借りを返すとき

 五年近くつけていた日記をふっつり止めてしまったのは、この「大西科学」の更新をはじめたからだ。日記と雑文。将来の自分のため、日常の細かな事どもを忘れないように書き留めておく作業と、ちょっとした思い付きを膨らませてひと下りの文章にする作業は、違った種類の事柄のように見えて、実はやはり脳の似た領域を使うものであるらしい。同時に進めようとすると、どちらかが億劫になってしまうのだ。

 いや、だからといって日記をやめねばならないということはない。サイト更新のほうを止めてもいいようなものだが、考えてみれば、このページの記事にはいちいち更新日時が添えてある。書いた本人である私が読み返せば、そこは脳の記憶システムの有難さ、過去のある年月日の前後、自分が何を考えていたか、どういうことを面白がっていたかについて、おぼろげながら思い出すことができるのである。であれば、どちらか止めるとなれば日記ではないか。

 という一連の思考のもと、結果としてはこういうことになっているのだが、今になってみると少し考えが甘かったかもしれない。最近になって過去の文章を一通り読み返してみたところ、その当時自分が何をやっていたのか、まるで思い出せないのだ。そもそも、私は「最近の研究内容」を書くにあたって、どちらかといえば時事に即しない、いつ読んでも古びない文章を書こうとしてきたのではなかったか。そしてその努力と、過去を思い出す「よすが」という目的とは、正しく反対方向を向いているのではあるまいか。

 とはいえ、徹底的にそうした、古びない文章を書こうとしているわけではなくて、その時の流行風俗といったものを知らないとわからないものも結構ある。テレビのあれやこれやについて書く場合なんかがそうで、特にコマーシャルについて書くと、自分が面白いと思って書いたことも、なんちゃないすみやかに色あせてしまう傾向にあるようだ。日記代わりの性能を持たせるためには有用だが、あとから読み返してみるとやはり完成度が低い印象がある。せっかく日記ではなく雑文なのだから、なるべく後から読んでも面白いものがいいと思う。

 と言いながら今回はまたテレビのコマーシャルについて書くのだが。えー「アイフル」のテレビコマーシャル、チワワの出てくるアレの話だ。後で自分で読むときのために慌てて補足すると、平成一五年六月現在、この話は既にうんと古びた話題であり、ヒットしたと言っていい「チワワと目が合ってしまったボーナス前のお父さん、どうするアイフル」の続篇(娘の結婚式で犬人おそろいのタキシードを見ちゃってどうするアイフル)が出て、しかもそれからさらにかなり経っている。にもかかわらず、ええいこの話題だ。

 批判はいろいろ見聞きした。気軽に借金する状況を作り出そうとしているとか、現実にチワワが欲しくて消費者金融を頼る人はいるのか、とか、チワワといえど犬であり生き物であり気軽な気持ちで飼いはじめる風潮を助長して不幸な犬を増やすことになるのではないかとか。まあ、アイフル側からみればまさに気軽に借金して欲しいのであり、生活苦のあげくに借金するよりは次のボーナスまでの「つなぎ」に思い付きで使ってもらいたいのだろうから、コマーシャルの意図は達成されているのだろう。

 消費者金融の戦略上、おそらくこの「気軽につなぎで使ってもらう」というのが最高に有利な取引きのはずである。どうも「サラ金」と言えば生活苦、多重債務者、自己破産といった単語が思い浮かんでしかたがないが、貸すほうとしてはなにも借り手にそうなってほしいわけではなく、常識的な期間借りてもらって、決まり通りの合法的な金利を含めてしっかり返してもらうほうがずっといいのだから、他に借金などない普通の人にちょっと使ってもらうのが理想であるはずである。このへん、普段使っていない人に使って欲しい、逆に日常的に使っている人にはあまり使って欲しくない、という妙なことになっていて、新規顧客を常に開拓していかないといけない、厳しい職種である、ように思う。

 そういう戦略の反映するところなのだろう。同業他社に「ノーローン」という会社があって、ここでは借りてから最初の何日かの間、金利がゼロになる、らしい。いや、私も借りたことがあるわけではなくて、東武東上線の電車の中で壁に貼ってある広告を見てそんなものかと思っただけなので、詳しいことは知らないのだが、テレビでもコマーシャルをやっているのを見たので、本当にそういう会社があるのは確かだ。借りて、一定期間が経過するまえにすぐ返すと、まったく金利を払わなくてよいそうである。

