ラジオを聴く

 アマチュア無線という趣味が今どういうことになっているのか、偉そうなことを語れる立場に私はない。小学生くらいの昔から、けっこうな憧れを持ってこの分野を見ていて、いつか免許を取ることになるだろうと思いながらも、そのための努力を何もしないままここまで来てしまったからである。そんなことで科学を名乗るサイトをやっていていいのだろうか。もちろんよくないのだ。もっと言えば駄目だだめだダメダメだ。なに、今からでも遅くはない。免許を取りに行こう。すぐ行こう。

 と、取りに行けばいいようなものだが、もう夜も遅いので続きを書く。私の立場がそんな感じであることを知っておいていただいて、その上で書くのだが、つまり、いったいアマチュア無線という趣味は今どういうことになっているのだろうか。まずもって、昨今のインターネットや携帯電話の普及によって、遠く離れた見知らぬ人との会話を楽しむという、アマチュア無線ならではの楽しみはすっかり色褪せてしまった、と、こんなシナリオはうちの娘の理科にだって書けそうなくらい当たり前だが、とにかく、もはやメジャーな趣味とはいいがたい。

 ただ、カメラや自動車、バイクがそうであるように、アマチュア無線をやっていた人々のうち多くの主目的はどちらかというと中身ではなくガワのほう、つまり他人との会話ではなく無線機やアンテナといった道具モノを揃え磨き研ぎ澄ませる方面にあるのであって、趣味としてのアマチュア無線の衰退にあずかって力があったのはインターネットよりもむしろ「パソコンの普及」そのものであるかもしれない。昔なら電波の到達距離を競っていたはずのひとびとは、最近ではCPUのクロック周波数やADSLの転送速度の限界に挑んでいるのではないかと思うのである。仮にインターネットが発明されなかったとしても、やはりこうなる他なかったのかもしれない。

 この一年あまり、自動車で通勤することになって、ラジオをよく聴くようになった。電車であれば読書ができるのだが、自動車を運転しているとどうしても、CDで音楽を聴くかあとはラジオということになる。私が住んでいる街、東京から百キロという距離にいると、ラジカセでは無理だが自動車についているラジオなら(おそらく長大なアンテナが車の上に立っているせいで)どうにか、かつかつ東京のFM放送が入る距離である。聞けるラジオ局がNHKだけなどということにならずに済んでいるのだが、ちょっとした丘の陰になると雑音が混ざり、時にはまったく聞こえなくなる。そういう距離である。

 だいたいそんな感じの電波状況の中、機嫌よく国道を走っていると、ときどき腹の立つことがある。いや、腹が立つといってもその腹立ち度は「前の車が煙草の吸い殻を窓から捨てた」と同じくらいであり、だからしてせいぜい「もしこの車にフェニックス・ミサイルが積んであったら今撃ったな」と思う程度なのだが、それが何かというと、ラジオの声を圧して聞こえてくるダミ声、どうもトラックが積んでいるらしい、通信機の声なのだった。

 ラジオの声に混信するくらいだからアマチュア無線ではないと思うが、あれはどういうものなのだろう。結婚式場で司会者が使っているワイヤレス・マイクみたいなものかもしれない。イバラギ辺りでは放送がない広大な周波数帯を避けて、わざわざ私が聞いているラジオ放送に近い周波数で通信をしているわけで、なんとも遺憾である。もうちょっとヨコチョによけてくれたら、お互い幸せだと思うのだが。

 よく想像してみるのだが、もしも電波が目に見えるとしたら、どんな感じだろうか。全ての波長がぜんぶ目に見えたらうるさくってしょうがないだろうが、たとえば私が今朝聞いていた八一・三メガヘルツ周辺だけを見たとしたらどうだろう。東京のほうの地平線が、ぼう、と明るくなっていて、FM波なのでその色がかすかに変わっているとか、そんなところだろうか。気のせいか、雨が降ったり厚い雲が出ていると逆にラジオの「入り」が良くなるようで、きっとそういうときは雲に乱反射して上の方までずっと明るくなっているのだと思う。

 そうすると、トラックからの電波は月夜に懐中電灯を照らして歩いているような、そんな感じの「見え方」をしているのかもしれない。確かにオジサンの「え゛、ノボリ゛ゼン゛どーでずがー」などという声は、聞こえるときはラジオ放送を全くかき消して強く、明瞭に聞こえるのだが、どんなに長くても十数秒、時にはほんの二、三秒でふたたびラジオ放送の音の中に埋没してしまうのだ。近くなら新聞だって読めるが、百メートルも離れると月明かりのほうが強くという事情に似ているかもしれない。たぶんそういうわけで、あれは違法ではないのだろうと思う。

 それにしても心底不思議なのは、トラック放送のサービスエリアがそんな感じだとして、あの放送は誰が聞いているのだろう、ということである。聞こえる時間からしてせいぜい半径一キロ弱、この程度の電波では、ほとんど並走している車でないと、会話は難しいのではないか。赤信号で置いてゆかれると、聞こえなくなるのだ。

 中学生のとき、私の友人が「通信機を買った」というので、それは凄いと見に行ったら、トラックが積んでいるのと同じような免許なしで使える無線機で、がっかりしたことがある(近くの高速道路を通るトラックと話すのが楽しい、と言っていた)。しかし、がっかりしっぱなしでいずに、ちゃんと聞いてみるべきだったと思うのである。そもそも正式には何という通信規格なのかも知らないのだが、あれはいったいどれくらいの距離まで通じるものなのか、それで楽しいのかどうか、いったい何を話しているのか、それから、どうしてみんな似たような口調なのか。それこそついにアマチュア無線の世界から縁遠いままの私には、よくわからないところなのである。


※ 余談だが、実際のところ、FM放送の電波の「感じ」は、光よりも音に近いとも思う。八一・三メガヘルツの電波は、波長に換算すると(三〇万キロを八一三〇万で割って)四メートル弱である。これは音にすると九〇ヘルツくらいの周波数、標準のA音の二オクターブちょっと下の音で、だからこれくらいの周波数の電波の伝わり方は音に似ている、と考えてそんなに間違いではない。ちょっとした障害物を回り込んで、でも大きい壁は乗り越えられない、そんな感じである。
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