青春の道程

 実は、私は去年の今頃に比べて、一八キロも体重が減った。凄いことのように思える。自慢しているように受け取られかねないのだが、落ち着いて考えてみると「ダイエット自慢」は、ちょうど「禁煙した」「借金を完済した」と似たような事情があり、病気でもないのに一八キロも減らせるのは、そもそも最初にそれだけ無駄に太っていたということである。やせるのが大変なら最初から太らねば良かったのであり、最初からやせっぱなしのほうがずっと偉い。

 しかも、これだけの体重、なんと恐ろしや灯油のポリ容器一個分も減った割には、思ったほど「身が軽くなった」という感じはしない。たぶんこれは脂肪も減ったが筋肉も減ったからで、そんなに都合良く脂肪だけが落ちてくれるわけではないのである。出力の体重比ということで考えると、むしろ落ちている気がする。心臓やら肝臓やらのことを考えるともちろんやせて良かったと思うものの「鉄下駄を脱ぐとめっちゃ走るの速い」と同じには、いかないらしい。

 以上の情報をぽんと捨て置いて、少し前のことである。私は毎日、ちょっとした距離を、歩いて職場に通っていたことがある。毎朝同じ道を通ってオフィスに行き、夕方になると同じ道を歩いて帰ってくる。ここで、ちょっとした選択の余地があって、毎朝毎夕、私はちょっと悩んでいたという、今回はそういう話を書いてみたい。

 説明しよう。私の職場は、片側二車線ずつ合計四車線の、広い国道の向こう側にあった。ほぼまっすぐにのびている国道を、どこかで渡らなければ職場にはたどり着けない。ただ、垂直に道を渡ればよいのではなく、基本的には国道に沿ってしばらく歩く必要がある。この事情を、図を書かないでこれを説明するのはなんだか骨が折れることに今気が付いたが、要するに、国道沿いに歩いて職場に行く、どこかで道を渡る、ということである。もしも車が一台も走っていないとすれば、国道を斜めに横切って歩くのが一番効率がよい。

 しかしそんなわけには行かないので、信号を利用して、横断歩道を渡る。道のりに沿って、二つの横断歩道があって、どちらでも使うことができる。この二つの横断歩道は、百メートルくらいの間隔を置いて設けられている。長々とくだらない説明をしたが、要点はこれだ。国道沿いにとぼとぼ歩いていて、ある種のジレンマに直面するのである。この横断歩道を渡ろうか、あっちの横断歩道を渡ろうか、というものだ。

 たまたま、その横断歩道に到達した時に、そこの(歩行者用)信号が青なら、それほど難しい問題はない。さっさと渡ってしまえばよいのである。問題は、信号が赤だった場合で、私はいつも悩んでいた。ここで青になるまで待つか、歩いて次の信号まで行くか。信号は、かなり車道よりの時間配分になっていて、一回赤になるとかなり待つことになる。誰だってそうだと思うが、道ばたにじっとしていたくはないのである。

 自然、戦略としてはこういうことになった。まず、道を普通に歩く。横断歩道のところにやってきたら、信号を見る。青なら渡る。赤なら、次の信号まで歩く。そこで青ならばよし、二つ目の信号も赤なら、しかたがないので、待つ。

 ところが、一見、これしかない、と思えるこの戦略が、あまりうまく機能しないことに気が付くまで、そう時間がかからなかった。どうも「赤信号を見限って次の信号まで歩く」とした場合に、運良く二つ目が青であったことがない。思惑どおり、うまくいったためしがないのである。

 それどころか、二つの信号は、むしろ同期しているような印象がある。一つの国道沿いの、二つの似たような規模の信号がタイミング的に同期して青になり赤になっていてもなにも不思議はないが、二つの信号の間を歩く、その時間を考えに入れて、なお同じタイミングで赤になるようだ。というのも、一つ目の信号で、ぎりぎり青に間に合わなかった場合、二つ目の信号まで歩いてくると、やっぱり、ぎりぎりのところで、せっかくの青に間に合わない。これがもう、行きも帰りもそうなので、実際に体験してみると、ちょっとこんな偶然があるものか、と思う。

 分析するに、この偶然には、いくつかの要素が含まれている。一。赤信号の間隔が、たまたま「私が信号間を歩く時間」の約数にほぼ等しくなっている。あるとき観察してみると、はじめの横断歩道から次の横断歩道まで私が歩く間に、二回、信号が青になるようである。二。二つの信号は完全に同期している。同時に赤になり、また同時に青になる。もしそうでなければ、少しずれていれば、行きも帰りも同じということはない。三。以上の事情は、朝でも夕方でも変わらない。時間帯によって青になっている時間の長さが変わったりすれば、こんなにうまく同期はしない。

 この二つの信号は一応「押しボタン式信号」なのだが、私は一回もこのボタンを押したことがなかった。つねに「お待ち下さい」のランプが付いていたので、たぶんそういう設定になっていたのだろう。もしも本当に押しボタン信号だったとすれば、私がボタンを押すタイミング次第で、ここまでは不親切なことにならないと思うのに、残念なことである。

 さて、そういう数年を過ごしたあと、職場が別の場所に変わって、こんなことも忘れてしまっていたのだが、このたび、機会があって、私は三年ぶりぐらいに、この道を再び通ることになった。歩いてみると懐かしい道である。上のような考察を、つらつら思い出しながら、一つ目の信号に差し掛かったのだが、信号は、青の点滅だった。今からでは、ちょっと渡りきれない。私は、苦笑いをして、歩道を次の信号に向かった。信号の事情は上の通りなので、この場で待っていても同じことなのだが、やはり、なんとなく立っているのがもったいない気がして、いよいよ二つ目の赤に出くわすまでは、歩き続けてしまう。

 ところが、二つ目の信号に着いたときに、どうだったか。信号は、青だったのである。私は、あまりといえばあまりのことに、半信半疑ながら、小走りで横断歩道を渡った。信号は、半分くらい渡ったところで点滅を始めたが、なんとか赤になる前に渡りきることができた。なんだか小さな幸せをことごとしく書いているようだが、三年ほどの間毎日この信号を行き来していて、こんなことは初めてなのである。

 いったい、何が起こったのだろう。さっき挙げた前提が、なにか崩れたに違いない。横断歩道の距離的間隔は変わっていないようだから、青信号の時間間隔が変わったのか、二つの信号が同期しなくなったのか。

 と、ここまで来て、気がついた。もしかして私は、歩くのが速くなったのではないだろうか。原因としては「やせた」ということしか思い付かないが、十年来私に取り付いていた一八キログラム重の重量を失ったことで、もしかしたら私は、ついにこの赤信号の連鎖から逃れ得る、魔法の歩行速度を手にしたのかも。この文章のはじめに書いたように、やせることによる体の軽さ、ということではほとんど実感はないのだが、なにか、この横断歩道間の距離ぐらいになると、目に見える差が出てきているのかもしれない。

 しかし。だからといってどうということはないのである。たまたま今回、久しぶりにこの道をたどってみたけれども、これから先、この道を以前のように毎朝渡るということは、まずない。今ではなく、あの頃にやせておくべきだったのである。まったく、そういう意味においても「一八キロやせる」よりは「最初から一八キロも太っていなかった」というほうが、ずっと偉いことには違いないのであった。


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