二人はいつまでも

 私が亡くなって、こういう形での妻との同居を始めてからもう五年が過ぎた。ときおり、特に長い夜、先に眠ってしまった妻の寝顔をぼんやりと眺めているときなど、ふと自分という存在のおかしさに妙な感覚を覚えることがあるのだが、今のところ私は、だいたい満足して毎日の生活を送っている。私という存在は、幽霊よりももう少し物質的で、科学的であることは確かだ。しかし、生きていると言ってもいいのかどうかは、よくわからない。

「あいつは死んだんじゃない、オレ達の心の中に生きているんだ」
 この言葉は、私の子供の頃の少年漫画でも、既にかなり陳腐だとされていた決まり台詞である。主人公のこの言葉とともに、青空にその仲間の笑顔がまぼろしのように浮かぶのだ。なるほど一回きりなら感動的かも知れないが、そう何度も使うべき言葉ではない。あの頃私が読んでいたような漫画の中では、敵との戦いで数週に一人は仲間が失われていたのだが。

 しかし、私が死んで以来のこの状況、発明者の名を取って「ニシムラ・イーガン共生」と呼ばれる私の境遇は、まさに「心の中に生きる」という状況にふさわしい。私は今、妻の脳の一部を使って考え、記憶し、自分の外骨格を動かしているのだ。

 生きている私の最後の記憶は、ある日曜の午後、行き付けの本屋から出て道路に出た私のほうに向かって、するすると走ってきたRV車の姿だ。あれ、ブレーキかけないのかな、とふと思ったそのあと、舌がしゅっと乾いて、耳がつんとして、視界がぐるっと回って、そして、真っ暗な闇の中にいる自分に気が付いた。生前の私は一度も意識を取り戻さなかったらしいから、その時はもう、私は妻の脳の中にいたのだと思う。

 後から知ったことによると、交通事故で私を殺した人(の父親)は大した資産家だったらしい。その賠償金と、生命保険料でもって、妻はNE手術を受け、標準型の外骨格を買った。そうして、私を自分の中に完全に受け入れることにしたのだそうである。私はこの決断を立派だと思い、なかなかできないことだと思い、感謝しているいっぽうで、立場が逆だった場合に同じ決断を自分もできるのか、少し疑問に思っている。いくら幼稚園から数えて四十数年の付き合いだといっても、自分の脳の一部を切り取って相手に差し出したりできるものだろうか。どういう愛情によるものか。実はこのあたりの疑問は、一度ならず妻に打ち明けたことがあるのだが、妻はそのことについて、何も言わず、過去四十年そうだったように、ただ笑っただけっだった。

 ともあれ、妻は成し遂げた。妻の脳のうちまだあまり使っていなかった部分(そういうところがみんなにあるのだそうである)の埃が払われ、私というソフトウェアのためのパーティションが切られ、「私」がインストールされる。脳のその部分に外科手術で無線インターフェースが移植され、複雑微妙な配線をナノマシンの魔法が解決すると、私は妻の脳の中で目を覚ました。そして、外骨格を自分の体の代わりに動かして、間借り生活を始めたというわけである。

 そういえば、小さなことだが、この「外骨格」という代物も、私の悩みの種となっている。私は妻の脳の一部を使って、考えたり、記憶したりしている。しかし、といって「私」を妻の体躯とつなぐわけにはいかない。一つしかない筋肉を二人で使うことになると、二人三脚か二人羽織かということになって、危なくってしかたがないからだ。そうではなく、私の脳(いや、妻の脳のうち、私が「いる」部分)に入る神経は、無線電波の形で一旦外に出て、人型のロボットである「外骨格」を操作している。私は外骨格が見たものを見、聞いたものを聞き、外骨格を通して歩いたり喋ったりするわけだ。こうしていると、当然なような不思議なような、私は「外骨格の中に自分がいる」というふうに感じるようになるのである。あなたも自分が本当に目玉の後ろにある灰色のプリンの中にいるのかどうか、一度は考えてみたほうがいいと思う。

