はんかくせい

 昔「ヨントウゴラク」という言葉があった。あったのだよお兄さん。

 むかしと書いたのは他意はない、私にとってこの言葉がはるか昔の言葉だという、ただそれだけのことであって、今でもさる所では使われているのでないかと聞かれるとそんなことはわからない。妻は聞いたことがないと言っており私の辞書にもなかった。パソコンで変換すると「四島娯楽」となる。北方領土カジノ化計画かしら。

 日露関係はともかく、これは「四当五落」という字を当てる言葉だ。志望校に合格するには四時間しか寝ないで勉強せねば駄目である、五時間寝たやつは浪人するのだ、という意味である。今見てみると「不合格」が「落」なのはともかく「合格」を「当」という漢字で表してしまうのは、まるで合格がマグレで起きる事柄かのような語感なきにしもあらず、ちょっと妙なのだが、選挙で選ばれるのだって「当選」なのでやっぱりこれでいいのかもしれない。

 ヨントーゴラクという愉快な響きに反してこれがもう陰気な言葉である。なにしろ中学高校あたりに私が何時間寝ていたかというとアッパレ八時間であり、それでも毎日眠くてならなかったのでこれ以上削ろうにも鼻血も出ない。一日五時間しか寝ずに勉強した人が落ちるのであれば、八時間睡眠の私が落ちるのはドン底の下、名付けるならギガゾコとかグランゾコとかそういう所で、たぶんグランゾコの壁には油が塗ってあって波紋法を使わなければ登れないのである。

 世界にはいろいろな人がいて、たとえばナポレオンは一日三時間しか寝なかった、とこれは辞書にも載っている。そうでなくちゃああは偉くなれなかったという話なのだが、いつも思うのは、ナポレオンは別に博識でもって知られている人間ではなく、島に流されたり復帰したりまた別の島に流されたりと、あまり幸福そうでもない。確かに菅原道真だって「左遷されたのに学問の神様」なのだが、みんなはこれを聞いて「ナポレオンを目指そう」などとはちっとも思わず「変わった人だったんだねえ」とか「寝ないとああなっちゃうんだなあ」と考えはしないだろうか。アインシュタインやニュートンはどうだったのだろう。ちゃんと寝ていたんじゃないだろうか。

 とにかく私には、一日四時間の睡眠でやっていくなどギガ無理としかいいようがないので、どうか放っておいてあなたには大義を果たして欲しいのだが、本当に全国の受験生がその時代四時間ずつしか寝ていなかったかというと、そんなことはないと思いたい。睡眠時間を削って勉強や仕事、なにかすべきことをするというのは誰にとっても血が冷えるような辛い仕業で「ヨントーゴラク」とでも唱えていないと、ふと自分がひどく無駄なことをしているような気がしてやっちゃらんないのだと、そう信じたい。いかに志望校に受かるためとはいえ、みんながこんなに辛いのを我慢できているとは思えないのだ。

 ところが、ところがだお兄さん。そんなヒュプノスの使徒のようなことを言っている私が、どういうわけだか、朝早く目が覚めるようになってしまったのである。

 四月になって職場が変わり、毎日八時半には席に着いていなければならないという血も凍りつくような身分になってしまった。実のところこれまでは朝一〇時前に職場に着けば、というほんわかポリシーでやっていたので、ちゃんと起きられるのかどうか、遅刻続きでどうにかなってしまうのではないかと心配だった。これが、そうなってみるとどうしたわけかお兄さん、すっきり起きられるようになってしまったのだ。高校生の時だってそんな生活サイクルであったが、毎朝眠くてねむくてならなくてそれが三年間治らぬ死に至る病だったので、もう不思議でならない。確かに前の日早く眠くなってしまうのだが、といって九時に床についてしまうわけではないのである。睡眠時間だけが、減っている。

 仮に、眠らずにハッピーなのだったらこれはもう寝ないほうがいいわけで(薬なんかは使わないとした上でのことだが)、ともかく寝るのが趣味と言ってはばからない人だって、眠くないのにそれでも寝ることを旨として趣味と称しているわけではないと思う。そもそも必要とする睡眠時間には個人差があって、ナポレオンは努力しないでもそれだけの眠りでやっていける人であった、ということなのではないだろうか。少なくとも高校生の私の耳をつかんで引っ張ってきて監視下に置き、無理に三時間しか寝させないという生活をさせたのと同じだけ、おびただしいストレスをナポレオンが感じ続けていたわけではあるまい。

 そう、今の私がそうなのである。必要もないのに毎朝五時にパチと目が覚めてしまう。不思議なことに、これは前日何時に寝たかとか、今日は何時に職場に出ていなければならないから、という事情に無関係であるようだ。何かに起こされるわけではないのでストレスはない。どうしてこうなってしまったのか理由はわからないまま、都合がいいのでせいぜいこの状態を崩さないよう、目が覚めたら「二度寝」したりせず起きることにしている。

 起きている時間が長いので、一日を有効に使っていると言えば聞こえはいいが、散歩をするでなく、家事をするでなく、本を読んだりテレビを見たりこうして文章を書いたりしているので、寝ていた無駄な時間が起きている無駄な時間に置き変わっただけと言えなくもない。仕事をすればナポレオンになれるかもしれないのだが、そればっかりはできない。ただ、この時間があるおかげで四月以降ここの文章が書けているといえば、確かにそうである。

 今の睡眠時間を計算すると、八時間が二時間減って六時間になった程度で、たぶん平均よりはまだ長いのではないかと思う。ズンドコぐらいまでは復帰できたかもしれない。人生が長くなったようで嬉しいが、本当のところはわからない。寿命は寝ている時間と起きている時間を合算したものなのか、それとも寝ているとあまり年を取らないのか、わからないからだ。前者だったらどう、というわけではないが、誰か研究してくれないものかと思う。ネズミあたりを突っついて寝かせないようにしても、無理やり起こすストレスで早死にしたのか何なのか、条件が分離できなくてやりにくい実験だと思うのである。「自然に目が覚めてしまうネズミ」を用意しなければならない。

 さて、ナポレオンは夜三時間しか眠らないかわりに、断続的に数分ずつの睡眠をとっていたそうである。私も、どうも昼間眠くてならない。昼ご飯を食べてちょっと経ったあたりで、抵抗しがたい眠気に襲われる。これは古典的ながら、顔を洗えば大丈夫、ということがわかった。わかった、などと偉そうに書く情報ではなくて恥ずかしい。でも、確かに眠くなくなるのだ。むかし授業中よく寝ていたのは、あれは顔を洗えないからではないかと思う。


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