トンカツ教設立建白書

 トンカツをあがめよ。

 はじめにトンカツがあった。トンカツ定食だけがあり、他になにもなかった。世界のタマゴたる揚げたてのトンカツが、やがて食べごろに冷えて、歴史が始まった。
 まず山盛りの千切りキャベツが緑の山々となり大地を作った。添えられた漬物が、動物達になってその森に住んだ。豚汁は、海とそこに住む魚や鯨たちになり、地球を青い星に変えた。トンカツの衣は、空気となり大地を覆う衣となって地上を有害な放射線から守った。どんぶり一杯に盛られた白飯は、平野を肥沃な米どころに変えた。しかもお替わりは自由だったので、平野はどんどん広がった。トンカツソースの川がそこに流れ、平地はますます豊かになった。そうしてこの生まれたばかりの約束の土地に、残った豚肉から豚と人間が生まれ、住み着いた。これがトンカツにまつわる創世期である。

 しかり、いかにもトンカツは素晴らしい。どんな定食屋でもいかなる弁当屋でもたいていメニューに存在するところがまず素晴らしい。そこがまっとうな飯屋であれば、メニューを見なくても「トンカツ定食」といって「ありません」と言われることはまずない。ご飯と味噌汁とおかずという完結した小宇宙、伝統的な「定食」の形式に、これ以上似合うメニューはほかにないというと、言が過ぎるだろうか。

 考えてもみよう。トンカツにかわってその「おかず」の地位を占める食品と、トンカツとの力関係を。チキンカツ、メンチカツ、魚フライ、これらはいわば「トンカツの偽物」に過ぎない。焼き肉、ブリ照焼き、豚生姜焼き。否、否。焼いただけ食品とトンカツを比べること自体傲慢というべきである。刺し身、コロッケ、カキフライ。ああ、いかんせん、これらはご飯が食べにくいのだ。マーボー豆腐、納豆、ステーキ。そんなのは定食じゃない。そう、どうにも敵はない。すなわち、これら全てのメニューに君臨する定食の王、それがトンカツなのである。いや、ちょっとハンバーグには負けるかもしれない。

 いやさ、カツ丼やカツカレーなど、トンカツ応用食品の多いことこそが、トンカツの王者たる証である。これでハンバーグにも、なんとか鼻の差で勝てたのではないだろうか。パンに挟んだカツサンドなどというものもあり、パートナーを選ばないトンカツの懐の広さを内外に示している。味噌カツ、ソースカツ丼などという変種をも優しく受け止める母のような食品。伝統と冒険心を合わせ持つ無敵のおかずエンジン。それがトンカツ。

 トンカツは、実は栄養のバランスに優れている。そんなバカなという人もいるかもしれないが、必ず付いている千切りキャベツが、バランスを野菜側にぐんと取り戻しているのだ。確かに脂肪過多の油っぽい食べ物ではあるが、キャベツがあるだけに牛丼やハンバーガーよりはずいぶんマシである。いや、本当だ。「ダカラ」というドリンクを買ったら、そう書いてあったのである。そしてもちろん、牛乳と一緒に食べるといっそうバランスは良くなるのだよ。

 ええい、栄養のことなどどうでもいい。トンカツは美味い。恐ろしくご飯が進む。どういうわけか、たいていご飯とキャベツがお替わり自由であるのは素晴らしいことである。誰が始めたのか、専門店ではたいていそうなっているようなのだが、これこそ、トンカツが大食の友である証であろう。一緒にどれだけのご飯がおいしく食べられるかを示す「おかずパワー」値。その高さを競い、その高さが最大の評価基準となるトンカツは、清く正しい定食のおかずである。そして、それを試す場がトンカツにはふんだんに与えられている。有史以来、一枚のトンカツで、人々が何杯のご飯を食べてきたことか。頼めば確実に腹いっぱい食べられる。おかわり自由は素晴らしい。

 専門店といえば、トンカツは専門店に恵まれている。ラーメン、カレー、牛丼など、店がそれだけでやっていける、特定の料理の専門店を数え上げたとすると、まずは、トンカツ専門店は五指に入ると言える。かなりの田舎でも「トンカツ」の看板をかかげたちゃんと店が存在するのは驚いてしまう。定食としては、専門店があるトンカツはまず唯一無二の存在である。他にはハンバーグが辛うじてチェーン店としていくつか存在するのみであり、これもニッチな地位を脱しきれない。専門店を支えうる多数のファンを擁しているということだろう。トンカツは、やはり素晴らしい。

 またトンカツは、手軽なだけでなく奥も深い。トンカツは庶民の味方でありながら、高級な食事でもあるのだ。このへんは、言っては何だが牛丼とかカレーには真似のできないところである。二千五百円もする牛丼なんてものはないし、高級なカレーというとあのカレーライスとは別物になってしまうが、トンカツは違う。コンビニのトンカツ弁当三九〇円とはまた別に、目が飛び出るほど高価で、しかしとてもおいしい。そんなトンカツが、食べようと思えば高級店であなたを待っているのだ。

 そして、トンカツは私にとって、見果てぬ夢でもある。去年に病気をして以来、トンカツなどのフライものを避けるよう、医者に言い渡されてしまったからだ。もしかして、一生分のトンカツをすでに食べ尽くしてしまった、ということかもしれない。

 そこにあるのに、手が出ない約束の地。専門店の前を毎日通勤しながら、私の中でトンカツが次第に聖なる食物へと、神へと昇華されてゆく。


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