テレビの研究

 不確かな筋からの情報によれば、テレビアニメ「サザエさん」のエンディング、サザエさんがお菓子を放り投げて食べ、喉に詰まらせるシーンがジャンケンに変わったのは「子供が真似をしたらどうするのかという抗議を受けた」あるいは「実際に真似をして重体になった子供がいた」というようなことは何もなく、特に理由はないのだそうである。単にスタッフが飽きたからジャンケンにしてみた、ということなのだが、いやいや、本当はどうだかわかったものではない。真実飽きて変えた場合もそう言うだろうし、実は抗議を受けていてそのことを隠したい場合にもやはり「特に理由はありません」と発表するだろうからである。

 というような人間不信なことを書きたいのではなかった。サザエさんのエンディングがジャンケンになって、ここにある種、なんというべきか「研究」する余地が生じたのは確かである。私の知るかぎり、このジャンケンを毎週記録し調査する、というアイデアについて最初に言及したのは小原愼司氏(『菫画報』)だが、その後もおそらく独立に同じことを考えた人をみかけたこともあって、広いインターネット、探せば本当に調査をし、傾向を導いた人もいるにちがいない。

 この研究は、科学的と言えるだろうか。「何か順番があるのではないか」という仮説を立て、番組を毎回チェックし、動向を記録し、法則を打ち立てるという手続きは、まさに科学的である。ただ、対象が自然のものではなく、背後に誰か番組を作っている人がいるのだから、注がれる情熱がむなしいような気も、少しする。「リバースエンジニアリング」という言葉があって、これは買ってきた商品を分析して背後の技術を習得し、同じものを作る技術を得る、ということだが(たとえば種子島に伝来した鉄砲を分解して同じものを作る技術を習得する、などが例)、テレビの研究は本質的にこれと同じで、はっきりいってしまえば、建設的ではないと言えるかもしれない。

 なんだか辛いことを書いた気がするが、人間、建設的なことばっかりやっているわけではないので、そういえばこのサイトだって要するにそういうサイトなのであり、なに、むなしくてもどうということはない、楽しかったらそれでいいのである。なにしろ私が言うんだから間違いないです先生。サザエさんジャンケンは三つに一つなのであまり面白くないが、テレビの研究ということでいうと、こういうのはどうだろうか。

●天気予報の分析
 気象庁は「降水確率五〇パーセント」と言った場合、同じ気圧配置の日が百日あったら五〇日は雨が降る」と説明している。しかしこれは、いわば「天気予報が正しい」とした場合であり、本当に降水確率五〇パーセントの場合に五分五分の確率で雨が降るのかどうかは、あまり深く研究されていない気がする。そこで、毎晩の特定の天気予報をテレビでチェックし、次の日の天気とあとで照合して、どのくらい「五〇パーセント」が「五〇パーセント」なのか、調べてみよう。どうも「九〇パーセント」は必ず雨で「一〇パーセント」はかならず降らない、という気がする。たとえば一〇回に一回雨が降るようには思われず、もっと少ないような気がするのだが、どうか。べつに官僚が雨を降らせているのではないので、これはかなり「自然科学」に近いのだが。

●地震速報の分析
 地震を感じたら、素早くチャンネルを変え続け、どのチャンネルで最初に地震の速報が出るかを記録する。どこの局が最も地震情報に敏感だろうか。ただ、東京にいたときには小さな地震でも素早くテロップで報じられたのに、水戸に住んでいるとかなり大きい地震を感じてもテレビではまったく報じられないことが多いような気がする。要するに「テレビ局の人が地震を感じたら情報が速くなる」という傾向があると思うのだが、ええいそれならそれで結構。それがデータで裏付けられたら面白いではないか。

●星占いの分析
 朝の番組でどの局も手を染めている「星占い」なのだが、これに何か傾向はあるか。星座によって順位をつけるという考え方がそもそもどうかしているという言い方もできるが、これが放送局によって番組によって全く異なる順位になる、というのはまあ、さもありなんという事柄であり、目くじらをたててもしかたがない。しかし、同じ星占いを毎日チェックして、どの星座がどのような順位変動をしているか、ある二つの星座でどちらが上位に来るかに不公平はあるか、特定の星座同士で一緒に上位/下位に来る傾向が存在するかどうか、研究すべきことは驚くほど沢山ある。「ラッキーアイテム」が何に関連したものか、という統計は、どうも骨折り損になりそうな気もするが。

 あるニュース番組で、一週間のワイドショーを集計し、話題別に放送時間でランク付けする、という企画があって、なんだか自己中毒的だなあとは思うけれども、同じ情熱から来るものだろうと思う。記録し、集計し、分析する。仮説を立て、検証し、また別の仮説を立てる。それには科学そのものが持つものと同じ、否定できない魅力があると思うのである。私が小学生で、これから夏休みで、自由研究の課題に困っていたら、ぜひこういう研究をしてみたいと思うのだが、いかにも今は春休みで私は三二歳なのだった。早く娘が小学生にならないかなあと思う。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧へ][△次を読む