孤塁を守る

 単に「加速器」と言った場合、本当は「何かを加速する装置」という意味しかないのだが、普通はこれだけで電子や原子(イオン)、その他素粒子の類を加速する「粒子加速器」のことを指す。ヤカンでも洗濯バサミでも加速する装置はすべて「加速器」と呼んでいいはずだが、現実にはそんなものはないのでこれでいいのだ。ただ、加速器は英語では「アクセラレーター」なので、自動車の「アクセル」やパソコンの部品の一つであるグラフィックアクセラレーターは、もし日本語に直すなら「加速器」であり「表示加速器」なのかもしれない。

 余談さておき、物理学およびその他のいくつかの科学の分野ではこの加速器が、研究上重要な実験器具になっている。加速器はたいていは一つの建物クラスの大規模なものになるので、器具というよりは「施設」ということになるが、ではなぜ研究のために粒子を加速しなければならないかというと、一言で言って、粒子を別の粒子にぶっつけることでどう跳ね返されるかを測定できたり、ぶつけることで特別な粒子が出てきたり、あるいは粒子の性質が変わったり、加速した粒子を細い焼きごてのように使って使って患部を焼いたり、遺伝子を組み替えたり、それから電子の場合は軌道をぐいと曲げて出てくる光を他の用途に使えたりするからである。全然一言でないし他にも書き漏らした用途があるようにも思うが、それだけいろいろな研究に使える十徳ナイフのような道具だと言える。だからこんなにデカいのに建設費用が出るのだ(たいてい)。

 加速器の基本的な原理は、電気を帯びた粒子を電位差で加速する、というものである。要するにプラスとプラスが反発して、プラスとマイナスが引きつけあうアレなのだが、加速器が有用であるためにはより速い粒子を、たくさん加速しなければならないので、そこに工夫がある。坂道を転がるボールでたとえると、坂道の勾配を増してやるか、同じ坂道を何度も使って加速してやるかという区別がまずあって、坂道の勾配(つまり電位差)には限界があるので、よく使われているサイクロトロンやシンクロトロンのような加速器は、たいてい同じ粒子を高周波(これが何度も使う坂道)で加速してやる方式になっている。が、もちろんこれはいささか複雑な、調整の難しい装置になるし、それから坂道一発で加速する方式に比べて加速できる粒子の数が少ないので、初期の加速器はたいてい一段階の方式で、今になっても少しは使われている。そういえば、大きな電位差を作る方法として、昔は施設に雷が落ちてくるのを待って、その電位差を利用するというものもあった。何というか「ころり転げた木の根っこ」みたいな話ではないかと思う。

 さて、私が大学で実験をさせてもらっていた頃、大学にあって私が使える装置はこの一段加速方式の「バンデグラフ型加速器」というものだった。以下煩雑でどうでもよい話になるが、電荷を不導体のベルトに乗せて、モーターでこのベルトをぐるぐる回して物理的に電荷を運ぶことで大きな電位差を作るというもので、装置と地上との間で放電が起こらないように全体が不活性の高圧ガスの中に封じ込まれている。外から見ると縦に引き伸ばしたガスタンクのような形で、この中で凄い音を立てながらゴムベルトが回されるのだ。多段方式にはあまりないことだが、何かの不都合で地上電位との間に放電を起こすことがたまにあって、このときなどこの外殻全体が叩かれた鐘のような音を立てる。

 その晩、私は数人の仲間とともにこの加速器施設で自分の実験を行っていた。ちょうど先輩の一人が博士論文の発表会を行ったその晩で、いつもならうろうろしている他の仲間は全員楽しそうな「打ち上げ」に行っていてたいへん寂しい実験になったのだったが、だいたいにおいて人生とはそういうものであり私はあきらめて実験装置に向き合っていた。かなり古い実験施設の古い加速器ではあるが、それだけに枯れた技術によって磨かれ、整えられ、研ぎ澄まされた加速器は続々とホウ素の同位体を作り出す。そのホウ素同位体から出てくるベータ線の非対称性から、かっこうよく言えば自然界の仕組みについての何事かを導き出すために、私は中華弁当を食べ、実験をしていたのだった。

 午後一〇時を回ったころだった。降りだした雨が急激にきつくなってきて、施設の屋根を叩く雨音のあまりの騒々しさに覗きに行ってみると、これがもう豪雨になっていた。あれあれ、これでは飲みに行ったみんなは大変だな、傘持ってるのかな、と思いはしたが、幸いに実験施設は屋内なのであって、また実験を放り出して飲み会に合流する計画はないのであって、晩飯を食べた今となってはもう外に出る用事はない。二人ほどの仲間と共に、豪雨だねえ、ああ、豪雨だねえ、と言い交わして、粛々と実験を続けた。なにしろ、予定では実験はこのあと二〇時間くらいぶっ続けで行われるのである(それでもこの手の実験としては短いほうだ)。すでにここまで一日徹夜して実験準備をしたということもある。一刻も早く目的を達成して、帰って寝たいではないか。雨が降ってきたとして、それがなにほどのことがあろうか。

 というような極楽大作戦なことを言っていられたのはほんの三十分くらいだった。夕立のような激しさと突然さで降りだした雨は、その強さをまったく弱めることなく、一時間につき八五ミリという記録的な大雨になったからである。一時間に八五ミリが一晩続いて全部で四〇〇ミリくらいということは、つまり空一杯に、蜂の巣状にみっしりポリバケツを並べて、そこにひたひたに水を満たして、でもって今度はそのバケツを魔法でもってぱっと消したような雨ということになる。近所の大阪国際空港(そのときはまだ関空はなかった)は使用不能になり、低地にあった生協食堂は床上二メートルの浸水を記録し、阪急宝塚線石橋駅の線路上は水が川のようにごうごうと流れていたらしい。とんでもないのだ。

