透明人間の憂鬱

 インターネットと言えばポルノ、と思われていた時代があって、今もそう思っている人は思っているのかもしれない。指標の一つになるのかどうか、少なくともインターネット上、検索に使われる言葉やアクセス数のランキングで強いのは、やはり何らかの形で性欲に関連した語句でありページであるらしい。どうしてこうなるのだろう。人間とはそういうものだ、と言ってしまえば確かにそうなのかもしれないが、現実の周囲のひとびと、個々人を見ればそんなに性欲が強い人ばかりではない。少なくとも外見上はそう見える。みんな注意深く自分の性癖を隠しているのだろうか。あるいは、現実とネット上で、そんなに人は変わるものだろうか。

 かもしれないが、こんな説明の仕方もある。性的なコンテンツは確かに人気を集める。しかしそれは人々の興味の「深さ」ではなく「広さ」を反映したものだ。

 もう少し詳しく紹介しよう。いま、日本中の人に「あなたの一番の趣味はなんですか」と聞いたら、さまざまな答えが返ってくることだろう。「ジョギング」「俳句」「囲碁」「第二次世界大戦で使われた対戦車砲」等々、どれもそこそこのランキングに入るはずである、たぶん。ここで、誰が見てるわけでもなしここはひとつ正直に答えることにして、しかし本当に「セックス」とかそういった答えを返す人は、そんなに多くないのではないか。一意専心、そのことばかり考え続けられる人はあまりいないはずだ。

 しかしここで質問を「興味を十個挙げてください」というふうに変える。いろいろ出てくることだろうが、減るもんじゃ無しここはひとつ正直に答えていただくとして、これを集計すると、今度は何らかの性的な項目がかなり高いランクに入ってくるはずである。要するに、これは誰も少しは興味を持っていることなので、一位ではないにしろみんなから少しずつ得点を稼ぐことができるのだ。普通の趣味、たとえば「ジョギング」なんかだとそうはいかない。こういうものを自分の興味第一位に挙げる人はそこそこいるとしても、他の大多数の人にとっては完全に興味の範囲外になるのであって、これでは上位は狙えない。

 これはつまり、十点を付ける人が百人に一人いるよりも、みんなが一点付けるほうがランキング上位を狙えるということである。「対戦車砲」なんて聞いたことがない人はいっぱいいる。しかし父母の遺伝子の混交の結果生まれてきたのでない人は、どこにもいないのだ。余談だが、同様に、インターネットはコンピューターを使わないとアクセスできないので、コンピューターそのものについての話題も人気を集めている。これもおそらく深さではなく、広さを反映した現象であり、要するに、そのへんのことについて書けば、広い層の興味を集められるということなのである。これを利用しない手はない。

 さて、今回は大西科学において欠けている「そうした面」を補うため、透明人間のことを考えてみるのである。こういう話をしたあとで、透明人間の話をすると、つい「透明になってなにをするつもりだ」と思ってしまうが、実際問題として、透明人間になってすること、できることはあまり多くない。タイムマシンや宇宙旅行と同じくらい古くて、いろいろなところで再利用されているアイデアだが、タイムマシンや宇宙旅行に比べるとどうしても後ろ暗い想像が頭をかすめてしまう、そういうアイデアではないだろうか。どうだろう。個人的に「そうした面」が一番に来なくても、十番目くらいには入っている人は多いはずである。

 それはもう、透明になれたら嬉しい。いろんなことができる。できれば、透明になったり元に戻れたりというのが一番いいが、マスクをかぶったりファンデーションでも塗れば普通に目に見えるのだろうし、透明のままでもさほど差し支えはない気がする。では透明でどうしよう、親が見ているわけでなしここはひとつセキララに話すとして、ええと、そういう話をする前に、ちょっと片づけておきたい疑問があって、科学的に考えて、透明人間というものは存在しえるものだろうか。そういう切り口で話をするというと、実は私が昔読んだ本に「透明人間は目が見えないはずだ」という記述があって、感心した覚えがある。

