隣よりも速く

 二人の第一性がドウブロゥクワイガに追われて逃げている。必死で走る二人。一人が、息を切らせ、絶望的な声でもう一人にこう言う。
「だめだ、どんなに速く走っても、最後にはゴイムされてしまうよ。ドウブロゥクワイガより速く走るなんてできっこないもの」
 もう一人は、さっとそちらをグロクして、冷静に言い放つ。
「確かに、ドウブロゥクワイガよりも速く走るのは、無理だ」
 その第一性は、さっきよりもさらに速く走りはじめた。
「しかし、お前よりも速く走ることはできる」

 と、くじら座語で書き直してもなんとなくわかるところが凄いところだが、この逸話を胸にとどめておいていただいて、突如として別の話になる。電子メールの話である。このサイトに連絡先として書いてある、私のonisciのメールアドレスには、現在、だいたい一日に百から百五十通くらいの割合でスパム(迷惑メール)がやってきている。普通のメールは一日に一通かそこらなので、九九パーセント以上がスパムである。そう考えるとものすごいことだと思う。だいたい、普通のメールが一日一通とはどういうことか、大西には友達はいないのか。いるのだが、別のメールアドレスに送ってくるのである。

 それはともかく。私のメールボックスはこうしてスパムであふれ返っていて、こうなるとほぼ「このメールアドレスは使用不可能である」という状態に近いと思う。メールアドレスを変えるとか、何か対策を取るべきなのだが、ところがどっこい、なんとかやっていけないこともないので、そのままになっている。というのも、これさえ押さえておけば直ちにスパムかどうか判別できるという、強力な「スパム判断条件」があるのだ。

 などと書くと凄そうだが、その条件とは単に「英語で書かれている」である。なぜだかは分からないが、私に来るスパムのほとんどが英語なのだ。事実として、私のメールボックスの九九パーセントを占めるスパムの、そのまた九九パーセントくらいが英語で書かれている。幸い、最近の私には、英語でメールを送ってくるような友達は一人もいないので、ざっと「英語のメールはスパム」と断じてしまって間違いないのである。こんな感じだ。

英語日本語
普通のメール0%1%
スパムメール98%1%

 なにか、さみしい表を見せてしまったような気がするが、まあそういうわけで、私の手元のメールクライアントソフトでは、英語のメールはまず「迷惑メール地獄」なるフォルダに分類されるようになっているわけである。これで大丈夫、しっかりブンベツできている。ただし、この「0%」というのが曲者で、本当にゼロだったら問題はないのだが、もしかしたらもしかすると思いつつ、時々は「地獄」階層に下りていって、メールの題名をざっと眺めてみるくらいのことはしている。

 こうして眺める迷惑メールの風景は、なにしろ英語なので、読むためには少し心の焦点を合わせる必要がある。どうしても目を引くタイトルをぽんぽんと拾ってゆくだけになるのだが、それで気が付くことは、せいぜい「ある特定の薬を売るメールがなんだか多い」というようなことである。売りつけようとしているのは、薬屋さんであまりおおっぴらには買えない、しかし麻薬ほど違法なものでもないタイプの薬、ぶっちゃけた話、バイアグラである。なんだそれ、何の薬、と疑問に思った方は、大人になればわかるので、とりあえずうっちゃっておいて先に進まれたい。

 ここで面白いのは、ストレートに「viagra」と書いてある場合がほとんどなく、差出人はさまざまに知恵を絞り、スペルを変えていることだ。via-gra、V:I:A:G:R:Aのように間に文字を挟んでみたり、aを@、iを1になど、似た文字に置き換えたり、あるいはviagnaのようにちょっと変えてみたりなど、方法はさまざまである。単に目を引こうとしている可能性もあって、確かに目を引かれたのだが、最後の例など、どちらかと言えば日本語で言う「バイ○グラ」とか「倍あぐら」のようなぼかした書き方に相当するのではないかと思う。

 英語圏に住んでいるなどの理由で、私のように「英語=スパム」という判断ができない人の迷惑メール対策事情はどうなっているのだろう。あるレベル以上になると私には想像するしかないのだが、メールソフトなどで「viagra」にフィルターをかけている人が相当多くいるのかもしれない。メールにviagraという単語がストレートに入っていると、それを発見したソフトウェアによって自動的に「スパム地獄」というフォルダに分類されてしまう。それを避けようとしているのに違いない。そう思うと「viagra」を見つけだそうとするコンピューターの裏をかき、かつ人間の読者には一目でそのことだと分かる、その工夫に、ちょっと感心する。

 しかし、思うのだが、こうした努力は結局無駄ではないか。つまり、viagraでフィルターをかける人はviagraなんか必要ない(買うとしてもメールで紹介された相手からは買わない)と思っているのであり、そういう人のフィルターをうまいこと突破してメールを届けたところで、実際に読んでくれて、買ってくれる確率は皆無に近いはずである。日本でも「※未承諾広告」ルールに素直に従わずに色々こずるいことをする迷惑メール送信者はいるわけだが、特定の商品名でフィルタリングしている、まさにその人にその商品を買わせようとしているviagra関係は、さらにもう一段、へんてこ度が高い。商品を買ってもらうなんてことは本当はどうでもよく、受信者をひたすら不快にさせるためにやってるのではないかとか、そんなふうにさえ思えてしまう。

 もちろん、スパム業者は受取人を不幸せにしようと思って送っているのではなく、儲けようとして送っているはずで、だとすれば受取人を怒らせてもしかたがない。実際には、受信者が明示的にviagraを拒否しなくても、一律に除いてしまうタイプのメールフィルタがあるとか、薬の販売業者とスパム送信者(一種の広告業者)が別であるとか、それなりの理由はあるのだろうと思う。想像でいいかげんなことを書くようだが、たとえば、スパム送信業者はとにかく受信者の手元にメールを届けることを金科玉条としている。読んだ人が怒る可能性があるとか、読んだ人のうち、見込み客の割合がどうかということは、この際気にされない。ちょうどテレビの視聴率がそうであるように、「到達率」のみを競って、送信業者はお互い激しい競争を繰り広げているのである。

 書いていてもなんだか危うい仮説だとは思う。ただ、「メールフィルター」という盾に対する矛がこれだけ先鋭化している事実は、矛同士(つまり、メール送信業者同士)の過酷な競争の存在を想像させる。私のように「英語は全部カット」のようなフィルターには太刀打ちできないかもしれないが、少なくとも、隣の送信業者よりは多数の顧客にメールを送ることができる。そういう、いるかどうかわからない仮想的な見込み客を争って、彼らは戦っているのである。敵はお互いであり、それがために軍拡競争は不必要なまでに続いてゆく。

 おそらくは、いいことではない。スパム送信業者のことを心配するほど心が広いわけではないが、仲間同士争っている間にドウブロゥクワイガが追い付いてこなければよいと思うのである。電子メールに抜本的で技術的なスパム回避技術が導入されるのは、おそらくそう遠い未来ではない。ドウブロゥクワイガの消化吻は、驚くほど鋭く長いのである。


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