「宝くじ」について、特にその当たらなさについて、ここには本当に何度も書いているので、もうすっかりマンネ、あ、いや、ゴフンゴフン。もうあまり書くことは残っていないのではないような気もするのだが、実はまたその話なのである。いや本当、宝くじを買う人をバカにしているわけでも、宝くじという制度に疑問を投げかけたいわけでも、ましてや宝くじに何か底知れぬ恨みがあるわけでもないのだが。本当である。
言い訳めいたことを書くことになるが、宝くじにまつわる面白さは、数学と心理学の境界領域にあるのではないか、と思う。宝くじもギャンブルの一種と言えばいえると思うが、この「ギャンブルの面白さ」は、決して単純なものではない。通り一遍の計算が出す答え(たとえば「期待値」)から考えると乗るだけ損になる賭けに、往々にして人は手を出し、実際に平均としては損をする。しかし、賭ける人はいなくならないのである。ここには何か、面白い何かがある。
さらに、もう一つ、宝くじには別の興味がある。くじなので、普通のギャンブルではあまりない「超大当たり」がある。一等の賞金が非常に高いかわりに、当たる確率も非常に低くなっている。この「非常に低い確率」について、本当はどれくらいありえないのか、直感的に把握するのは、これがどうして、なかなか難しい。一等が当たる確率が百万分の一として、その「百万分の一」がどれだけありえないことなのか、百万分の一という数字からは今ひとつよくわからないのである。十万分の一や一万分の一と差がないように思えてしまう。これに関して、なにか有効な手段、思考法はないものだろうかと、よく考ている。
日常生活には、いろいろと危険が隠れている。あ、いま話が変わったのだが、このように危険は隠れている。食べるもの一つ取っても、様々な病原体、毒素による短期的な危険のほか、重金属や発ガン性物質、あるいは環境ホルモンという名で呼ばれたりするいろいろな化学物質による汚染が存在する。仮に食物自体には何の問題もなくても、成分と量によっては長期的には肥満や高血圧を引き起こす原因になるのであって、とすれば危険のない食物などない。モチは喉に詰まり、梅干しの種では歯を折る。日常生活には危険が一杯である。
よく思うのだが、こういう危険について、その危険度の正確な把握がされていることは、あまりないのではないか、と思う。確かに、あるものは、他に比べて危険性が高い、と思われている。フグの刺身は、なんだかんだ言ってもコメのメシ(特に新米の炊きたて)より構えて食べられている、はずである。しかし、たとえば「賞味期限一日後の牛乳」と「自動車の中に忘れていた昨日半分飲んだペットボトルのお茶」のどちらがどれだけ危険なのか、となると、やはりなんらかの数値的な評価が必要なのではないか。
そこで、こういった危険に、なんらかの統一的な尺度を与えるというのはどうだろうか。どうせ「牛乳の危険度」として一万分の一、「お茶の危険度」として千分の一とか、そういう確率になるのだろうから、これは対数目盛りにするべきだろうと思う。対数というのは、この場合は(確率の逆数の)常用対数だが、1/1 000なら3、1/10 000なら4という数字を与える。つまり「ゼロの数」ということで、1/1 000 000だと6である。1/5 000だと3と4の間、だいたい3.7くらいになる。これで「床に落ちた刺身を拾って食べた場合の危険度はレベル2.8」というふうに使うわけである(※)。
ルールが飲み込めたところで、たとえばこういう言明があったとする。
「牛丼を食べるとBSEに感染する危険性がある」
誰もこんなことは言っていないと思うが、理屈の上では、どれほど低い確率だとしても、こういう事態は起こりえる。問題は、これがどれだけありえないのか、その定量化である。BSEにはいろいろ分かっていないことが多いので、計算には数多くの仮定が入ることだろうが、たとえば「牛丼一杯当たり1/1 000 000 000 000」というような数字になるとすると、これは一億人が毎日一杯牛丼を食べて三年ほど経つと一人患者が出る、ということだが、これを簡潔に、レベル12、と表す。