 そんな雨ではあるものの、後がつかえているので実験は続けなければならない。前述したように加速器にはいろんな使い道があり、こんな小さな加速器施設でも私が使い終わるのを待っている人がいるのだ。そういう意味では、やっぱり「なにほどのことがあろうか」なのである。しかし、もともと雨漏りに関して不安なしとしなかったこの古い実験施設のほうは、私のそんな心意気もお構いなし、この猛攻にほころびを見せ始めた。心配になって実験装置の置いてある場所に試料の交換に行ってみると、案の定施設の外壁からぽたぽたと雨漏りがしていた。しかもその場所は通電中の配電盤の直上であり、私は慌ててビニールのゴミ袋とガムテープで応急処置をしたのだが、装置のところに行くたびに雨漏りの量は増えてゆき、最後には蛇口をふつうにひねったくらいの水量が定常的に水しぶきをあげつつ天井から降ってくる事態になったのである。二百ボルトが配電されている配電盤の上を滝のように雨水が流れ落ちてゆく様というのは、なんというか尋常ではない。とはいえ、ショートして、実験装置が壊れたらそこで実験はお終いに決まっているが、なぜかそうならなかったので実験は続いていた。

 雨は降り続く。トイレに行ったついでに実験施設から外を見ると、施設の前の道が冠水していて、川のように水が流れていた。辛うじて実験施設そのものには水は入ってこなかったのだが、見ていると、靴の泥を落としたりする玄関マットが外に置かれているのだが、それが、つ、と浮いたと思ったら、つつつー、と流れはじめ、濁流に飲まれて、視界からはずれてどこかにいってしまった。ばしゃばしゃと水の中、雨の中に走っていって捕まえて「岸」に引き揚げればよかったのかも知れないのだが、目の前で十秒ほどの間にこれだけのことが起こった場合、あなた対処できますか。玄関マットに子猫でも乗っていれば、まだしも何かしたと思うが、私は何も見なかったことにして実験を続けた。そういえば、トイレもなにやらゴボゴボとあぶくを吹いて逆流をしていたのだが、急に用を足す必要を感じなくなったので、こちらも見なかったことになっている。

 言い忘れたが、雷雨である。これだけの雨は、激しい雷を伴って降っているのだった。雷というのは、普通は遠くで光ったり鳴ったりしているだけのものであって、広場を導電体の棒を持ってうろうろしているような、ゴルファーや野球選手や釣り人でもないかぎり、あまり関係ないものである。しかし、このときばかりは違っていた。どこに落ちているのやら、そしてそこでは何が起きているのやら、見に行けなかったのでよくわからないのだが、まずもって大きな音がするたびに何かが誤作動を起こすのである。しばしば起こるのは、火災警報のブザーだった。間違えて(あるいは「茶目っ気」を出して)押すと守衛所に連絡が行ってそれどころか直通で消防署にまで出動要請が届き、非番の署員はたたき起こされるわ消防車は来るわ半鐘は鳴るわ大騒ぎになるという噂の、あのブザーが落雷のたびにびぃびぃびぃびぃと鳴り響くのだ。ここのところ、やや興奮気味に書いているが、警報音は本当に恐ろしいのである。しかも、守衛所に電話して弁解しようとしたら電話が不通になっていたり、実験結果記録用のプリンターが突如意味不明の記号を印刷し始めたりしたので、たぶんホラー映画で最初の死人が出る直前の登場人物たちはこんな気持ちなのだろうな、と思ったりした。

 しかし、なんだか感動してしまうが、実験は続いていた。自分もよく勝手に落雷して止まるくせに、加速器自体はまったく影響を受けず、実験は続けられていたのである。停電でも起きたら止まらざるを得ないのだが、どこから来るのか大丈夫電気は来ていて、だからあらゆる装置がとにかく動いていた。後で判明したところによるとネットワークのケーブルに繋がっているハブが落雷で壊れていたのだが、その頃の実験装置はまだインターネットには繋がっていなくて、だからこれも平気だった。要するに、雨漏りはしていたが実験自体には影響はなく、落雷は続いていたが装置は無事で、ときどき電灯が暗くなっていたような気がしないではないのだがコンクリートと鋼鉄とガラスの巨人、加速器は動き続けていて、必要なデータは溜まっていったのである。そうして、やがて雨は止んで、パンツまでずぶぬれになった打ち上げ組が「ほうほうのてー」と叫びながら帰ってきて(※)、夜が明けて、太陽がのぼって、流れていった泥落としマットが泥に埋まった状態で見つかって、そうして、実験は明けたその日の夕方、午後六時まで続いて、終わった。私の砦、実験装置と加速器と私の実験はなんとなく守られたのだった。このとき得られた情報は、その後、私が修士になるための論文を書くのに使われた。

 先日、私が今住んでいる自宅の周りで、あのときのような雷雨があった。閃光が走り、窓が震え、電灯が暗くなったりついに二度ほど停電したり、アパートが豪雨に包まれたりしたが、まずあの時ほどではなく、しかもここは二階なのでまったくどうということはない。安心しつつ「渡る世間は鬼ばかり」を見ていたら、ぴちん、と何かが切れたような、あんまり聞いたことがない音がして、そちらを見たらISDNのターミナルアダプターのパイロットランプが全部消えて真っ暗になっていた。電源を抜いたり差したり、いろいろやってみてわかった。落雷で、完膚無きまでに壊れてしまったらしい。結局代替機を買ってこなければならなくなったのだが、自然の猛威に、むしろなんだか腹が立ったので、元を取るために思い出し思い出して書いてみた次第。あれから八年目の夏。


※(C)新屋健志2002。
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