もしこのまま続けば

 少子化がすごいことになっている。と、トラディショナルな雑文の書き出しではじめてみたがどうか。

 ちょっと別の話をする。あなたがカブノキという植物について何も知らないとして、カブノキの苗を、2000年と、2001年と、2002年にそれぞれ植えたものが並んでいる。今、2000年に植えた「長男の木」と、2002年に植えた「三男の木」を見る。この二つの木の高さを測っておくと、2001年に植えた「次男の木」の高さを推定することができる。たぶん、長男の木と三男の木を足して二で割った高さとみて、そんなに大外れはしないだろう。一方、次男の木と三男の木の情報から長男の木の高さを推定することも、同じように可能だけれども、たとえばカブノキは二年で成長が止まるということもあるかもしれず、これは少し、前者に比べて不確実性が大きい。前者の推定のしかたを「内挿」、後者を「外挿」という。

 外挿が内挿に比べて危険であることは、上のように直感的に理解できることである。「まだ六月やのに、暑いねえ」「八月はえらい暑いやろねえ」「一二月なったらもっとどえらいことなるやろねえ」という、つまりこれが外挿だ。なのだが、主として「他に方法がない」という理由でもって、科学者はしばしば外挿を使って未来を予想する。むつかしいことを言っているようだが、要するにこういうことだ。気温でも、売上でも、穀物の収穫量でもなんでもいいが、去年のデータとおととしのデータを持ってくる。これをグラフ上にプロットして、直線でつなぐ。この直線を「2004年」のところまで伸ばす。そこが今年の予想値である。

 この手の話では、少し前、ニュースで「百メートル走のタイムで男女が逆転する」というのを読んだ。百メートル走の世界記録は、現在は男子の記録が女子のそれを上回っている(短い)のだが、記録は大会ごとに少しずつ改善されていて、男子も女子もそれぞれ毎年ちょっとずつ短くなっている。ところが、その記録の更新されかたを見ると、女子のほうが男子よりも、ずっと急速に改善されている。それぞれをグラフにして、線をえいやと延長すれば、未来のどこかで男女のタイムが逆転する。そのときが女子スプリンターが男子スプリンターを凌駕する瞬間である(2250年くらいだったような気がする)。と、ざっとこういうスンポーである。すごいことを発表する人がいるものだと思った。

 さて「少子高齢化」というのも、基本的にはこの「外挿」なのだが、綾小路きみまろが言っていたように八〇歳のおばあちゃんを一人作るにはどうしたって八〇年かかるのであって、その点で予想はある程度正確なものだと思う(移住を考えなければ、三〇年あとになって三〇歳の労働人口がもっと欲しいと思ってもどうしようもない)。たとえば、少子化の実態を表す指数として「合計特殊出生率」という値を使う。これは、厳密には違うらしいのだが、おおまかには「女性が一生の間で子供を産む人数」である。この、合計特殊出生率は、2003年には1.29になった。

 これはつまり、男女二人で1.29人の子供を作るということであって、2ぐらいないと日本の人口は先細りになる勘定である。どうしてこうなったのか、あるいは、この状態はよくないのか、どういう状態が我々にとって一番よいのかというのはまた別の問題だが「人口は減るべきではない」ということをまず要件として仮定すると、実はこの、もっとも難しい「どうしたらよいのか」について、一つ私に考えがある。ここは一番オイラに任せろ。

 女性をたくさんつくるのである。

 まあ待ってほしい今説明する。合計特殊出生率とは「女性」が一生に産む子供の数である。これが1.29ということは、非常に単純素朴な描像を披露すれば、次世代は女性の数×1.29が総人口になる、ということになる。出生率が1を割りこむとどうしようもないが、幸いにして今のところ、次世代は女性の総数よりも多いらしい。ということはだ、最初から総人口の1/1.29が女性であった場合、総人口は増えも減りもしない、ということになるのではないか。

 計算すればわかる。この場合、女性人口は全体の78%ということになる。残りの22%が男性である。「一夫多妻」「重婚」「めかけ」というような単語が頭に浮かぶが、そこまで極端な社会を仮定しなくともよい。結婚するペアは男性全部と女性の三人に一人ほど、このカップルが四人ずつ子供をもうければよいのだ。これで全体として、合計特殊出生率がビタ0.1ポイントも改善しなくても、あっぱれ人口は維持されつづけるのである。なんて素晴らしいことだろう。

