父が大切にしていた実験器具を持ち出したのは、好奇心もあったけれども、ちっとも構ってくれない父へのあてつけでもあったのではないかと思う。なにしろ、あの頃の父は家庭を顧みるということをまったくしない人だった。
特にその年は、私にとっては、人生でもっとも孤独な時期だった。父の転勤で、この田舎に引っ越してきたのが、私が小学校の三年生の、ちょうど夏休みに入ったころである。それまでは東京にある、企業の研究室に勤めていた父は、新しい職場に近い家を探すにあたって、古い農家を買い上げて改造する、ということをしたのだが、さあこの家が、見知らぬ土地で母と二人で暮らすには、あまりにも広くて古く、ひどく暗かったのだった。
幸いにして、一旦新学期になって学校が始まってみると、わりあいすぐに友人もでき、私の不安は大いに和らぐことになるのだが、だからといって寂しさが消えてなくなるわけでもない。三日に一度ほど勤め先から帰ってきては、離れ(この家にはそんなものがあった)に作った自室に篭り、ひたすら何かに没頭している父。私がこのような暗い家に母とただ二人取り残された、その原因を作った人のことを、私は憎み、恐れ、ただ、それだけではなく、どこかで憧れもしていた。そうだ。私は父のことが決して嫌いではなかった。
そんなふうに、ほんの些細なことがきっかけで、私はその頃のことを思い出したのだった。大学入学を期に家を出て以来、あまり寄り付きもしていなかった町である。私が小学校の後ろ半分から高校までを暮らした小さなこの町の駅で、ふと電車を降りたのは、出張で近くを訪れて、時間が余ったからという以上に意味はない。父母は定年を期に買った東京のマンションに引っ越してしまっていたし、友人も町に残った者はほとんどいないので、長い間、私にとってこの町は懐かしくも、どこかよそよそしい場所になってしまっていたのだった。
田んぼばかりの、なにもない町である。もともと時間つぶしに寄ったようなものだから、人手に渡って久しい父の家を見に行くのもいかがなものか、と思うと、もはや、どこに行ったらいいやらわからなくなった。そうして、駅からの道をあてもなく歩きながら考えてみれば、この町は久しぶりではあるけれども、なにか、ずっとここにいたような気がする場所でもある。
このあたりの気持ちは説明が難しいが、たとえば、小説本を読んでいるとき、その本の筋には関係ない、ある風景を思い浮かべることがある。小説に没頭する脳のどこかで、なんとなく、風景なり、そに立っている自分を思い出しているのだが、などと書いてはみたが、こういうことをするのは私だけなのだろうか。わからないがとにかく、私にとってそういうときに頭に浮かぶ風景は、この町のどこかであり、あの暗い家であり、父の部屋だったのだ。
まったく、父本人への私の気持ちはともかくとして、父が使いはじめた離れの部屋は、小さい私にとって驚異の詰まった宝箱のようなものだった。六畳ほどの離れは、元来は蔵かなにかだろうと思うのだが、母屋とは違って、電線や通信ケーブルが引き込まれ、念入りな改装を受けていた。エアコンもついていた。
その部屋に足を踏み入れてみると、どの壁も天井までの壁面収納で覆われ、山のような本や雑誌、プリントアウトを束ねたもののほか、鍵のかかった薬品庫や、水棲動物の飼育箱、計測機器の数々、クロマトグラフィの装置やデシケーター等々が納められている。唯一残った小さな窓際にも、小さな試験管や液体窒素を入れる魔法瓶、光学顕微鏡が置かれたテーブルで占拠されていて、窓はほとんど実用にならない。中央の広い机には、使い込まれたワークステーションの大きなモニターが私を見下ろし、傍らに屹立するのは、一メートルほどの高さの金属の塔。これは小型の電子顕微鏡である。父が居ない休日、私はこの部屋にこっそり忍び込んでは、それら実験器具の数々を、飽かずに見つめたのだった。
通りから脇に逸れる、細い道を見つけて、私は立ち止まった。舗装されていない細い道が、秋の田んぼの中を、小さな鳥居をくぐって山のほうへと続いてゆく。道の行き止まりには神社へと続く階段があって、その神社の森で、私は何度となく遊んだことがあった。西に向かって開けた丘の上の神社は、夕方遅くまで明るくて、私はあの暗い家に帰るのが嫌さに、日暮れまで神社で過ごしたこともあったのだった。
少し迷ってから私は、そのわき道へ下り、鳥居をくぐって神社へと歩いた。周囲には人影もなく、音といえば実った稲穂の上を吹き過ぎる、さやさやと軽い風の音だけである。友達ができはじめてからは、さすがに山の上の神社のようなところで遊ぶことはしなくなったので、ということは私があそこで遊んでいたのは、引っ越してからのわずかな期間であったはずである。これに関してはなにか、父の部屋と結びついた記憶があるような気もしたのだが、よく思い出せない。昔のことだ。
