昼間十分に睡眠を取っているはずなのに、真夜中に始まって朝八時に終わる、通称「ふくろう勤」は、やはり眠くて眠くてどうにもならない。頬っぺたをつねったり、ひざの内側の一番柔らかいあたりをぐいぐい押してみたりしてみたが、狭い操舵席の中、防寒服の上からそんなことをしても、たいした効果もない。今晩もやはり待機だけで終わるのかもしれない、と壁の時計を見てみると、まだふくろう勤は半分も終わっていない。耳に当てた受話器は、いつものように沈黙を続けている。
ええい、これは、もう、しかたがない。人生そういうときはあるものだ。ここは腹をくくって十分ほど寝てやるか、と思って、いやこんなことで腹をくくってどうにかなるものではないが、射手席にいる(はずの)明石兵曹のほうを覗き込んでみた。このフネの操舵席と射手席のあいだは圧力隔壁が備えられていて、直接通じているのは通気口をかねた伝声管だけだ。その管に向かって、おい、おい明石、と何度か呼びかけてみたが、返事がない。なんだ畜生、こいつ寝てやがる。
気密室の揚げ戸の把手に手が届かない、という理由でもって操舵席の横に備え付けてある、木の棒を手に取った。長さ一米ほどの軽い棒の一方には把手と噛み合う金具がついていて、もう一方は丸く整えられている。少し考えて、丸くなっているほうを先に、伝声管に突っ込む。武士の情けだ。管の中、少し斜めに、明石の喉のあたりに当たるように狙いをつけ、ぐんと押してやる。はたして、管の向こう側から、うふ、とかなんとか、奇妙な声が聞こて、それから激しく咳き込む音がした。目を覚ましたようだ。
「ぐふほふ。なーにすんですか真島さん、痛いですよ」
「寝てんじゃないぞ明石。昼間寝てるんだろうが」
と、自分を棚にあげてそのようなことをいう。操舵席から直接姿は見えないが、明石のばつの悪そうな顔が目に浮かぶようだ。
「寝てるんですけどねえ。なんでかなあ」
「たるんどる証拠だ。それと、真島少尉と呼ばんか」
「すいません少尉。でも、なんかこれ、恥ずかしくって」
同感だ。実は俺も「明石兵曹」などと口に出して言うのが恥ずかしくてならない。この前までは一介の捕鯨船の操舵師、それが今では日本帝国航空軍の少尉サマだと。
聞けば昨今の少年少女のあこがれであるところの、空に浮く軍艦「戦鯨」を擁する帝国航空軍の内情は、意外に情けないというか、貧弱なものだった。一線級の戦鯨「鹿島」やら「香取」やらは確かに世界的に見ても立派な航空戦力なのかも知れないが、補助戦鯨となるとかなり怪しくなる。戦鯨隊を一歩外れて、哨戒艇やら防空艇やらになると何をか言わんやで、もしかして維新前から使っているのではあるまいかという老戦鯨さえある。近代国家の仲間入りをしてやっと四十年になるかならないかというこの帝国はとにかく貧乏で、しかも抱えている軍隊は航空軍だけではないので、ある程度は大目に見てやらなければならないところだが、一応なんとか面目を保っていたのもこの戦争が始まるまでのことだった。開戦以来、いくつかの航空戦や海戦に勝ったり負けたり引き分けたりした結果、航空軍は、士官下士官兵や戦鯨や浮珠の、激しい不足に陥ったからである。
そう、浮珠だ。この、ある種の生き物の体内で産される不可思議な物体こそが、明石と俺にこうして、地上に縛り付けられた防空艇の中、眠い目をこすらせている原因を作った大本だと言えるかもしれない。一つにつき二百五十瓩。地面に反撥する性質を持ったこの直径四十糎ほどの珠が、帝国を近代国家の仲間に招き入れ、戦争へと導き、そして今存亡の淵に立たせている。
浮珠は一種の資源である。人間の手ではどうしても作ることができないので、そう考えるほかない。浮珠は「浮鯨」と呼ばれている、空に棲む生き物が作り出す「器官」だ。はるか成層圏で分裂し、群れを作り、生活を続けている浮鯨には、通常人間の手は届かない。届くのは、寿命の終わりに達し、群れから離れて地上に降りてくる限られた個体だけである。俺も明石も、そうした浮鯨を狩る「捕鯨船」で働いていた。この空飛ぶ船を駆って、弱ったとはいえまだまだ高空にいる浮鯨を捕まえる。地上に曳航して浮鯨の体中に大量に蔵された浮珠を取り出す。これを捕鯨船そのものの浮上のほか、さまざまな用途に用いるのだ。
