その日が平日である限り、平均株価なるものが、ニュース等を通じて必ず伝えられている。この身近なような身近でないような、株というものを、どういうふうに考えたらいいのか、どう距離をおくべきか、といったようなことについて、なかなか考えがまとまらずにいる。
興味の地平線があまりにも近くにあった学生時代とは違い、いまや私もやせても枯れても社会人である。ここのところは「太っても枯れても」等と書くべきかもしれないが、ともかくもう大人なのでそんなつらいことは言わないで、株のしくみについて、だいたいのところは分かったつもりでいる。理解の浅さを暴露するようで恥ずかしいし、やや冗長になるが、書いてみよう。
まずもって世の中には「株式会社」と呼ばれる会社の形態がある。株式会社は株券を発行して、その対価を資本(もとで)として経営されている。株券を買った人は、その見返りとして一定期間ごと、会社の利益に応じた配当を受け取ることができる。また、株主総会という会議が開かれ、株主は会社の運営に対して意見を述べることができる。
当然ながら、配当の多寡はその会社の経営状況(儲かっているかどうか)によるので、いろいろな会社の株はそれぞれ一様な価値をもつわけではない。配当がうんと期待できる会社の株の価値は高くなり、一方、利益がなく配当が出ない会社は株の価値も低くなる。会社の現在の状態や将来への期待を反映して株の価値が上下することになるわけだが、この実勢価格が株価であり、証券取引所で売買されている株の価格である。ワオ。
ワオ、で終われば幸せなのだが、ここからが、なんとなく私が「株」というものをうさんくさく思ってしまう面である。この株価は、安定しているとはいえない。毎日のように上がったり下がったり、あっちへこっちへと小突き回され、一日につき数パーセントくらいの割で動き回っているようである。それはいいのだが、こういう状況を背景にすると、ここでマネーゲームというべきか、一種のギャンブルが可能になる。会社の状況や配当には関係なく、株価そのものの上下を見定めて、安いときに買い高いときに売ることで、利益を出すことができるのだ(※)。
しかしそもそも、会社の状態というものは、常識的に言って、そうそう毎日数パーセントも変化するものではないと思う。ずっと長期的に、まず一年くらいかけて少しずつ悪くなるとか良くなるということはありそうだが、昨日退社した会社と、今日出社した会社の従業員や仕事の内容や取引先との関係が、数パーセントも違っているとはちょっと考えにくいのである。そこが現実として、連日のようにガタガタ上下に振動しているのは、たぶん、会社の本質とは関係なく、株価を活発に売り買いし、短期的な視点で儲けを出そうとしている人がある程度多い、ということではないかと思う。
もちろんそうではないかも知れない。何度も言うように私の理解が及ばず、実はこの値動きもちゃんと勉強すれば腑に落ちるものであり、鈍いプレイヤーにとっても株式市場は十分に報いることができる投資先であるのかも知れないのだが、なにか難しいルールや定石がたくさんありそうなゲームに付き合ってはいられない、お金を預けたくない、と思うのは自然なことではないかと思う。得をせずにいることは損をすることではないのであり、株価が下がったときに悲しまずに済むならば、株価が上がったときに嬉しくなくても平気だと思うのである。
どうにも煮え切らない話を長々と書いた。私がこうしたことになんとはなしの怪しさを感じている、ということだけ分かってもらえれば良かったのだが、ここでわざわざこんな話を取り上げたのは、この投資法の一つとして「ドル・コスト平均法」という話を聞いたので、それについて書きたかったからである。
私の勤めている会社にも「持株会」というものがあり、給料の一部を天引きして自社の株を買うことを推奨している。給料の一部を自社株購入に当てるという、制度としてはそれだけのものであり、自社の株がもし上がれば大きく得をするかわり、長期的に下がっていけば老後の食卓から一品おかずが減る、という、なんかそういうものである。これも賭けには違いないが、貯金を取り崩してやるのではなく積み立てに近いものだし、社員は無茶な売買をしないから、会社にとっては有難い制度なのだろうと思う(その証拠に、持株会に入ると奨励金なるものが出る)。少なくとも、社員と会社の利害が一致するのは一般的に言っていいことだ。
