窓の外はすぐそこまで迫った林。ヒグラシが懐かしい声をあげる中を、奥へと続いてゆく小道。激しい、といってよい今年の夏の暑さも、都市からいくつもの山を越えたここでは、いくぶん和らいでいるかのようだ。夕暮れ、遠雷とともに突然降り出した夕立が、なごりの熱気をたちまちに拭い去り、暑さの記憶を、遠く遥かに色褪せさせる。
そこは温泉だった。まさに温泉であった。旅の空、一晩の宿を取ることになった我々は、この、山中に一軒きり建っていた温泉に、八畳ほどの小奇麗な部屋を与えられたのだった。広い浴場に宴会場、ミルクコーヒーの自動販売機。ゲームセンターや卓球台こそなかったが、ここはやはり紛れもない温泉だった。
この手堅い温泉宿に、たった一つ、気がかりなことがあったとすればそれは、宿泊客が異様に少ない、ということだったろうか。私たちのほかには、八人ほどの中年女性からなるグループが一つ、八〇をとうに越えたかに見える老人とその息子夫婦らしい家族が一つ。二十ほどの部屋が設けられたこの温泉旅館に、今晩の客はそれきりなのだった。いや、そうであるからといって、宣伝がよくないのではないかとか、経営に危機感を覚えるだとか、そんなだいそれたことを言うではないのだが、やはり土曜日の晩、旅行業会の専門用語で言うところの「休前日」として、これでよいのかとは思うのだった。
この旅館は温泉のあらたかな薬効のほか、「ウコッケイ(烏骨鶏)」という特殊なニワトリでダシをとった料理を出すということを、美点の一つに数え上げている。ウコッケイは、羽毛が黒い鶏である。羽毛が黒いといって、もちろん肉は黒くない。見たところは普通の鶏肉だし、味もちゃんと鶏である。だからここで、ちょっと待てよ、と思うのだが、ということは普通の鶏と同じなんではないだろうか。
これは次の日の朝に知ったことだが、実は彼らはこの温泉で、四畳半ほどの大きさの鶏小屋を庭に建てた中に、たくさん飼われていたのだった。見に行ってみたら、さすがのウコッケイたち、目が据わっていて異様に根性のある風情だったのは確かである。確かにこれは「効く」かもしれない。何に効くのかわからないが、とにかくもナニカに効力がありそうである。もっとも、鶏など普段見たことがないので、大抵の鶏は据わった目をしていて、内に荒ぶる魂を秘めてるのだとしても、わからないのだが。
さて、そんな晩御飯を終えた私は、さあとばかりに浴場に向かった。温泉タオルと浴衣を提げて、しんと静まり返った脱衣場を通りぬけて、覗いた浴室には案の定人影もない。まず広いといえる無人の浴槽にはなみなみと、静かに温泉が湯気をあげている。
ここに至って、私はまったくの一人だった。体をゆっくりと洗い、湯船に浸かって、なおも誰も入って来る様子がないので、私はこういう場合何をすべきなのか考えていた。無人の温泉に一人。泳げばどうかいやそれは陳腐かなどと思いながら、とりあえず仁王立ちになって景色を見てみた。やはり山中を模した庭がしつらえてある窓の外は、すっかり暮れて、星が見えている。明日も暑くなりそうである。
手持ちぶさたになり、ふと浴室の壁を見上げた私は、その高所に、温泉主からの口上が掲げられていることに気付いた。ありがちな、温泉の効能や縁起、温泉宿の来し方を振り返ったものなのだが、読んでみると面白い。誇らしげでもあり、言いにくいことを何とか言葉にしてみましたが、という文章でもあり、妙な感じなのだ。
口上書きにいわく、そもそもこの温泉は、古くから温泉宿としてにぎわい、街道をゆく商人たちの憩いの場となっていた。
ある晩、旅の僧がこの宿を訪れ、一晩の宿を乞うた。僧の格好を見た主人は、これは宿泊費を持ってはいない、と断じ「いっぱいである」と断った。それならば納屋でも馬小屋でも、とさらに懇願する僧。しかし、主人の返事は「馬小屋も納屋もいっぱいである」であった(「ウィザードリィ」みたいな宿屋である)。僧は、落胆した様子を見せ、それならばせめて足だけでも湯に浸からせてください、と頼んだところ、主人はようやく許した。
僧は、嬉しげに足を洗った後、湯元に祭られていた御幣(よく神社につるしてある、切り紙の飾り)を一枚とって「この御幣が流れ着いた先から温泉が出るだろう」と宣して、近くの川に流した。そう、何を隠そうこの僧こそ、温泉界のイアン・ソープ、弘法大師その人だったのである。御幣が流れ着いた先を掘ってみると、してやったり、そこから濛々たる湯気と共に温泉が噴き出した。
と、ここまで読んだところで、私はなにやら割り切れない気持ちを抱かざるを得なかった。弘法大師を外見で判断してイケズの限りを尽くして、その報いが「新たな温泉の噴出」ということでよいのだろうか。普通はここで、温泉側が何か手痛いしっぺ返しを受けねばならない気がする。それとも、足だけでも浸からせてあげたことが、思ったより高評価を得たのだろうか。もしかしたら弘法大師は確かに温泉界のジョセフ・ジョースターではあるが、そのスタンド能力は温泉を新たに「見つける」という方向にしか働かないのかもしれない。
そんなはずはない。私は酒と湯でぼんやりとしてきた頭をふりふり、口上書きをしっかり二度読み返して、やっと全てを飲み込めた。温泉は確かに噴き出したのだが、それは川のかなり下流の、別の温泉だったのである。そちらが栄える一方、意地悪をしたこちらの温泉は、湯温がやや低いこともあって、どうもいつの間にか寂れてしまったということのようだ。温泉宿としての機能は以後江戸時代まで完全に消滅していたらしい。明治になってある経営者が、湯を炉で沸かすことで再興をはかったが、こちらも思うにまかせず、またも中断した。その末に、やっと平成になって、今の経営者が温泉の営業を再開したものだ、ということである。
つまり、私が今つかっているお湯は、そういう経歴を持つ温泉だったのである。普通はハッピーエンドになる、こういう温泉の効能書きとしては珍しい。何やらまがまがしくさえある逸話ではないだろうか。
私は、なにかぞっとして、隣の女湯にいるはずの、妻の名を呼んだ。返事はなかった。ただ、湯船からあふれた薬効のあるはずの湯が、無意味に排水溝を洗っていた。
さて、温泉界のランディ・バースたる弘法大師の報いを、この平成の世の中においてなお感じた、そんな気分は、次の日、我々がチェックアウトするその時まで続いて、そこできれいに吹き飛んだ。宿を出ようとする私たちと入れ替わりに、送迎用のマイクロバスがロビー前に着き、五十人をゆうに越える客を吐き出したからである。宴会場には彼らの昼食らしい御膳が、にぎやかにならべられてゆく。良かった。とりあえず、本当によかったと思う。ウコッケイ以外のすべての人が、そう思ったはずである。