バナナ問答

 テレビを見ていたら、サラリーマンがいかに虐げられているかという特集で、こういう話が出てきた。
「サラリーマンの一ヶ月の『お小遣い』の平均は一万八千円」
 これを見て妻がぱっと振り返り、にんまりと笑ったので、今日はこれについて書くのである。

 はっきりさせておきたいのは「お小遣い」という言葉が何を意味するか、である。今回の文章では、今の私の家のような、男性が働き、女性は家事をする、という形式に限って話をすることになってしまうが、こういう場合「お父さんのお小遣い」とはどういうことだろうか。お小遣いというとどうも小中学生のころのほの暗い思い出が甦ってしまい、私は「お小遣い制」に戻るために大人になったんじゃない、とバルト海に沈む夕日に情熱を伝達したくなってしょうがないのだが、そこのところ世のサラリーマン諸賢はどう思っているのか。

 つまり、この「お小遣い」には何が含まれ、何が含まれていないのだろうかという疑問である。一人の人間が一ヶ月、社会生活を営むために必要なお金はいろいろとある。このうち「お小遣い」は何であるか。定義から考えると、家計から抜き出した自由裁量に任されるお金、ということなのだろうから、サラリーマン本人が消費するさまざまなお金から、交通費や、シャツやネクタイを買ったり、散髪に行ったりといった必要経費を差し引き、本や新聞雑誌を買ったり、あるいはパチンコや競馬に使い果たすべき「遊興費」ということになるのだと思う。

 こう言いかえることもできるだろう。たとえば、サラリーマンを溶かして不純物を取り除き、会社員の鋳型にはめて灰色のナニモノかに作り直したとする。彼にはお小遣いは必要ない。会社と家庭を往復し仕事をする上で必要ないお金であるからだ。

 もちろん現実にはこのような人間はいない。「ヘビースモーカー」であるとか「鹿島アントラーズのファン」であるとか「インターネットで雑文サイトを運営している」であるとか、量産型サラリーマンの上にそういうさまざまなデコレーションを施して、一人ひとり違う個性ある人間になっているのだ。すなわち「お小遣い」とは、その人がその人であるために使われるお金なのだ、と言える。

 そして、そうであれば、月に一万八千円というお金はなかなか使いでがあると言っていいと思う。映画を月に十本見るとしたら、その人はなかなか立派な趣味人である。月に一回はスポーツ観戦にゆき、時には痛飲し、雑誌や本、CDを買い、携帯電話代を支払う。一万八千円にはそれくらいの価値が確かにある。

 しかし、この数字を提示した番組によれば、以上のような主張は私の思い込み、こうであって欲しいと思う願望に過ぎないのだった。詳細はわからないが、少なくとも「お昼ご飯代」はこれに含まれていると、番組ではそう考えているらしいのだ。少ないお小遣いで昼食をまかなおうとすると、一日に五百円ほどしか使用できない。そうすると栄養が偏って良くないよという(平凡な)結論を出していたのである。

 本当に、全国のサラリーマンの共通認識として、昼食代は「お小遣い」なのだろうか。いやいや、少なくともこの数字の根拠となった数百人の調査対象の人々にとってどうだったかでもよい。月に一万八千円で、しかもそれが昼ご飯を含むとすると、もう本人の自由にできるお金はほとんどない。たとえば、ウィークディ二十日分の昼ご飯と飲み物代をがんばって五百円に抑えたとして、残り八千円。タバコを一日一箱買えるかどうかといったところである。友人と一回飲みにゆくともう新刊二、三冊分しか残っていない。なんと暗い人生であることか。

 しかも、この数字は平均がそうだということであって、もっと裕福な人もいるに決まっているのである。単純化して考えて、月に三万円の人が一人いれば、バランスを取るために一人、月に六千円しかもらっていないという人がいるはずだ(と、これではちょっと単純化しすぎだが)、月に六千円となると、昼食代一日三百円で、他になにもできない。これはそろそろ飢餓ラインだ。

 つまり本当は、「お小遣い」と言えるお金なんてもらっていない、ゼロ円だ、という人もいるのだろう。そういう人だってお昼ご飯は弁当を作って持っていったりしてちゃんと食べているし、出張代をいくらかチョロまかして外で酒を飲んだりもしているのだが、それは数字には表れてこない。「うちはお小遣い制じゃない」という人が平均を引き下げているというのは、実にありそうな話である。

 また、私の感覚では、昼食代はどうしたって必要なお金である。例の灰色サラリーマンでもご飯は食べる。仲良ししてても減るのである。これを「小遣いに含む」とされるのはどうも納得がいかない。私の感覚が常識と完全にずれているということでなければ「お小遣いはいくらですか」という質問に、昼ご飯代を入れなかった人が相当数いるのではないか。

 そんなこんなで、こんな数字、信頼するに値しない、という結論を得たので、お小遣いを減らすのだけはちょっと待って欲しいのだった。いや、やめてください、ほんとうにお願いです。テレビ局も迷惑なデータを流さないで欲しいです。


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