世界的に見て、浮珠の産地はほぼこの日本列島に限られている。不思議というべきか、まあ、たまたま浮鯨の生息地が中国大陸に限られているのだと思うが、あまたある資源産業の中で、帝国の外貨獲得手段として、浮珠が最重要になったのは当然のことだった。個人の浮船乗りが知恵と勇気で浮鯨を撃っていた時代から、やがて資本を背景とした組織的な漁法が主流になり、浮珠輸出は大産業となった。捕鯨船の性能もどんどん増して、以前は採れなかった高空の浮鯨に手が届くようになって、産出量も増えた。安定した供給をもとに、浮珠を産業に利用できるようになり、蒸気機関を備えた、巨大な貨物浮船や客浮船が、大陸から大陸へと飛び回るようになった。「飛べる」というのは軍事的に見てかなり有利なことなので、陸軍も海軍も浮船を持っていないとちょっとどうかという時代になった。弾着観測艇と、それを駆逐する駆逐艇と、それを駆逐する攻撃艇が生まれ、やがて浮珠を備えた航空装甲艦「戦鯨」を各国が持つようにもなった。もう産業も軍事も浮珠がないとどうにもならなくなった。世界は浮珠を中心に回りはじめた。つまり、よちよち歩きの帝国は唐突に世界の中心へと躍り出たのである。大陸に欧米の資本が進出するまでは。
そうなのだ。技術の進歩により、空高く、高くに人間に手が届くようになり、もはや浮珠は大陸でも取れるようになったのである。帝国から見て「上流」にあたる大陸の奥地には、巨大な浮鯨の「巣」がある。そこで高度を落とし、下流に流れてくる浮鯨を、まだ高い、大陸上空で捕まえる。全部とはいかないが、帝国の独占していた富が、欧米諸国に直接流れはじめたのは間違いなかった。
つまり、それが結局この戦争に繋がっているわけだが、俺の認識としては、このあたりが限界である。なんかいろいろあって、わが帝国は大陸における権益で衝突した北の大国とコトを構えることになった。戦争がはじまってからもまたいろいろあって、あっちも痛かったがこっちはもっと痛かったりした。それで民間の浮鯨撃ち船に鳥雷をのっけて、浮船乗りを一時的に士官やら下士官に仕立てあげて、防空軍を作ったわけである。
鳥雷についても解説しておこう。鳥雷というのは「鳥型空雷」の略である。捕鯨船だから、浮鯨を撃つための「捕鯨砲」はもともと備わっているのだが、ここから、一、銛とフネを繋いでいる綱をなくす、二、銛に爆薬を仕込む、という、はなはだ簡単な手順でもって容易に防空機能を持たせることができる。考えてみれば、浮鯨を狩るのと敵戦鯨を撃つのは作業としてあまり変わらないのだ。まあ、それはともかくとして、この武器と言うか道具と言うかを「鳥雷」と呼んでいるわけである。
俺、真島少尉と相棒の明石兵曹(それと、後席にいて機関を見ているもう一人)は、夜間侵入を試みるけしからん敵戦鯨を、この防空艇でもって撃退する役目を負わされている。艇に備えられた武器は鳥雷一本。鳥雷の爆薬の量はたいしたことないが、戦鯨の装甲などたかが知れているので、これで十分である。もちろん、大型戦鯨が備えている普通の砲のほうが命中精度も発射速度も高いのでやられてしまう可能性は高い。ところが、向こうが戦鯨こちらが防空艇ということは、一発撃って相打ちに持ち込めれば、実は収支的には大儲けなのだ。「防空艇」とはそういう悲壮なフネなのだった。
とはいっても、今が暇であり、そして眠いことにはかわりはない。警戒には別の「空中監視哨」があたっていて、こっちはその通報に沿って、現場に急行すればよいのであるから、いっそ寝ていた方がいいと思うのだが、やはりそれでは即応性とか、そういった方面で難があるのだった。「このままだと帝国が負ける」という現実認識と「闇に乗じて大物を喰う」という任務の性質から、なんとなく納得してこのフネに乗っている俺と明石ではあるが、隣にいる明石は気付いているのだろうか。いつも撃っていた浮鯨と、いざ出動となったら戦うべき敵艦は、本質的に違う相手である、ということを。浮鯨は撃ち返してきたりしないのだ。
それが彼女なりの眠気の覚まし方なのかもしれない。喉の痛みやら俺の冷たさに関してまだぶつぶつ文句を言っている明石にそのことを聞いてみようとして、俺は危うく思いとどまった。聞いてどうなるものでもないし、それこそ馬鹿げているような気もしてきたのだ。明石の父親は、やはり昔の浮船で射手をつとめていたらしい。天才肌の射手の娘は、数少ない彼女と俺との浮鯨撃ち行の経験によれば、どうしてかなりの浮鯨撃ちだった。できれば、明石にももっと本業の経験を積ませてやりたいが。
がり、と耳のそばで音が聞こえた。俺は反射的に受話器の向こうに神経を集中する。モールス符号だ。大規模な戦鯨隊の侵入。全防空艇に、出撃の指令を出している。自分の世界が、足下から崩れてゆくような恐怖を感じる。ああ、ついに。いや、飛び立ち、敵の戦鯨をこの目で見れば、これも忘れるかもしれない。そうあってほしい。どうなのだろう。艇の周囲ががやがやと騒がしくなる。俺は手短に情報を伝達し、出撃に向けて手と足を忙しく動かしながら考えた。これから帝国航空軍三〇四号防空艇の向かう空は、いったいどのような空なのだろう。わからない。ぐらりと大きく揺れて、艇全体が傾きはじめ、ついに操舵席が空を向く。外からカンカンカン、と艇殻を叩く音がする。出撃準備完了。風防の硝子越しに眺めた空は、不似合いなようにも思える、降るような星空である。