鐸木さま
いつも楽しく読んでおります。以前「米から燃料を作る」という話題について、同じように意見を述べたことがあります。大西と申します。本当に、社交辞令ではなく毎週楽しみに読ませていただいているので、面白かったときに何の意見も述べず、何か言いたいことがあるときだけメールをよこす、というような形になってしまって誠に恐縮です。今回も、またしても一言、申し述べたい点がありまして、意見をお送りするものです。
一読しまして、理解が難しいのかなあ、と思いました。誤解があるとしか思えないのですが、まず「バイオスフィア」型のドームは、宇宙空間や月面における生活をシミュレートするものとして、
・太陽光の取り入れ
・熱の放散
について、閉鎖を前提としていない、ということをご承知ください。「ミニ地球」なのですから、地球が行っている(太陽光というエントロピーの低い)エネルギーの取り入れと、(熱というエントロピーの高い)エネルギーの放出は全くルール違反ではありません。地球規模なら成り立っていると思われるこの仕組みを、ドーム程度に小さくしても維持できるのか、というのは、確かにチャレンジングだとは思いますが「錬金術や永久運動機関の発明」に匹敵するほど、原理的、科学的に不可能なことではないのです。
実際、ずっと小規模で、しかもある程度の時間に限って言えば、こうした仕組みは確かに作ることができます。球状のガラスの中に、水と、藻やプランクトンと、小エビか小魚が入ったオブジェ然としたシステムを、科学をテーマにした博物館でよく見かけるのです。私は茨城県玉造町の「玉の博物館」で見たことがあります(あんまり小エビが元気そうではありませんでしたが)。この小エビを人間にして、ガラスをもっと大きくしたら、生活はできるのか。実験はそういう健全な原理に基づくものと思います。
つまり、実験の本質は「人間一人を維持できるだけの物質が小さいドームの中で本当に循環できるのか」というところにあるのでしょう。植物が光合成によって酸素と有機物を作り、動物がその酸素と有機物を消費する、というサイクルが、系をドーム程度まで小さくしても成り立つのか。あるいは、人間をその中に含むシステムは最低どのくらいの大きさでなければならないのか。その観点に立ってみれば、アメリカの実験から引用しておられるコメント「自然の物質循環は、地球という広大な面積で行われるから全体でつじつまが合っているのであって、狭い施設で自然に任せるだけでは循環が追い付かない」は、できの悪いジョークなどではなく、得られた実験結果のまとめとして十分納得できるものではないでしょうか。この場合、「実験が失敗した」ということは、人間を中に含むシステムは、もっと大きくなければならない、ということを証明したことになるのですから。
もう一つ。「今は『外部から供給されるのは電気と情報だけ』という説明をしているようだが、それってただのひきこもりの人の生活と同じでは?/電気があればなんでもできるもんねえ。その電気をどこでどうやって作って持ち込むかが問題なんでしょうが。」というのも、残念ながら的外れな批判と言わねばなりません。電気の導入は、確かに直感的にはルール違反と思えるのですが、物質の循環という本質に照らせば、実は、理にかなったコスト低減策以上のものではないのです。必要とする電気を作るために、ドームをもっとずっと大きくして、あまった土地に太陽電池パネルを並べれば、「電気は外部から導入」と全く同等であるということはおわかりになるのではないでしょうか。これは一種「バイオスフィア」の実験を、ドームを大きくしてやり直すことに相当します。実際に大きなドームを作ったほうが実験として美しいのは確かですが、おそらく、予算の制約があるために「電気は外部から導入」としたのではないかと思います。
このドームを、月面や衛星軌道上ではなく、地球上に作ることによって、理想から離れてしまう点、結局地球というシステムに頼っているではないかと思える点は確かにあると思います。放熱もその一つで、表面から空気に向けて伝導された熱を最終的に宇宙空間に放出するためには、結局地球の熱循環系に頼ることになると思います。ただ、スペースシャトルや宇宙ステーションがそうであるように、放熱/蓄熱の問題は宇宙空間においても原理的に解決可能である以上、さほどの問題であるとは思えません。余談ですが、他に、ルール違反のようでそうでもないものに、エアコン(空気の出入りはなく、熱の交換だけのタイプ)や、電気で動く耕耘機や空気清浄機、水を電気分解して酸素を作る装置、等々があります(どうしてそうなのか考えてみてください)(※)。まとめますと、ドームへの電気の導入は、予算削減のために、科学的で、十分納得できる譲歩だと思いますよ。
