ときおり、数字を覚える、という作業を強いられることがある。関ヶ原合戦の年号や銅の密度、プランク定数のような、一度覚えて二度と忘れないような(あるいは少なくとも覚えておいたほうがベターなような)ものではなく、路線図で切符の値段を調べて、それを券売機で切符を買うまで覚えているとか、そういう、ちょっとあっちからこっちまで覚えていなくちゃいかん、という場合の話で、私の場合、たいてい「一六〇円、一六〇円、一六〇円」と唱えながら切符を買っている。
こういう「唱えながら一時記憶」は、手のひらに水をすくって水を移しているようなもので、使うはしから、たちまち記憶が曖昧になってゆくような気がする。隣から「今何時だい」と聞かれると、簡単に「六時、六時、六時、ありゃ、六時の切符は売ってないぞ」ということになってしまう。頭に引きだしが一つしかない、とよく言うが、この一時記憶は一つしかないということなのだろうか。すぐ物が落ちるので、引き出しというよりは建て付けの悪い棚かもしれない。
算盤の達人になると、実際に算盤がなくても空中で指をぱちぱちやってちゃんと答えが出てきたりする。私の高校時代の友人にも一人そういう人がいて、このシャドウソロバニングしている指をぎゅっと押さえつけると、とたんに計算ができなくなるのだそうである。たぶんこれは、数字を処理する一時記憶とは別に、算盤の今の状態をビジュアルとして覚えておくことができて、これを補助として使っているので、多数桁の計算ができるのだと思う。
昔、初めてかけ算の筆算を習ったときに、私は自分の棚に一つしか物が乗らない、ということを痛感した。たとえば二七九掛ける八を計算する。九掛ける八で七二、答えの下一桁を二と書いて繰り上がりの七を覚えておいて、それから七掛ける八の九九を思い出して、覚えておいた七を足し、答えの一の桁(三)を書いて、十の桁(六)を次の繰り上がり数として覚える、と、こういうことを繰り返さなければならない。この繰り上がりの「七」を忘れないように、次の九九を行うのが難しいのだ。九九の向こうまで七を持ってゆけないのである。
ここで普通どうするかというと、たぶん紙に小さく数字を書いておいて足しあわせるのだと思うが、面倒であるし紙が汚くなるので、私は指を使って、手に覚えさせることにしていた。右手は鉛筆で塞がっているから、左手で「七」を作っておいて、次の「シチハゴジュウロク」とこれを足しあわせるのである。指は五本しかないので、ちょうど算盤の玉のように「親指には五の価値がある」と拡張して使っていた。親指、人さし指、中指が立った状態を三ではなく、七と見なすのである。これはずいぶん便利であり、実は今も使っている。かの友人のように、左手を押さえつけられると、私はかけ算の筆算ができなくなってしまう。
考えてみれば、親指が五、残りは一、で止めてしまう必要はない。それぞれの指に違った役割を持たせて、さらに拡張することが可能である。
まず両手を握って〇、右手の親指を立てて一、親指を曲げて、かわりに右手の人さし指を伸ばしてこれが二、三は親指と人さし指を両方立てる。四は中指一本で下品な感じで、五が親・中。六が親・人(チョキ)で、七が親・人・中となる。八は薬指一本で、以下左手の親指まで全部使って、堂々一〇二三まで数えられる。要するに両手の指を二進法の各ビットのように扱うわけだ。
この便利な方法が、しかし一般的にならないもっともな理由が二つある。まず、計算がややこしい。右手までの範囲内(つまり三一まで)でやっていればまだよいが、数が大きくなってくるにつれて、三桁の足し算を暗算で素早くこなす必要が出てくるのだ。たとえば、左手の中指と小指、右手の人さし指と親指、という状態がすぐ「163」と分かるかというと分からないわけで、ましてや「209」を指に覚えさせるためにどの指とどの指を伸ばせばいいのかすぐにわからないのでは、使い物にならないと言うしかない。
もう一つの、より致命的な問題は、薬指を伸ばした状態で小指だけ曲げることが非常に難しい、という点である。腱の長さの問題なのか、それとも脳の中でこの二本の指を曲げる神経が同じところに配線されていたりするのか、右手を開いて小指だけを曲げようとすると、どうしても曲がってくれない。この逆、小指を伸ばしておいて薬指だけを曲げるのは簡単にできてしまうので、おかしなことだ。
指がせっかく五本あるのに、独立して使えないとは残念である。人間とはそういうものなので仕方がない、とあきらめるところなのだが、打ち明けた話、自分でも妙なのだが、私の左手はちゃんと小指が独立して曲がるようである。こういう人はどれくらいいるのか、ぜひあなたはどうなのかお聞きしたいのだが、これまでの経験では、それほど多くない、という印象を受けている。もっとも、私に関しても左手だけがこのささやかな拡張機能を持っている。私は右利きなので、器用な右手のほうだけができないということになる。何か私の知らない過去が左手の小指にあるのかもしれない。酒飲みの隠居だと思っていたらベトナム戦争帰りだったとか、そういう過去である。