 あなたの白い目が想像されてならないが、少しもっともらしいことを言うと、現在女子二歳男子〇歳の子育てをしている私の実感として、やはり男の子は女の子に比べ、ずいぶん病弱で、育てにくい気がしている(ただ、上の子が楽すぎた、天下無敵に熱を出さなかったという特殊例で、下の子は上の子についてあちこち動き回っているので病原体にさらされやすい、というもっともな事情はあると思う)。周囲の母親にインタビューしてもそうだ。第一子が男の子の場合は「次は女の子がいい」と言うし、女の子の場合は「次も女の子がいい」と言うのである。本当にそういうものらしいので、男性諸氏は母親にもう一度お礼を言っておいたほうがよいと思う。

 あとは、ちゃんとした「産み分け法」があり、それが機能すればよい。各カップルが二人ずつ子供を産むとして「男女」の組み合わせの家庭と「女女」の組み合わせの家庭が半々であれば、それで上の「女子78%」の理想は達成可能なのである。ただこの「産み分け法」というもの、とにかく後継ぎとなる男児が欲しかった事情があった、長期間に渡る人類の歴史や、タマゴを生み乳を出す雌をより多く産ませたかった家畜飼育の歴史において、さんざん努力が傾けられた末に結局確たる方法が編み出されていないという事情がある以上、そう簡単なものではないという気もする。

 さて、以下余談であるが、最近読んだニュースでもう一つ、国民の肥満度の動向を調べたものがあったので、紹介したい。肥満というのは、この場合BMI(Body Mass Index)が25以上を指すのだが、1997年との比較において、肥満人口が増加の一途を辿っているらしい(※)。

 新聞報道によれば、2002年までの五年の間に、男性(20-69歳)が24%から29%、女性(40-69歳)が25%から26%に肥満が進行したそうである。女性はともかくとして、男性は、たった五年の間に成し遂げたにしてはかなりな増加率であり、ちょっと疑わしくすらある(周囲で急に太った人が増えたということがあるだろうか)。まあ、そんな疑いを差し挟んでもしかたがないので、ひとまず、これを信じるとしよう。するとどうなるか。

 どうなるかもない。データとして与えられているのは二点だけなので、これはつまり「直線で近似」ということである。これを外挿するということは「年1パーセントずつ肥満の男が増えて行く」ということになるのである。このままゆくと、2073年には男性は百パーセント肥満の人ばっかりになり、2100年には総人口の1.3倍の肥満者を抱えることになる。というのは冗談としても出来が悪いが、ちょっと待って、日本人全体としての体重を考えるのはちょっと意味があるかもしれない。

 なにが言いたいかというと、仮に「非肥満者」のBMIがすべて22(標準体重)、「肥満者」のBMIがすべて25(境界値)とする。かなり控えめな計算だが、年1%ずつこの「肥満者」の人数が増えてゆくということは、平均体重が(25-22)÷22×1%だけ増える、ということである(BMIは体重に比例する)。出生率が低いので人口全体としては今後減って行く傾向にあるのだが、もしここで「日本人男性の体重合計」というものを計算したとすると、個々人が太って行くことで、人数が減る分をある程度補うことができる。つまり、人数が減った分を「脂肪の増加」でもって補うのだ。

 ある人口推計によると、今後五十年の人口は年率平均0.4パーセントの割合で減少してゆく。上の計算では体重増加は年率0.1パーセントに満たないが、もしも肥満者のBMI平均が25ではなく31であれば(身長160cmの人が体重80キロということ)、人口減少分を、体重ベースでちょうど補うだけの増え方になる。なるのである。

 これはたいへん恐ろしいことである。人口が減っているのに、そこに集まる人の方が太ってゆくので、電車も行楽地もちっとも空いてこない。住宅事情も改善しない。三人座ると電車の座席が一杯になる。子供が減って、太った人が増えて行く。こんな恐ろしいことがあるだろうか。

 そしてもちろん、これは男性だけの話なのである。だから、世の女性がたが男を産んでくれなくなっても、恨んではいけない、と、そう思う。ご迷惑をおかけしております。女性のかたがた。


※ここに書いてあったことの、元のデータで私の勘違いがあったようなので、訂正しました。「男性の肥満度24%」は2000年と思っていたのですが1997年、「男性の肥満度29%」は2004年ではなく2002年のデータであるのことでした。データ起算時期が思っていたより三年早い上に、訂正前は「四年」と書いてあったのは、五年の間の間に起こったことだそうです。そのへんを加味して、加筆しました(2004.11.8)。
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