問題。「身一つ世一つ、行くに無意味、医薬なく」。これは何か。
知っている人は考えるまでもなくすぐわかるし、そうでないひとには解答を示してもあまり感心してもらえない、とまあ、そういったよろしくない問題かとも思うのだが、答を書くと、これはパイ、円周率の覚え方の一種を示したものである。最初の「みひとつよひとつ」で3.141、以下「いくにむいみ」が592653で「いやくなく」が58979となる。これで小数点以下一四桁まで覚えられたことになる。
この記憶法を私が知ったのは、たまたま買ったお菓子にこのマメ知識が付いてきたからである。円周率そのものはともかく、なぜ「どこで読んで覚えたか」などという些末なことを覚えているのかよくわからないが、そも記憶たるものは必要不必要でないのでしかたがない。母方の祖父母の家に預けられていた幼い私が、おばあちゃんにもらったお小遣いで買った近所の駄菓子屋のガムの包み紙に、上記のクイズ形式で覚え方が紹介されていた。長い夏の午後、一人神社の境内をうろうろしながら、この呪文を何度も繰り返し唱えた、などということを覚えている。
私と違って、そういうセンチメンタルな記憶に縛られていない人は、別の覚え方のほうがいいかもしれない。たとえば、
「産医師異国に向こう、産後厄なく、産児御社に(3.14159265/358979/3238462)」
はどうだろう。主観的にはこちらのほうがずっと有名な覚え方のように思えるので、最初のを知らなかった方もこちらならご存知かもしれない。「身一つ世一つ」の場合、「行くに」とか「医薬」の「い」が五だったか一だったかいつも悩んでしまうのだが、こちらにはそういう曖昧さは(「向こう」のところがちょっと苦しいことを割り引かないといけないが)ない。第一、同じような長さの文章で、産医師のほうが覚えられる桁数が七桁も多いのだ。
しかし、ここでハタと考え込んでしまうのだが、七桁多く覚えているというのは、どれだけ偉いのだろうか。そもそも円周率なんて得意げに暗記しているような人間はロクなものではないのは確かだが、あえて言うならば偉さはどれだけか。身一つが小数点以下一四桁、産医師が小数点以下二一桁だからおよそ一・五倍偉いというのは、まあ、一つの考え方である。しかし、こう考えることもできるのではないか。今ここに、直径一メートルの円があったとする。この円の周の長さを求めるためにパイを使うとして、覚え方の違いで誤差がどのくらい出るか。
円周の長さは直径かけるパイであり、身一つと産医師の出す答えの差は、従って小数点以下一五桁以下の差ということになる。書き下すと意外に分かりいいかもしれない。円周の長さの計算値は3.14159265358979メートル対3.141592653589793238462メートルで、0.000000000000003238462メートルだけ後者が真の値に近い。さてこそ、産医師の方が偉いわけだが、その差は答えの千兆分の一よりも、ちょっと大きいくらいということもできるわけだ。0.000000000000003238462メートルというと、3.2フェムトメートルと書けるが、これはだいたい原子核くらいの大きさである。原子核一個ぶん偉いと書いてこの小ささがわかってもらえるかどうか。
これは、私が「身一つ派」だからではないと思うが、差というような差ではない。直径一メートルの代わりに地球の直径を基準にしても、事態があまり変わらない差なのだ。この場合も両者の差は四マイクロメートル強で、目では見えない。数字を並べて書くと、つい、長さに比例して偉さが増してゆくような気がするが、当たり前の話、一つ右の数字は十分の一の価値しかないので、パイの海深く潜る作業はみるみる羽根のように軽くなる価値の中を進んでゆくことなのである。そういえば、計算機で円周率を長く長く計算した記録の桁数は、ギネスブックに載っているような話だが、前の計算機より一桁多く計算した、というしみったれたものではなくて、景気良く「前の結果の二倍の桁数」とか「前の結果の十倍の桁数」という感じになっているようである。
ところで、3.14か、いっそのこと「3」に比べて「身一つ」がどれだけ偉いかと言うと、差は1.6ミリメートルないし14センチメートルである。偉いことは偉いが、大した差ではなくて、後者の場合でも消費税(5%)ほどの差である。円周を計算するときは、まず「3」で暗算しておいて、あとで消費税を加える、と考えると意外に早く計算できるかもしれない。1978年ごろの私に比べ、この2002年に生きる私は、五パーセントを足す計算に不必要なまでに慣れ親しんでいるからである。