仕事のことでいくつか、ちょっと落ち込むことが重なって、だからというわけではないのだけど、わたしは故郷の父母の家で短い休日を過ごすことになった。親への挨拶もそこそこに、部屋のホコリを払い、自分がその晩寝るための布団を陽気に広げて干しといった、これから三日間をこの家で過ごす作業が終わると、突然にぽかりと時間があいたことに気がつく。故郷の長い冬も終わりに近づいており、日はまだ高い。わたしは家に置きっぱなしにしていた茶色いオーバーコートを羽織ると、散歩に出かけることにした。
外は風が冷たくても陽は暖かくて、建て込んだ路地に入ると、ほっとする。あてもなくぶらぶらと歩いていると、どこかのトラ猫がいっぴき、わたしの背後からぱっと走ってきて、塀に開いた、水道の量水器かなにかを見る穴から中にぽいと飛び込むと、どこかに行ってしまった。向こうのほうで犬の吠える声も聞こえる。なにか間延びした、眠そうな声だ。
「犬は人につく、猫は家につく」。母をはじめ、ほんの数人のひとがそう言っているのを聞いたことがあるだけなので、これがどのくらい普遍的な言葉なのかわからない。でも、少なくともわたしの故郷にこういうことわざがあるのは確かで、なぜだか人生のあちこちで、何度も思い出している。このイヌネコ構成のことわざはほかにもあって、それは「犬は三日しか寒い日がない、猫は三日しか暖かい日がない」とか「犬は三日飼ったら三年は恩を忘れない、猫は三年飼っても三日で恩を忘れる」などというやつだが、どれも猫が「おち」になっているのが、ちょっとおかしい。みんな猫嫌いなんだろうか。
それはともかく、「犬は人に」の意味は、犬は人になつくので人の引っ越しについてくるということだろう。いっぽう、猫は場所に居着くのであって、そこにいる個々の人間のことは、実はそんなに気にしていない。長屋みたいなところだと、人が入れ替わっても、猫はずっとその界隈に住んでいて、その時そのときでそこにいる人にえさをもらってちゃっかり生きてゆく。これが動物学的に正しいかどうか、それ以前の問題としてこの解釈でいいのかどうか、知らない。ただ、やっぱり猫嫌いの人が考えたに違いないと思う。
わたしはというと、どちらかと考えてみると、やっぱり猫だ。いや、猫が好きということではなくて、わたし自身が猫だということである。つまり、わたしは人よりは場所に「つく」傾向があると思うのだ。懐かしい場所、懐かしい風景というものは、数え切れないくらいあるのだが、不思議に、昔の友達や、先生に会いたいとは、あまり思わない。べつにいやな思い出があるわけではないのだが、ばったりと出会った時のことを想像すると、とても恥ずかしく思う。ほとんど逃げ出したいような気持ちになる。
しかし、久しぶりのふるさとの町は、今のところわたしに、場所だけをあたえて、ヒトのほうは見せる気配がなかった。わたしがかつて小学校に通った道には、今のところ旧友どころか人っこ一人姿が見えず、わたしは黙って、ひたすら歩く。べつになにか目的があるわけではないのだけど。
橋を渡り、林を抜けて、小学校の運動場が見渡せる丘を登りきったところで、わたしは足を止めた。ただ歩いただけなのに、ずいぶん体があったかくなって、少しだけ(ほんの少しだけ)息が切れている。運動場では、先生らしい大人と、十数人ほどの小学生が集まって、何かをやっていた。体育の授業かな、と一瞬思ったが、ちがうようだ。今日は土曜日、そういえば小学校は休みなのだ。そこに集まった、児童たちも、先生も、もう知らない人たちになっているはずである。や、もちろん、もしかして、かつてのわたしのクラスメートの子供がいるなんていう怖い事態がありえるのだが。
と、子供たちの輪の中から空中へと、突然びゅっ、と何かが飛び出した。光を反射して、きらっと一瞬輝いたと思ったら、ゆっくりと弧を描いて、運動場の少し離れた場所に、ぽてりと落ちる。ああ、なるほど、ロケットである。子供たちが何人か、輪の中から飛ぶように走り出していって、透明なそれを拾いにゆく。小学生たちは、つまり、自転車の空気入れで圧力をかけて、水を噴射して飛ぶ「ペットボトルロケット」を打ち上げていたのである。
ロケットなんだな、と意味もなく繰り返して、わたしは思う。むかし、わたしもこの運動場から、ロケットを打ち上げたことがあった。安全で教育的、洗練されたペットボトルのロケットではなくて、ロケット花火を邪悪に改造したひじょうに危険なロケットだったけれど、そういえば、あれはいったい誰と打ち上げたものだったろう。いくら「猫」でも忘れるなんてひどすぎるのだが、夕方の運動場の光景にくらべて、友人達の記憶ははるかに希薄になってしまっている。カツミだったか、チヅルだったか、ひょっとしてイシケンか、まあその辺りには違いない。
あのころは、いつか自分が宇宙飛行士になれるかもしれないと思っていた。ちょっとそれは言いすぎかもしれない。宇宙飛行士にはなれないまでも、なにかロケットに関係した仕事をしたいと思っていた。すでにアポロの興奮は遠のいて、しかしスペースシャトルが安くて便利な軌道への道をひらくかに見えたわたしの小学生時代。あれからどこでどう間違えたのやら、今のわたしの仕事は宇宙からはるかに遠い。どうしてこうなったのか、原因の一つひとつを見ると、結局じぶんが悪いことになるので、考えはじめるといやになる。
本当に、こうして自分が、今から宇宙飛行士を目指すのはどうかと思うくらいの歳になって、小学生たちを遠く見下ろす日がやってくるとは、思っていなかった。本当に、今は駄目でも、わたしの子孫は宇宙に気軽に行けるようになるのだろうか。もしかしてもしかしたら、宇宙開発は、もうとっくに頭打ちになっていて、それはこの先ずっと変わらないのではないか。じぶんが行けなくなったからそんなことを言っているのではない、と思いたい。でも、結局人間は火星にもたどり着けないということだって、ありそうに思えてくるのだ。
この歳になって、わたしは、わたしにかわって宇宙に行くのが、この子供たちではなく、ロボットでも構わないと思えるようになった。真空、高温低温、食料に飲料水、宇宙線。割りきってしまうと、ロボットのほうが宇宙にずっとふさわしいのだ。それに、わたしの子孫といえるのは、子供たちより、むしろロボットではないかとも、思ったりする。人間をニンゲンたらしめているのは、この体ではなく、知性ではないだろうか。宇宙開発の将来を担うのは「アシモ」や「アイボ」の末裔かもしれない。いや、このへんは「犬」のひとならまた別の意見があるのではないかとも思うけれども。
小学生たちの輪のなかから、もう一度、ロケットが打ち上げられた。さっきよりもぐんと高くのぼって、風にあおられて、遠く、さらに遠くに飛ぶ。子供たちの歓声が、こっちまで伝わってくるような気がした。