これにどういう良いことがあるかというと、あるレベル以上の危険は無視していい、というか、大げさに避けてもしかたない危険である、という判断ができるところにある。たとえば、交通事故は一年で一万人くらいの人が亡くなる巨大な危険で、国民一人あたり一日あたりにすると、危険はレベル6から7ぐらいになる。外に出ている時間やふだん利用する交通機関によって個々人について大きく濃淡があると思うが、トラックの運転手のような人なら、これに比べて、あまり小さな危険は、無視していいということになるのではないか、と思う。いや、無視していいということにはならないが、長生きのためにはレベル12の危険を十個や百個回避するよりも、レベル6の危険を少し減らす工夫をするほうがずっと効果的である。
わざわざこういうようなことを書くのは、アメリカ産の牛肉を輸入再開すべきであると主張したいのではなくて、小さな危険と、もっと小さな危険があったとして、その小ささがどれも似たように見えるのが問題であると思うからである。子供をチャイルドシートに座らせないでちょっとそこまで買い物に行くことと、子供の前でタバコを一本吸うこと、どっちがどれだけ危険なのか、ぜひ知りたいと思う。また、いま、ある企業がなんらかの失態を演じたとして、それがどの程度の危険なのか、数値化して広報する義務があるのではないか。
さて、宝くじに戻る。「危険」と「チャンス」でベクトルは逆だけれども、宝くじの各賞にもそれぞれレベルを与えることができる。最近売り出した「ドリームジャンボ宝くじ」(第474回全国自治宝くじ)の場合、賞金とレベルはこうなる。
等級 | 賞金 | レベル |
---|---|---|
1等 | 2億円 | 7 |
1等前後賞 | 5千万円 | 6.7 |
1等組違い賞 | 10万円 | 5 |
2等 | 1億円 | 6.7 |
3等 | 100万円 | 6 |
4等 | 10万円 | 5 |
5等 | 1万円 | 2.5 |
6等 | 3千円 | 2 |
7等 | 300円 | 1 |
だからどうということはない、わかりやすくなったような気もしないが、こういうものだ、というのを一つの基準とすることはできるかもしれない。明日自分が交通事故に遭う(そして即死する)確率よりも、一枚買って1等に当たる確率のほうがやや高い(しかし、宝くじ十枚との比較なら、交通事故死より1等に当たる確率のほうが高くなる)。身の回りの危険度を数値化して(被雷する確率や、頭の上に流星が落ちてくる確率等々)こういうのと比べると面白いと思う。
さて。以下余談であるが、今回、このドリームジャンボ宝くじのテレビコマーシャルとして、所ジョージがボウリングをするものが放映されている。所ジョージがボールを投げた先には「3億」と書いてあるボウリングピンがあって、その後ろに「1億」とか「1万」と書いてあるものが並んでいる、そういうものである。
これは、ちょっと面白い考え方である。ボウリングのルールを調べてみたのだが、玉の直径は21.5cm、ピンの直径は12.1cmと決まっているらしいので、玉がピンの中心から16.8cm以内ならピンが倒れることになる(当たれば倒れると仮定して)。幅1.066メートルのレーンの上、1ピンだけが残っている状態でまっすぐな投球をすると、ガターにさえならなければ、およそ1/3の確率でピンに当たる。レベルで言うと0.5だ。
これで、一等がレベル7(確率1千万分の1)であるくじを例えるとどうなるか。確率1/10(レベル1)である7等は「幅3.4メートルのレーン上にピンが一本」という状態である。狙って投げることはできなくて、どこにピンがあるかはわからない状態で投げる。それくらいの確率である。では一等は。
計算してみた。幅、3 360kmである。これは東京からだとフィリピンくらいまでの距離だ。これだけの「幅」のボウリング場を想像してみて、目隠しをして投球する。ガターであるかもしれないしそもそもレーンとレーンの間に投げてしまうかもしれないが、それは全部「はずれ」である。どこかに三角形に並んだ三本のピン(「一等」と「一等前後賞」と書いてある)が立っている。
レベル7というのは、そういうそら恐ろしい確率である。それでも誰かは当たるんだから、不思議ですよねえ。