 ピンと来なければ説明するが、透明人間が他人の目に見えないためには、二つの要素が必要である。一つ、すべての可視光を透過させること。一つ、空気と屈折率が同じであること。「片側の眺めと同じ映像を反対側に投影する」とか「見る人の脳に働き掛けて『見ているのに見なかったこと』にしてしまう」とか、そういう強引な技を使わずに、ストレートに人間を透明にしようと思うと、少なくともこの二つが必要だということである。コップは透明だが、目に見える。しかし、水の中に落とすとほとんど目に見えなくなる。これは、ガラスと水の屈折率が近いからである。

 もちろん、ここまでで既にかなり「科学的に無理」という話になるわけだ。水やガラスのように可視光を透過させるだけでなく、空気と同じくらいの屈折率を持つ、そんな固体や液体でもって人間を作るなんてことは、相対性理論をブッチする超光速航行より難しいとは言わないが、不老不死や恒星間植民よりもっと難しいことのはずである。端的には、そんな物質は今のところ考えられないのだ。しかも、その上、この二つの要素の両方が「透明人間の目が見えない」原因となってしまうのである。

 そもそも目が見えるということはどういうことかというと、目にある「視細胞」という細胞が光を感知し、神経に信号を送りだすことである。何かが光をせき止めて、そのエネルギーでタンパクが変質する。それを感知して、信号として送りだすしくみになっている。つまり、見るためにはまず光を止めなければならないのだ。それだけではない。視細胞の配列の上で外の景色が像をつくるためには、カメラがそうであるように、フィルムをぽんと放り出すだけではだめだ。レンズの役割をして光を集中させる装置〈※)と、レンズを通らない勝手な光がやって来ないようにするための暗室、その両方が要る。そして、レンズの屈折率が空気と同じではレンズの用を成さないし、暗室は光を通さないから暗室なのである。透明人間にはどちらも過ぎた持ち物だ。考えてみれば、小魚のたぐいに水中でほとんど透明なものがいるが、確かに目だけは黒く目立つ構造になっている。目は透明にはならない。

 という話なのだが、最近になってこのことをつらつら考えていて、この説にはある抜け道があるのではないか、と気が付いた。なにも、可視光線だけで考える必要はないのではないか。電磁波は可視光だけでなく、人間の目をごまかすためには可視光に対してだけ透明ならそれでいいのである。

 言い換えるとこういうことだ。たとえば、透明人間が赤外線視力を持っていたとすればよい。透明人間の目は赤外線を曲げて、像を結ばせる赤外線レンズと、赤外線が入ってこないようにする赤外線暗室、赤外線に反応する赤外線視細胞からできている。この赤外線レンズは可視光に対しては透明でしかも空気と同じくらいの屈折率を持っている。赤外線暗室は赤外線だけを通さず可視光はすいすい透過する。赤外線視細胞は赤外線だけを止めて信号に替える。ずいぶん都合がいいが、原理上はあって悪いことはない。普通の人が見るとこの透明人間は透明だが、透明人間のほうではちゃんと見えているわけである。可視光ではなくて赤外線だが、なに、かえって便利くらいのものである。

 バーホーベンの「インビジブル」という透明人間を扱った映画では「透明人間は目に見えないが赤外線モニタで感知できる」という設定だった。赤外線暗視装置のようなものを身に付けると、ちゃんとそこにいることがわかるのである。たぶん体温はちゃんとあって、放射熱を出しているのだということだと思うのだが、結局は「赤外線領域では不透明な透明人間」ということだから、彼ももしかしたら赤外線視力を持っていたのかもしれない。いやきっとそうだ、と私はいいたい。

 ところで、さっき「赤外線視力はかえって便利」などと書いたが、どういうふうに便利かというと、それはもう赤外線視力さえあればもしかして別に透明人間にならなくっても本望かも知れないてなものであるらしいのだが、詳しくは、ええと、なんだ、知らないしらない。赤外線が見えるとドライブ中霧が出てきても危なくないんだというようなことを書いてこの場をケムに巻いて去ってゆこうと思う。それにしても、こんな逃げ腰では新たに獲得した読者数より失ったものばかりが多いような気がする、今回の話であった。あっ、怒らないで下さいここはひとつお互い大人なんだし。


※ 例外として「ピンホールカメラ」というレンズがないカメラ装置があって、実際にピンホールカメラと同じ原理の目を持つ生きものもいるのだそうだが、これにしても「暗室」は必要である。
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