愛するということ

 結婚してしまうとできなくなることはいろいろあるが、その一つは「ゴウコン」である。何もカタカナにすることはない。合コンである。合は「合同」でいいとして、コンパのほうがコンパニー、会社と同じ「company」の略であることはあまり知られていない。英語で、参加者がお金を持ちあうパーティをcompanyといって、それを略してコンパであるらしい。一人千円集めてお見舞い金を作る「カンパ」もそうかと思って調べたら、こっちはロシア語なのだそうで、ちょっと違った。(ただ、根っこは同じかもしれない)。外来語というのは難しい。

 そんな豆知識はどうでもいい。こんな私も合コンに行ったことくらいはあって、もう行く機会はないと考えると一抹の寂しさを覚えたりもする。ただ、急いで追記するなら、妻に義理立てするのではないが、合コンに行きたくてしょうがないかというとそんなことはなく、むしろ何度か行った合コンに、愉快な思い出はあまりない。

「私って、都会生活に向いてないのよね」
 自分語りを始めたその女性の話を、私はそのとき、疲れた頭で聞いていた。合コンの会場、ちょっと高級な居酒屋の一隅。ビールと酎ハイとウーロン茶、サラダとピザとソーセージ。苦闘三十分、どうも私の話はこの場の女性たちにとって退屈なだけらしい、ということが分かってきたので、私は、いっそ血液型の話でもしてやろうか、いや星占いのほうがいいか、と自暴自棄になるところを危うく踏みとどまっていた。
「今日、来るときも思ったんだけど、ヒトゴミって苦手なのよ」
「満員電車だったんだね」
「そうそう。駅からここへ来るまでももう、大変。人で人で」
 ニコニコと相づちを打ちながらも、そういう、誰でも多かれ少なかれそうであることを話題として取り上げるのはいかがなものか、そうぼんやり考えて、私はもう一息生ビールを飲んだ。

 そもそも、人込みが好きだ、という人はいるだろうか。いる。確かにどこかにはいる。しかし一般的ではない。ほとんどの人にとって、混んでいる電車よりは空いた電車のほうが好ましいはずだ。できるならばお盆を外して帰省したいし、ゴールデンウィークにわざわざ旅行になど行きたくない。それでも行ってしまうのは祝日しか休めないからである。ああお嬢さん。一言で言えば、世間の人は人込みが平気だから満員電車に乗っているのではない。ラッシュを避けるために数時間早起きするよりは、満員電車を我慢したほうがましだ、と思っているからなのだ。

 たとえばそうだ、このビールの話をしよう。発泡酒は安いがビールに比べて味が落ちる(少なくとも私はそう思う)。私は味にこだわる人間であり、飲むならビールだ、という論を展開したとしよう。
「世の中には二種類の人間がいる。味にこだわるビール好きと発泡酒でも平気な人間だ」
 発泡酒が好きな人が世の中に多ければ、いや、少なくとも話し相手のあなたが発泡酒のほうが好きな人であれば、それはそれで話になる。しかし、安いので発泡酒をよく飲むが、やっぱりビールに比べてやや味が落ちるなあ、と思っていたとしたら、ちょっとやりきれない。ソレハフツウデスネ。そんなことは言えるものか。

 一つだけ、みんなそうであることを自分の属性としてわざわざ取り上げる価値があるとしたら、その程度がすさまじい、ということかもしれない。人の好みは絶対のものではなく、どこかに限界を内包しているものである。たとえば酒税が大幅増になり、両者の価格差が数倍に達したとしたら。事態がここに至れば、ビールが好きな人でも、さすがに発泡酒で我慢しよう、ということになるかもしれない。酒税二倍程度ならそうならない、我慢してビールを買う、という人がいたとしても、数十倍なら、あるいは数百倍なら。それでもビールを飲むなら、それは立派なことだ。尊敬すべきことだ。

 そういう、王様のような好みを持っているなら、人込みがキライ、と表明するのもよろしかろう。満員電車に乗りたくなくて二時間早起きしている。エレベーターの人いきれが我慢できなくていつも階段を上っている。都会に住めなくて山奥に住んでいる。それは気の毒であり、一夜の話題にするにふさわしい注目すべき属性だ。だが、お嬢さん、あなたはそうではない。

 花のような君よ。愛されることに慣れた君よ、愛を語るなら、とことん愛してから語ってくれまいか。

 こういうことを考えながら、その女性の話が成り立っていない旨を指摘したくてならなかった私なのだが、論理的思考の大切さとこの場の雰囲気の維持の重要性を勘案して、結局何も言わずにおいたので、私の「理屈好き」も大したことがないと思う。しかし、そうすると客観的に見て残るのは、単に「ただ相づちを打っていた私」なのだった。他人に好いてもらうのは難しい。自分でこんな自分が好きになれないのにどうして他人に好かれるだろう。私はこっそり時計を見て、早く終わらないものか、とそればかりを願っていた。切なる願いだった。


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