアップナイター(大阪のラジオ番組)が聞けたりする。今の電波がもしたまたま車に届いていたとしたら、どうしたらいいのだ。私の目の届かないところで中の物が盗り放題じゃないのか。

 こんなとき、貸してもらった父の車の場合は簡単だった。「押してしまったな」と思ったら、キーレスエントリーの「LOCK」のボタンを押し直せば、まず安心できたのである。「UNLOCK」の電波が車に届いていたとしたら「LOCK」の電波も届くはずである。「UNLOCK」の電波が届かないくらいの安全距離であれば「LOCK」が届かなくてもちっとも構わない。時々刻々と状況が変わって完全に安心できないのが電波というものではあるが、まあ、近似的には大丈夫である。心配なら「LOCK」ボタンを連打すれば、何とかなるような気もする。

 ところが、である。車を手に入れてはじめて知ったのだが、私の車の場合「LOCK」のボタンというものがない。どういうことかというと、私の車のキーには「LOCK/UNLCOK」兼ねたボタンが一つあるきりなのだ。車を降りて、一回押すとロックされる。もう一回押すとロックがはずれる。一回ごとにロックされたり外れたりするので、ボタンは一つしかいらないという設計である。しかし、当然ながらこれでは、上のように「LOCK」を押して安心するということができない。どうしてこんなことになってしまったのか。

 私は、気掛かりである。知らない間にボタンを押してしまったら、あと何回押せばいいのか、車を見ないと分からないのだ。一応、ボタンを押すたびに方向指示器のランプが「LOCK」の場合は一回、「UNLOCK」の場合は二回、点滅することになっていて、ドアの上の「ロック棒」が上がっているかどうかを視認する必要はないのだが、キーのほうに「いまどっちの状態なのか」がフィードバックされて来るわけではないので、車が直接見えないところで不安になったら打つ手がない。まさかコスト削減でこうなったとも思えないが、ボタンは二個、残しておいて欲しかった。

 とまあ、そういう漠とした危惧は、意外なところで決着を見た。あるとき、私がキーに触らないのに、勝手にロックが降りたところを目撃したのである。触らないのにいきなりマシンが動くというのはなかなか恐いもので、あたりにドッペルゲンガーがいるのかと思った。違う、それを言うならポルターガイストだ、と思いながらマニュアルをちゃんと読んでみると、キーレスエントリーでロックを外した後、三〇秒間ドアに触らないと自動的に再ロックされるのだそうである。この「勝手にロック」機能がどういう意図で付けられているのかはマニュアルを読んだ限りでは判然としなかったが、いずれ私のような心配性の人間を安心させるためのものに違いない。

 もちろん、私のような心配性の人間はこれくらいでは安心せず「その三〇秒の間に泥棒が入ったらどうしよう」と思ってしまうのであるが、まずはこれで私の中の何かどす黒い色をしたナニモノカを押さえつけようと思う。いやさ押さえつけねばなるまい。

 ところで、方向指示ランプの光る回数とロックかアンロックかという対応は「ドアが閉まると『じゃ』、開くと『おか・えり』と光るんだよ」という覚え方をしたのだが、ここまで書いてしまうとそろそろ、なんだよ結局自動車自慢をしたいんじゃないかと思われてしまうに違いないので、ここで筆を置くべきだろうと思う。じゃ。


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