おそらく交通安全週間に合わせてではないかと思うが、毎年のように発表され、消費されてゆく交通標語の中には、それでも時代を越え、伝えられてゆく名作がある。「注意一秒怪我一生」「飛び出すな車は急に止まれない」「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」あたりがそうで、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」「おみやげは無事故でいいのお父さん」とそこまで行かないまでも記憶に残っているものは多い。確かによくできていて、書き並べているだけなのに何か気の利いた事を書いているような気がしてくる。今、反射的にパロディを作ろうとする私の延髄を必死に押さえつけようとしているところである。むぐ。
そんな中に、なぜかずっと心に残っているこんな標語がある。
「急いでも到着時間に大差なし」
考えてみるとまことにミもフタもない。一般的な意味での「名作」とは言えないものである。何が何でも交通事故を撲滅してやるんだ、という気迫に欠ける後ろ向きな標語なので、これを読んで「ああ、大差ないんだな、オレはちょっとスピードを出しすぎていたよ先生」と改心するドライバーはあまりいないんじゃないかな、と思う。どうですか先生。
とはいえ、よく考えてみれば標語氏の言うことはもっともである。たとえば、もともと一時間かかる行程をどんなに頑張っても、一時間以上節約できることはない。現実には、三十分も短縮できれば恐るべき技量というべきで、違法行為をどんどん積み上げ周りから罵声を浴びせられつつなりふり構わず急いで、やっと一五分くらい短縮可能というところではないだろうか。
そもそも、警察のスピード違反取締りや、赤信号での待ち時間(これは急いでいてものんびり走っていてもほとんど関係ない、純粋な待ち時間である)などの重要な要素を考慮の外に置くとしても、時速六〇キロで一時間分の行程を四五分に縮めるには、時速八〇キロを維持しなければならない。ぱっと見た目には、これは大した差ではないように見えるのだが、重大な違いがある。つまり、通常の速度なら、単に周囲の車にペースを合わせて走っていればよいのに対して、時速八〇キロで走るとすると周囲の遅い車を常に避け続け、追い越し続けなければならないのだ。
周囲との相対速度が時速にして二〇キロ分もあると、前の車との車間距離が一〇〇メートルあっても、わずか一八秒で追いついてしまう。行儀よく一〇〇メートルずつ間隔をあけて一台ずつ車が走っているという、これはもうガラガラに空いている二車線の道路を想定してさえ、一分につき三回、四五分の道程で合計一五〇台の車を追い抜いてゆかねばならないのである。実に、容易なことではない。
この、他車を追い越し続けることでの事故機会の増加に加えて、速度が速いと反応に使える時間が減るので、ドライバーの反応速度が相対的に低下することになって、事故のリスクはうんと増す。いざぶつかったときの被害も大きい(「加害」も)。高校の理科あたりで習う運動エネルギーというもの、ぶつかったときに解放されるエネルギーと考えてよいものだが、これは運動体の質量に比例し、速度の二乗に比例する。つまり、時速八〇キロの車は時速六〇キロの車の三割三分増しではなく、七割八分増しの破壊力を持っているのである。
余談だが、時速六〇キロの自動車が壁にぶつかると、高さ一四メートル、六階くらいの高さから車をがしゃんと落とした場合に等しい被害を受ける、という例えがある。これが時速八〇キロになると、なんと高さ二五メートル、九階か一〇階の高さである。である。「なんと」であるがしかし、水を差すようではあるがしかし、六階か一〇階か、このくらいの差ならまあ大差ないような気もしてくるので不思議である。速度を出しても出していなくてもぶつかったらやっぱり痛い、ということだが、まあ、ブレーキをかければこの高さはそれぞれ減るわけなので(しかし一〇階からのほうが当然減りにくいので)スピードはやっぱり出さないほうがいいのである。本当だ。
ところで、近年。いや近年というよりも近月とか近日(もうすぐ、という意味ではなく)という言葉を作らねばならないのだが、「ブロードバンド」という言葉が話題になっている。パソコン通信の黎明期から、モデムの速度は常に倍々の率で恐るべき増加を繰り返してきた。それが64kbpsあたりで頭打ちになったと見るや、FTTH(家庭用光ファイバー回線)やADSL、ケーブルテレビの信号線を利用した通信によって、一気に数十倍から百数十倍、毎秒数メガビットの通信速度が、現実的な価格で利用できるようになってきた。これを通信の質的な変化ととらえて「ブロードバンド」という新語を当てたものだろう。
このページは七キロバイトほどの長さがある。今一番遅い速度でこのページを見ている人は、おそらく携帯電話で9600bps、というものだと思われるが、これだとダウンロードに六秒かかる勘定である。一世代前の36.6kbpsのモデムなら1.5秒、ISDNやPHSの64kbpsなら0.9秒に短縮される。ところが、これが下り最大8Mbpsを誇るADSL回線だとどうなるかというと、なんと0.007秒になってしまうのだ。これは速い。ケタ違いである。
しかし、こうも思うのは確かだろう。0.007秒と0.9秒の差は、たかだか0.893秒しかないじゃないか、と。確かに、ここまで来ればどちらもほとんど「まばたきする間」であって、サーバの反応速度、手元のパソコンの処理時間による違いのほうが大きくなってしまうようにも思う。第一、いくら短時間でダウンロードしたところで、文章をそんな速さで読むことはできないのだ。だからこそ、音楽や映像のダウンロードなど、帯域幅が広いことが大きなメリットになる、豊富なコンテンツの提供が待たれるわけであるが、文章が主となるここのようなサイトに関して言えば、ブロードバンドの御利益はほとんどなく、「常時接続」つまり接続が時間課金でなくなったこと、繋ぎっぱなしでも同価格になって、電話代を気にせず落ち着いて読めるようになったことのほうがむしろ大きな革命であると言えそうである。
F1レースは、一周五キロほどのコースをどれだけ速く回ってこれたかを計測して、予選順位とする。これによって本番のスタート位置の有利不利や、時には決勝に参加させてもらえるかどうかが決まるのだが、トップからビリケツまでどれだけ差があるかというと、一分半ほどのレコードで五、六秒というところでしかない。決勝でも、一時間半くらい走っているのに、差はやっと四、五周程度、時間にして五分ほどである。F1のトップチームと、参加することに意義があるチームの差は、中継を見ているとかなりあるように見えるのだが、それでもそんなものなのだ。これこそ、急いでも到着時間に大差なしの最たるものである。
自動車レースのような、技術が成熟した分野での戦いは、どうしても「大差ない」ところでいかに戦うかということになる。一方、通信速度に代表される情報関連技術は、いまだ激しい技術革新のただなかにあると言えるのかもしれず、技術という駿馬を飛ばしてライバルに大きな差を付けられる分野でないかと思う。素晴らしい、面白い時代である。そうした中にあって、私のようなページはブロードバンドの蚊帳の外に置かれた、むしろ普及を妨げるコンテンツだと言えるのかもしれないのだが、次回から「最近の研究内容を読み上げる私のムービー」に切り替えるのは時期尚早であるし、レンタルサーバの容量があっという間に底を突くし、第一私が恥ずかしいので、当分こんな感じで文章しか提供しないことにどうしてもなってしまう。いち早くブロードバンドを導入した諸兄には御寛恕を願いつつ、牛刀をもって鶏を裂いていただけるようお願いしたい次第です。コケッコー。