この持株会の説明に、持株会の投資法は「ドル・コスト平均法」にのっとっているので有利である、というのがある。私なんかはもう、わかった悪かったごめん、と言い残して帰ってしまいたいほどの、うさんくさーい気持ちになるのだが、妻も子もある太った社会人はそんなことではくじけていられない。説明を読んでみよう。
長期間にわたって株を買いつづけるときに、二つの代表的な方法がある。一つは毎月同じ株数だけ買う方法、もう一つは毎月同じ金額だけ買う方法である。普通の方法である前者に対して、後者の一定額買う方法、つまり「ドル・コスト平均法」は、いくぶん有利な買い方であり、取得一株あたりにかかったお金が安くて済む。実際に、ある四ヶ月に、一〇〇〇円だった株が一二五〇円に上がり、八〇〇円に下がった後一〇〇〇円に戻る、というような局面を考えると「毎月一万円ずつ買う」ほうが「毎月一〇株ずつ買う」よりも安くたくさんの株数を手に入れている、と紹介されている(確かに計算上そうなる)。
しかし、そうだ。私の中の「ギャンブラーとの付き合いは嫌だ」と感じるのと同じなにかが、こうささやくのである。こういう手法に有利も不利もあるわけがない、絶対に有利な方法があればみんなそれを使うのであり、つまりあるのはせいぜい「普通の方法」と「不利な方法」の二つだけに違いないのである。本当に片方が有利なのだろうか。上の例だけ、たまたまそうなるのではないか。
よし、とくと考えてみよう。毎月一定株数買う場合と、毎月一定額買う方法は、どちらも「売る」ということは考えないので、株価の動きにはあんまり関係ない。ずっと上がっていても、ずっと下がっていても、はたまたぎくぎくと上がり下がりしていても、ずっと「買う」には違いないのである。その意味で、ゲーム理論で言うところの「無反応戦略」であり、ジャンケンで言うとずっとグーを出しているような手の出し方である、とは言える。
だから、とりあえずお金の動き方にはなんの意味もない。一ヶ月ごとの株価を表にして、それを安い順に並び替えてしまっても買い方が変わるわけではないのである。さらに言えば、八百屋の棚に安いリンゴと高いリンゴの両方が並んでいて、両方を買う、というのと同じである。リンゴの品質にはこの場合差がなく、どっちを買ってもいい。
買い方になんらかの戦略があれば、たとえば「株価が千円を切っていたら買うが千円以上では買わない」というような方式を取れば、これは安いリンゴだけ買うということになるのだろう。しかし、未来は渾沌として読めないので、この境界値を決めるのはもはや一種のギャンブルである。だから両方買おう。「毎月一定株数」はどちらも同じ個数だけ買うという戦略である。一方「毎月一定額」は、安いリンゴをよりたくさん、高いリンゴを少しだけ買う、ということになる。なるほど「ドル・コスト平均法」は「毎月同数株を買う」よりも確かに有利だ。
株は、本当は百株や千株といったまとまった数でしか売買できず、自分が給料から出せるお金はさして多くない。だから「毎月一定額」買おうと思っても、端数が出たりそもそも百株なら百株買うための最低額に足りないなどで、そうはいかないわけだが、持株会の場合、加入者全体の積立金をまとめて購入に使えるので、このへんの困難がうまく回避できることになる。持株会の責任者は、ただ、毎月、加入者から集めた積立金で、買えるだけの株を買えばよい。これで自動的に「ドル・コスト平均法」になるのだ。
考えてみると、むしろこのシステムで「毎月同株数を買う」とするほうが難しいので、「ドル・コスト平均法」が有利ですよ、と宣伝するのはちょっとずるい(ありえない「不利な方法」と比較している)と言えるかもしれない。ただまあ、この方式が可能になるのは確かに持株会のような組織的な購入ならではなので、間違っていないとも言える。こういう会に加入することで、比較的堅実に、株を買ってゆくことができるのだ。なるほど。
ところで、ドル・コスト平均法が、毎月決まった株数を買う、に比べてずっと得になるのはどういう時かというと、リンゴの価格に大きく幅がある場合、つまり株価が大きく上下をしつづけた場合である。長期にわたって株価が安定している場合は、あたりまえの話、この両者の差はほとんどなくなる。してみると、この持株会もやはり、ギャンブルの手の込んだ一変形に過ぎないのかと思ったりもするのである。私は首を捻っている。してみると、自社が安定しないほうが社員にとって有利ということになってしまうのだろうか。奇々怪々である。やはり株には手を出さない、という戦略が正しいような気もするのだ。