秋の日はゆっくりと暮れ始めている。暗くなるとこのあたりはまったくの闇になるのだが、ポケットを探るとキーホルダーになっているペンライトがあったので、これで、まあ、よしとする。私は神社の階段にたどり着くと、運動不足を少し意識しながら、階段を登っていった。
思い出したのは父の顔だった。そう、なにか、こっぴどく叱られたのだった。いつも自信にあふれていたような父の顔が、なんともいえない不安と恐怖に彩られて、なにしろ父がそんな顔をしたのは初めてだったので、私はなによりもそれに衝撃を受けた。そんなことが思い出されて、それから、かちん、と音を立てるように、記憶が繋がっていった。そうだ、私が父の実験器具を持ち出した先は、つまりこの神社だったのだ。
持ち出した、と言っても、私が持ち出したのは試験管が一本である。窓際に置いてあったそれが、あまりに綺麗な色をしているので、私はその日、一本持ち出して、ここで遊んでいたのだった。ところが、よほど大切なものだったらしく、暗くなってから帰ってきた私に、めずらしく早く家にいた父が激しく詰問した。サンプルをどうしたのか、と。私にはわからない、難しい言葉を大声でわめき散らす父、かばおうとして、父から話を聞いて、みるみる不安な顔になる母。あの夜の、暗かった家のことは、今でも思い出す。
茂みに覆われた階段を登りきると、名残の夕日に照らされて、おやしろのある広場は驚くほど明るい。ここもまた、私の「本を読みながらの風景」によく出てくる風景で、ただ、ありがちだが、やはり、記憶よりずいぶん狭く感じる。風景はいつもここ、階段を上りきったところから、夕日の照り返しを受けるおやしろを眺めたものだった。私は、夕映えに照らし出された古びたおやしろの、屋根の天辺に残った最後の光が消えてしまうまでそこに立っていて、それから帰ろうと思った。
夕日は沈んでゆく。この神社で遊んでいて試験管の中身をすっかりこぼしてしまい、それで、そのあとどうなったのか、私は覚えていない。試験管をどうしたのか、私はついに父には白状しなかった気がする。それきり、どうにもならなかった。あてつけにしても、ひどいことをしたものだと思うが、それもこれも、今となっては、昔のことである。
いや、ここではなかった、と私はふと気がついた。父の試験管で遊んでいたのは、ここではなくて、おやしろの裏側にある、小さな池ではなかったか。あれから長い間、幾度となく本を読みながらここの風景を訪れておいて、まったくそのことを思い出さなかったのは不思議でしようがないが、確か、神社の裏には池があったのだ。
私は、最後のかすかな夕日をついに見送ると、ゆっくりとおやしろを回って、反対側に歩いて行った。いよいよ暗くなってきたが、まだペンライトがいるほどではない。裏側は木が生い茂っているが、かろうじて踏み分け道の名残のようなものが続いている。私は林の中を歩いてゆく。と、十メートルほど歩いただろうか。そこに青白く光る、池があった。
思わず来た道を振り返って、暮れてゆく空の暗さにぞっとして、それから理由に気がついて、もっと、ぞく、とした。確かに、かすかな記憶にある小さな池、発見したその池全体が、薄く、青白く明滅して、建物を、木々を照らし出していたのである。
私は足元の腐葉土に不安を感じながら、さらに一歩、もう一歩踏み出して、光る池を覗き込んでみた。そこにいたのは、メダカだった。いや、メダカ以外の何かだった。青白く腹が光る小魚が、何千と池の中を泳ぎまわっていたのだった。記憶の最後のピース。その青白さは、あの日父の部屋の試験管の中で見たそれではなかったか。
そのとおり、父はそういう研究をしていたのだった。べつに「光るメダカ」を作ろうとしていたのではなく、光る組織を標本に使って遺伝子の実験をしていたのだろうと思うが、できているものは「光るメダカ」だった。私がこぼした、試験管の中身はつまり。いやそんな、まさかそんなことがあるはずがない。だってあれから三〇年は経っている。
限界だった。私はおそろしくなって、宵闇迫る森の中を駆けるように引き返した。青白くも明るい池から、神社へ、神社の広場を通り抜けて、真っ逆さまに階段の下、真っ暗闇の中へ。道の暗さを無視して、私は駆けた。当時の私の家を思い出させる夕暮れの闇よりも、背後の青白い明るさが、ただただ、恐ろしかった。