 それはさておき、私の悩みは、この外骨格が今ひとつ、完璧に私の体のシミュレーターになっていない、ということである。たとえば、あなたが何か体の調子が悪いとする。どうも肩が重くて、上がらない。足が痛い。こういうときにあなたがすることは、とりあえず放っておいて調子を見ることだろう。今の私は違う。外骨格は複雑とはいえマシンなので、放っておいても悪くなりこそすれ良くはならないのだ。ナノテクかなにかを使って自己治癒力を持たせた外骨格もあるのかもしれないが、さすがに妻にもそれは買えなかった、らしい。経済的な問題なのだ。

 そしてもう一つ、外骨格は私に空腹感や味覚を与えてはくれない。私が本当にいる部分、妻の脳のその部分が必要とする栄養は、当然妻の内臓で作られ、運び込まれたものである。外骨格に食べたり味わったりする能力はないので(外骨格は小型の原子力電池で動いている)、私は妻に食べてもらわないといけない。私は、妻の感覚神経をちょっといじって、せめて味覚だけでも「私」に配線しておいてくれたらなあ、とよく思うのだが、なかなかそうもいかないらしい。そういえば妻は、納豆などというものが好きだった。だとすれば、いやしかし、納豆でもいいから味わいたいときもあるのだ。

 しかしまあ、そういった問題は小さなことであり、もともと味道楽な人間でもなし、私は妻の脳がいつかすり切れる日まで、延長された二人の人生を、NE共生を楽しんでいる。私の境遇はそういうことだから、妻には長生きして欲しいと思う。利己的にも利他的にも、それが今の私の正しい願いだ。

 そうだ、これは書いておかねばならない。今の「私」は、事故に遭い脳死寸前だった私の脳からサルベージした「私」と、妻の脳の中にもともとあった「私」という存在を混ぜ合わせて構成されたものだ。この後ろ半分、ニシムラ・イーガンの「イーガン」の部分だそうが、私にはどう考えていいのか、よくわからない。誰かと長い間一緒にいて、姿を見たり言葉を聞いたりしていると、誰の脳にもその人の脳の内容の一部が、鋳型のように刻み込まれるのだ、という説明も聞いたが、ピンと来ないのだ。

 なるほど、確かに妻との付き合いは長い。会話というのは、要するに自分のことをわかってもらおうという行為だから、折に触れ、私は妻に自分の一部を、言わば少しずつコピーしてきたのかも知れない。しかし、今の私の半分が妻から出来ているという感覚は、どうもあまりよい気はしないのである。肉体的な意味ではなく、ソフトウェア的な意味だが。

「このテレビ、前に見たよね」
「そうだっけ。私は覚えてないな」
 と、外骨格のスピーカーを通じて私は言う。妻が私を見て、笑った。
「見たってば。忘れちゃったの」
「サルベージしそこねたのかもしれないなあ」
 これは私の新しい冗談だ。確かに新しい私の脳は前の脳よりも小さい領域のものだが、脳というものはそういうふうに働くものではない。記憶についてもその通りで、サルベージの不完全さは、何かを忘れるようにではなく、全体に自分が「薄くなる」という方向に働く。何か忘れていることもあるのだとは思うが。
「あなたってば、いっつもそうなんだから」
 二人の間で、コーヒー茶わんが一つ、ゆったりと湯気をあげている、いつもの夕べ。

「あっ、そうだ。今度バスケットボール見に行こうよ」
「え、どうしたの急に。サッカーでも野球でもなくて」
「うん、バスケ」
 無駄な抵抗かも知れないのだが、そういうわけで私は、ときどき、思っているのと逆のほう、自分がしたくないと思っていることを、やってみる。それが自分を自分であるように、妻の中にあった「鋳型」以上の何者かにするのだろうし、それに、いつも何か意外なことが起こる夫婦というのも、それはそれで、素敵ではないだろうか。たとえそれが「トンカツじゃなくて焼き魚定食にする」という程度のことにしても。いや、焼き魚でもいいから、食べてみたいと思っている今の私にとっては、そんなに意外なことではないのかもしれないのだが。


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