 一定期間利子がつかないキャンペーンが、気軽に使ってもらうための雰囲気作りを効果的に成し遂げているに違いない、という考察はともかくとして、これでこの金融会社の儲けになるのかどうか、どうも不自然な感じがするのは確かだ。私が広告から読み取れなかっただけで実際にはなんらかの手数料を取られるのかもしれないし、一人あたり何回までという回数制限はなければならない気がする。しかし、そういう制限があるとしても、たとえ一瞬でも利子を取らない期間があることで、なにか重大な法則を破っているように思われてならない(だからこそ広告効果があるわけだが)。

 ただ「一定期間利子無料」というしくみ自体は、自然界全体を見回すと、思うほど不自然なものではないかもしれない。たとえば「量子ゆらぎ」がある。これは素粒子レベルの、小さな世界での物理現象なのだが、なにもない空間に、ふと対の粒子が現れて、すぐまた対消滅する、という現象が実際に起こっている。このためのエネルギーはどこかから借りてこられて、すぐ返還される。粒子の生成にはエネルギーが必要だが、粒子が対消滅するとちょうど同じだけのエネルギーが発生するので、利子さえつかなければ(そして、つかないので)帳尻は合うのである。不確定性原理によれば、この返済期間と、借りてくるエネルギーの積がある定数以下なら法則上禁止されていない。いや、実際に見たことはないが、そういうものらしい。この文章ではあんまり深い意味はないが、式で書くとこんなものだ。

(ΔE×Δt)〜h

 この式は、非常に大雑把に言うと、時間が短くてもよければ大きなエネルギーを、エネルギーがちょっとでよければずいぶん長く、どこかから無利子で借りてこれることを示している。なにぶん「h」というのが非常に小さな値なので(約六・六かける十のマイナス三四乗ジュール・秒)これを知ったからといってエネルギー問題が一挙解決、といかないのが惜しいところだが、自然がこういう融通の利かせ方をするのは、面白いことだ。実は詳しくは知らないのだが「この宇宙はゆらぎから始まった」という説があって、だとするとこの世界全体もまた、なにかからある期間借金していることによって生まれ、いつかは返済すべき借り物なのかもしれない。

 宇宙はさておこう。これを「ノーローン」に適用してみると、どうなるだろう。「借りてくる金額」と「借り入れ期間」の積がある値に収まれば、借り入れ額を自由に選べるとしたらどうか。いや、現実の消費者金融にはそうした機能はないに決まっているが、資本金の運用効率というのは結局、金額×期間で決まるので、あながち無理のある話でもない。事務にかかる手数やいろんなリスクを度外視するとしたら、百人の客に一万円ずつ百日間貸すのと、百万円を一日交代で次々と百人に貸すのは、貸すほうとしては同じことだ。

 こうなる。たとえば、基準を一週間の間、無利子で五〇万円貸してもらえるとすると、一日なら三五〇万円借りられることになる。たいしたことはない。それはそうだ。では、一時間ではどうか。八四〇〇万円である。一時間だけ、一等地に家が建てられる(気になれる)。三億円借りられるのは一七分弱で、結構長い。日本国の国家予算(一年分)と同等の八二兆円を借りたら、〇・〇〇四秒弱のうちに返さなければならないので、やはりわが国はたいしたものである、といえるかもしれない(このうち四割くらいは国債だけれども)。日本国民一億二千万人がかわりばんこにこの消費者金融でお金を借りれば、1兆円くらいを一年間、無利子で借りられる。やっぱりたいしたものであって、われわれはせっかくのこの制度をなにかに生かすべきではないかと、ちょっと思う。

 さあ、そういうわけで、書きたいことはだいたい以上なのだが、ちゃんと時事に即して書いたにもかかわらず、この文章を後から読み返すと、やっぱり何を考えているのかよくわからない文章になった。それどころか、もしや「この当時私は借金について真剣に考えていたらしい」と思われてしまうのではないか。そういう疑いをぬぐいきれないので、以下、私以外の読者の皆様には極めて蛇足ながら日記もつけておくことにしよう。今日は、朝5時に子供に起こされました。朝ご飯はパンでした。午前は設計の仕事をして、お弁当を食べ、午後もお絵かきの仕事をしました。帰ってから晩ご飯に冷やし中華をたべました。とてもおいしかったです。


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