いちげんさんが通る

 学生時代、私は物理学科などというところにいたのだが、そこである先生が「ニュートン」という科学雑誌を評して、このようにおっしゃっていたことがある。
「話題一回り分買ったらもう読まなくていい雑誌」
 ここは一番用心深く、私はこの雑誌を全く読んだことがないのでわからない、と断っておいてから書くことにするが、要するに「ニュートン」は同じ話題を定期的に繰り返し特集しているので、長く定期購読すべきものではない、らしい。もちろん、科学というのは本来日々進歩するもので、紹介すべき新しい話題はなにかしら常にあるはずだが、もしかしてそういう新トピックス紹介雑誌とはちょっと違うのかもしれない。この講義で他にどんなことがあったかぜんぜん思い出せないのに、こんなことだけはずっと覚えている。

「ニュートン」はともかくとして、確かに、定期購読を前提としていない雑誌は世の中に存在する。毎月なり、毎週なり、定期的に出版してはいるのだが、同じ読者がずっと読んでくれると出版社側が思っておらず、いろんな読者に入れかわり立ちかわりで買ってもらえればそれでいいと、そう思っている雑誌である。こう書くと反射的に、定期刊行する雑誌でリピーターを放っておいて商売やってゆけるのか、と思ってしまうが、たとえば結婚情報誌「ゼクシィ」のことを思い出すと合点がゆくはずである。ふつう、これを買うのは結婚前に一回か二回くらいのもので、何号も継続して買うものではない。この情報誌、分厚い上に上質紙のカラーページが多くやけに重いため、あとで捨てるときになって必ずもてあますのだが、なにしろ一回しか買わないのでそういう学習が効かない。しかとは言えないが、みんなが買ってみんなが後悔しているような気がする。

 考えてみると、結婚に関連する業種は、たいてい客一人につき一回きりの商売で成り立っている業界である。一度試してみて良かったから次もまた、というものではない。そういう意味では、この手の商売は、いったん顧客を広告などの力でもって釣り上げて契約させてしまえば、後は野となれ、お客に不快な思いをさせてもある程度平気なんではないだろうか。今はインターネットなどというものがあって、個人の力が強くなっているからあまり勝手なこともできないだろうが、本質的にお得意様を大切にするよりも新規顧客開拓が大事な業種ではある。

 これと似たような商売はと考えると、不動産屋があるだろう。アパートなど部屋を探すときに仲介を頼むのだが、一つの不動産屋のサービスエリア内で何度も引っ越しを繰り返すことはあまり多くなくて、普通はいち不動産屋について各自一回ずつしかお世話にならないものである。契約をするまではライバルの不動産屋との間で天秤にかけられることが多いから、顧客サービスが不要とは言えないが、やはりアフターサービスが大問題になるとは考えにくい。

 さらに言えば、不動産屋の「顧客」は実は二種類ある。私のような部屋を探す一般客以外に、部屋を貸そうと思って不動産屋に仲介を依頼する大家さんも、不動産屋のいわば客なのである。なるほど、一般客のほうは一期一会と言ってもいいが、大家さんのほうは間借り人の出入りがあるたびに需要が発生するわけで、不動産屋を繰り返し利用するリピーターになる可能性がある。とすれば、もしもこの両者で不動産屋が板ばさみになる状況があったとして、どちらのお客が大事かと考えると、なんだかイヤな結論が出るのではないだろうか。

 去年の今ごろのこと、今私が住んでいるアパートの部屋を探すときに、家賃は八万円まで、という制約をみずからに課していた。というのも、会社が家賃の一部を補助金で補填してくれるのだが、家賃が八万円以下の時は家賃に比例して補助額が上昇するのに、八万円で頭打ち、それ以上部屋が高くなっても同じだけしかもらえない、という制度だったのである。私はなにも、会社に最大の損害を与えることを目的として部屋探しをしているわけではないのだから、安く満足できる部屋があればそっちを選べばいいようなものだが、人情として、七万円の部屋だと何か損をしたような気持ちになる。

 ともあれ、そうして、不動産屋をいくつも回って、これならばと思った部屋の家賃が、八万二千円だった。部屋代が八万円で二千円が共益費という内訳である。なんだかみみっちいことを事々しく書いているようだが、ここはそもそもそういうコーナーなのであって我慢しておつきあいいただくとして、まあその、わずかだが、予算よりも高い。オーバーした二千円分の価値はあると思うし、得がたい物件のように思えるので他人に取られないうちに契約してしまいたい、と考えていたのだが、不動産店の営業マンに向けて、突然妻が言った。
「予算が月八万円なんですが、二千円負けてもらうわけにはいかないでしょうか」
 不動産屋さんも驚いたろうが、私も驚いた。
「共益費に対して会社から補助が出ないものですから、共益費としてではなく、家賃のほうに二千円を含めて、家賃八万円、共益費ゼロとしてもらえるとありがたいのですが」
 言っちゃあなんだが、そんなの、まけてもらえるわけがないではないか。今や天下に恥じることない一介の労働者である私である、このへんの、家賃決定システムの仕組みはよくわからないのだが、たぶん八万円とか二千円とか決めたのは大家さんであって、不動産屋さんであるこの人は仲介をしているに過ぎないのである。借り手がつかなくて困っているならともかく、そんなのだったら借りてもらわないで結構、と言われたらなんとしよう。

 ところが、不動産屋さんはちょっと悩んでから、こう言った。
「わかりました、とにかく大家さんに連絡を取ってみます。しばらくお待ちください」
 不動産屋さんはいずこかへ向けて、いずこかというのは大家さんの実家さんなのだろうが、電話をかけはじめた。なかなかつかまらない相手に追いすがり、電話を回してもらい、断固として連絡を要求して、ようやく電話がつながる。電話の内容はよく聞き取れなかったが、しばらくして不動産屋さんが契約の席に戻ってきて、一言。共益費二千円がタダになりました、と告げた。前述のような力関係があって、こんな要求は絶対に通らないと思い込んでいたのだが、なんのことはない、部屋代というものは、交渉すれば負けてもらえる(こともある)もののようなのである。

 まず、つまりこういうことであった。世界には、論理的な効率だけでは割りきれないことがまだまだ多くあって、それがあればこそこの世は住むに値するのである。言うのはタダなので、次は、犬を飼ってもいいかと聞いてみようと思っている。


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