「引きこもりの生活」では、主人は外出しないとはいえ、どこからかコンビニ弁当や宅配のピザがやってきて、生活ゴミや排泄物は運ばれていって処理されます。空気も外のきれいな空気と循環をしています。誰がそれをしているのかというと、突き詰めて、一言で表現するならば「自然」という言葉になってしまうと思うのですが、この「排泄物から弁当を作る」「二酸化炭素から酸素を作る」のに、ではどれだけの自然が必要なのか。それはどうしても地球の大きさでなければならないのか、それとも小さな島くらい、あるいは二階建ての家くらいでいいのか。地球のかけがえなさとはまったく別に、そうしたことを知りたいと思うことは、決して悪あがきでも、うそつきのタワゴトでもないと思います。むしろ、コンパクトにまとまってドームの中で生活できる何らかの方法を発見できるのであれば、それは環境をまったく汚染しない(放熱という形での熱汚染はありますが)一つの理想、究極の自然保護を実現することではないでしょうか。
ただ、注意したいのは、そのうえで「この実験はつまらないので予算は使うべきではない」という批判は、甘んじて受けるべきだ、という点です。うまくいくはずがないから、というのは上のように間違っていると私は思いますが、実験によって得られる知識が使うお金に値するものではない、といった批判は、あらゆる科学研究について常に厳しく投げかけられるべき問いでしょう。
政府と、そこに含まれる厳しい目、時にライバル研究者による審査を含む過程を通り抜け、それらを説得できるのであれば(実際に実験した/計画が進んでいるのですから、つまり「説得できた」わけですが)それで良いのだといえなくもありません。しかし、そもそも科学の研究者というものは、全て、自分がやりたいと思った実験をするために、政府や企業からお金をいただいてこなければならない立場にあります。研究者が、関係する、たとえば税金を納めるすべての人に対して、自分の研究の意義について理解できるよう語る、ということはこれまでもずっと必要なことでしたし、今後ますます重要になるでしょう。今回の話の場合、現に、少なくとも鐸木さんにとっては「原理的に不可能なことを臆面もない嘘をついてやってる研究もどき」というふうに映ったわけですから、つまりはこれも、担当研究者の努力不足、ということになるのでしょうね。
追伸 私は現在民間企業で技術系の職についている身で、この「バイオスフィア」系の実験に関しては、内情や研究者の素顔や詳しい技術的な詳細を知る者ではないことをご承知ください。上を読み返してみるとずいぶん偉そうなことを書いておりますが、バイオスフィアに関しては、自分の、ときにずいぶんあやふやなこともある科学的素養と、根本のところは昔学研の「科学」という子供向け学習雑誌から得た程度の知識があるだけです。今回の話についても「バイオスフィアJ」等の実験について独自には調べておらず、鐸木さんが書かれたことを鵜呑みにして書いております。ならばもっと調べてから書くか、いっそ送らねばよいようなものですが、気楽な立場で、無責任に書いたものとして、割り引いてお読みいただけましたら幸いです、等と書けばよいかと思い、図々しくもお送りする次第です。
追追伸 ついでながら、もう一つのテーマであります「紙を折る」ということについては、昔、ある興味でもって調べ、簡単な「報告」を書いてみたことがあります。お目汚しながら、興味はおありではないかと思い、URLを送らせていただきます。
http://onisci.com/493.html
○経緯:本稿は、朝日新聞のウェブサイトにあるコラム「デジタルストレス王」の2004年9月28日ぶん「大きな嘘・せこい嘘」に関しての意見を書いたものです。上記を意見として「意見はこちらへ」ページから」投稿したところ、その次の週の金曜日の「読者フォーラム」に掲載されてしまい、大いに焦りました。掲載されるということがあるとは思わなかったので「追追伸」のリンク先が非常に恥ずかしかったのです。宣伝みたいで。無理なお願いをしまして、削除してもらいました(なので、当該ページには現在この意見は載っていませんし、鐸木さんの答えには、ちょっと違和感を感じるところがあります。私のせいです、すいません)。
そういうことであればここに採録しては意味がないではないかと思うのですが、このへんの気持ちは複雑です。ここに書くのなら、平気なんですよねえ。申し訳ありません。関係者の皆様がたには、ご迷惑をおかけいたしました。
※公開にあたっての追記。こう書きましたが「電気分解で酸素を作る」は、ややルール違反かもしれません。これに似た「最初からドーム内に酸素ボンベを持ち込んでおく」というのが、どう考えてもルール違反に思えるからです。素直に、酸素は植物で作るのが実験として美しいでしょう。