私の子供の世代は、生まれたときから家にプレステなりもっと進んだゲーム機があって、いいなあすごいなあ、と思っていたのはもう四、五年も前のことである。こうして子供ができてみると、なんだいどうだい今うちにはゲーム機がない。私自身ゲーム機で遊ばなくなったので、うちには今ゲーム機がないのだ。これだけを取り出すと七〇年代はじめの子供だった私自身の環境とほとんど変わらない、ような気もする。
しかし、もちろん変わったものはいろいろある。一つ例を挙げると、スイッチやレバーのたぐいが非常に増えた、と思う。リモコンひとつとってもテレビビデオDVDプレイヤーに衛星放送のチューナーCDプレイヤーのものが居間に転がっているし、パソコンのキーボードを眺めなくとも、掃除機一つ取っても今は通常動作だけで三つ四つ操作ボタンがあるのである。案の定私の娘はこうしたボタンのたぐいが大好きであり、自動車の運転席に座って手の届くさまざまなレバーやつまみ、ボタンをいじっているだけで、けっこう幸せな気分になれるらしい。
この「私に操作させてくれ」というのは、娘を見ているとかなりプリミティブな欲求ではないかと思うのだが、どういう理由によるものだろうか。人がやっているのを見るだけでは、もう一つ満足できないらしいのである。考えてみると、ゲーム機またはコンピューターゲームの持っている魅力も、要するにこの「私に操作させろ」というものかも知れない。他人のやっているゲームを脇で見ているときの、あの「私も」という気持ちは、いったいなんだろう。
みんな一度は思うことだろうが、私も考えた。もしもこの世界が、私以外はすべて本当は人間ではなく、役者が演じているのだったらなんとしよう。結局、私たちはそれぞれ自分の体に閉じ込められているので、この疑惑には原理的に反論するすべがないのだが、こんなふうにも考えてもみたのである。この世界は一種の仮想現実であり「私」がプレイしている長い長いゲームである。人間の姿とは似ても似つかない高次の存在である「私」は、父親に買ってもらったロールプレイングゲームを今遊んでいるところなのだ。後ろでは弟が、次は自分の番だと待っている。
これが真実であろうとそうでなかろうと、そのこと自体はどうでもよい。ここから得られる一つの教訓は「自分を操作しているのは自分だ」ということである。人生のゲームに分岐があったとして、そのどちらを選ぶかは基本的にプレイヤーである自分の双肩にかかっている。少なくともこの人生が終わるまで、他人に順番を代わってやらねばならない事態にはならないのだ。これは凡百のコンピューターゲームより、よほどエキサイティングなことではないだろうか。自分は何にだってなれる。そんな気がする。
しかし現実において、自分が自分をそれほどコントロールできているかというと、あまり自信がない。それはもう、実は後ろから弟に邪魔されながらゲームをしているのではないかと思うくらい、思いどおりには行っていない。選ぶのは自分なのに、自分にとってよりよいほうを選べていないのである。コンピューターゲームなら、もう少しコマンド通り進んでほしいと、私は自分の腹を見ながら思った。
というのは二か月ほど前までの話である。実は、この「食欲」そして「体重」ということに関して言えば、ここにきて突然、自分をコントロールできるようになった。スイッチがどうして入ったのかは定かではないのだが、娘を風呂に入れていて、私のおなかのあたりを指差して一言「くいしんボン」と言われたことが原因の一つではないかと、ちょっと思う。とにかく突然、やせなければ、と思ったのである。
体重を減らすにあたっては、壁にグラフを張り、そこに朝晩の体重を記録してゆく、という方法をとった。これはNHKの「ためしてガッテン」という番組で推薦していた方法で、要するに今の体重を自分に常にフィードバックすることで、体重管理をしよう、という意味のものである。グラフをつけはじめると、なんだか減る。特に何もしていないのに、どんどん減りはじめた。
いや、何もしていないというのは嘘で、実はアルコールを口にしなくなったり、一膳飯を食べなくなったり、いろいろと変化はある。今までと違うのは、やせよう、という気持ちを心の底まで持っている、ということだと思うのである。上のたとえをもう一度持ち出すなら、後ろから邪魔をしていた弟が突然いなくなって、コマンドが通るようになった。心の底からやせたいと思うと、なに、酒もトンカツも我慢できるものなのだ。知らなかったが。
七週間で七キロ、というのがその結果である。真実これだけ体重が落ちた。今までがおそらく「ぼたぼたのぞうきん」という状態なので、ちょっと絞れば水がどんどん落ちる、のは確かだが、とにかくこれだけ減ると違いを体感できる。「減った分身が軽くなる」というのは(期待の割に)あまり感じないのだが、腹がひっこんだ。ベルトが緩くなった。体調も、よくなったような気がする。いや、これだけ減ってもまだ「標準」の領域には入らないのだが、まあ、マシにはなった。
手足が冷えるようになったり、指先に油分がなくなったりと、悪いことももちろんあって、こういうものかと面白かったりしたのだが、今も不思議にやせ続けている。このグラフの下り斜面を見ているだけで、少なくとも、増えることは防げそうに思うのだが、どうしてこういうことができるのか、このへんの機構がよくわからないので、いつ終わるかもわからないのである。
要するにこういうことだ。人生がゲームだとすると、どうも、隠しコマンドがあるらしい。この方向でつきつめて言えば、本当になんにだってなれると思うのだが、隠しコマンドは隠れているから隠しコマンドというのである。一つ見つかっただけで、まあ、いいんではないだろうかとも思う。