殴ったこの手も痛いんだ

 なぜ、そしていつからそうなってしまったのかよくわからないが、自分の掌のように知っているつもりだったこの欄も、そろそろ自分できちんと管理ができなくなってきた気がする。今回、以下に書くことも、どう考えても既に一度書いたことがあるような気がするのだが、自分で探してみたところなぜか発見できなかったので、もう一回書くのである。つまり、世の中には二種類の人間がいる。壊れた機械を叩いてみる人と叩いてみない人である。

 かつて私が中学校の技術家庭科で習ったところによると、動かない機械をとりあえず二、三発ドツいてみるというのは、技術的にもっともな理由が一応あるのだそうである。ある種の、古いふるい型式のラジオの重要な部品で「結晶に金属の針が押し付けてある」というカタチのものがある。鉱石検波器というのだが、半導体ダイオードや二極真空管と同じ役割を果たす部品だ。

 で、これが実は調整が難しく、針が当たる位置によってはなかなか性能が出ない。しかし案じることはない。装置をどんどんとゆすってやると、針ががりがり移動して、結晶の別の部分に当たる。そのうち突然「良イトコロ」に当たって、ラジオから音が聞こえるようになる、というスンポーである。叩く、直る。実にわかりやすい。一つの悲劇は、鉱石検波器を使ったラジオ以外にはあまり意味がないということである。鉱石検波器を使ったラジオにとっても、正規の調整方法ではないとは思う。

 かつて「ドラえもん」でのび太のママが言ったように、実際に叩くことによって調子がよくなる装置が、少なくとも一種類はこの世に存在する以上、なかなか「叩いても無駄だ」とは言えない。もちろん一般に機械は叩くことによって調子がよくなったりはしないのだが、かといってまさか部品が破損するほどの乱暴を働くわけでもないので、叩いていいことなんかひとつもない、とも言いづらい気がするのである。

 なお、これに関しては他に、そういうひどいことをするのは日本人エンジニアだけだ、という話も聞いたことがあるのだが、この真偽については疑問なしとしない。上のような事情のほか、部品同士のはまりあいや接触を改善するために、制御された衝撃を加えてみることは実際にあるわけだし、そうでなくとも動かない機械に対して暴力をふるいたい、というのは人間の持つ根深い衝動に根ざしたものと思えるからである。

 つまり、たとえばフリーズしたパソコンを殴るひとがいたとして、それで直ることを期待しているわけではない、と思う。自分のストレスがいくらか解消する、そういった効果があるのではないだろうか。ただ、ここで奇妙なのは、そうして折檻を続けた結果、ハコの端のほうが少しゆがんできたりとかして情けなくなる、そのパソコンは結局のところ自分のパソコンなのである。そのへん、どうやって折り合いがついているのか、思いつきを書くならば、どうも、パソコンは本質的に自分のものだと思っていないフシがある。

 私の最近の事情を例に引く。卑小な例なのだが、私のパソコンに入っているインターネットエクスプローラというウェブブラウザのことである。とかくいろいろ言われるところが多いマイクロソフト社の製品だが、だから殴りたいわけではない。諸事情あって、私はふだん、別のブラウザをメインに使っている。これも「マイクロソフトが嫌いだから」という理由ではないのだが、とにかくそうなのだ。しかし、世の中には私のブラウザではどうしてもうまく表示できないページがやはり存在する。そういうときにどうするかというと、普段は使ってないこのインターネットエクスプローラに登場を願うのである。

 殴りたくなるのはここからである。先生、お願いします、とお出ましを願って、メインのブラウザからコピーしておいたURLを貼っ付けようとする。すると「どうれ」と出てきた先生が、ふとダイアログを出す。

「Internet Explorerを規定のブラウザに設定しますか?」

 それは困るのだ先生。私は先生のことを、あくまで補助として使いたいだけなのである。メールの中のリンク先を選択するたびに出てこられるのは嫌なのだ。出てきたこのダイアログで、単にリターンキーを押すと「お願いします先生」という意味になってしまってあとで泣きそうになるので、わざわざマウスを使って「いいえ」を選択しないといけない。

 それだけならまだよい。ときどき選択を間違えて実際に泣きそうになっているのだが、それだけならいいのだ。離せこいつ一回殴ってやらないとわからんのだと思うのは、ここでこのダイアログに「今後、このメッセージを表示しない」というチェックボックスがあることなのである。気が利いた機能に思えるのだが、恐ろしいことに、実際にはこの選択は機能しない。うちでは先生をデフォルトのブラウザには使わないのですそうです永久にです、とこれをチェックして「いいえ」を選んでも、何日か経って、またインターネット・エクスプローラを立ち上げると、やっぱり聞かれるのだ。しれっとして同じダイアログが出るのである。

 本当に、殴ってやりたい。だったらこんなチェックボックス、付けなければいいではないか。ある種のバグか、深く考えなかったのでこうなってしまった感じのミスだろうと思うのだが、作っているほうではなにもかも分かって作っているに決まっている、と邪推してしまうともういけない。よけいにむかむかしてくるのである。インターネットエクスプローラをデフォルトに選ばないフラチなユーザーを、できるかぎりいらいらさせてやろうと思ってつけた機能である気がする。

 ところがだ。かように怒っていて、殴ってやりたいと思っているとして、私はいったい何を蹴っ飛ばせばいいのか。この場合、自分のパソコンの中に居候が住んでいて、その「先生」が狼藉を働いている、というイメージを、この場合私は持っているのだ。パソコンのガワは自分のものである。マウスもキーボードも自分のものである。ただ、この「先生」だけは、どっかからふらりとやってきて食客としてここにいるような気がしている。ソフトウェアはすべからくそうだが、この場合特に無料だと思うからかもしれない。

 どちらにせよ、殴ってやりたいこの「先生」には、手が届かないのだった。パソコンを殴ると痛いのは自分であり、中のソフトウェアは安全に守られて手出しができない。先生は無料で最初から入っていたソフトなので箱やCDやそういったものはない。笹塚にあるというマイクロソフトに出かけてその建物なり勤めている人なりを殴ってもよさそうなものだが、それはそれで実感と大きくずれている。私が怒りを覚えているのは「先生」、いやもっと言えば問題のこのダイアログだけなのだ。インターネットエクスプローラを削除したらすっきりするというわけでもないのである。

 毎回殴りつけるような気持ちで「もう出さない」を選んでいて、私は思った。もしかしてマイクロソフト社が本当に嫌われているとしたら、これも理由の一つではないかと。誰にでもミスはある。しかし、悪いことをしたときにおとなしく殴られてくれるというのは、精神衛生上相当に良いことだと思うのである。ではマイクロソフトは配布ソフトに外付けの「ゲイツ君人形」を付属させてはどうか、などと、この場合はそんな卑俗なことを考える自分の頭を殴っておくべきなのかも知れないのだけれども。


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