江戸時代。江戸時代というだけで、それ以上詳しいことはわからないが、時代劇でよくある江戸時代。若い男女が追っ手から逃げている。
女の名はおゆきという。若者のほうはおそらく豪農か大きな商家の、老主人の一人息子ででもあるのだろう。二人は不釣合いな恋をして、あるいは道ならぬ仲になり、二人きりで逃げることになった。そしてついにある宿場町で、いやもうこれも、どこの街道の、なんという宿場町かも知れないが、その宿の一室で、二人は追っ手に追いつかれる。
追っ手は二人組のごろつきのような男達だ。若者を連れ戻し、女を始末するようにでも言われているのかもしれない。かれらは若者の顔はかろうじて知っているが、女のことは知らない(と若者は思っている)。このやくざ者たちは、若者たちや、その他七、八人の旅人の泊まる部屋にずけずけと入ってくると、柄の悪さを隠そうともしない態度で、衝立によって小さく区切られた部屋の中一つひとつ確認してゆく。
若者は、部屋の奥に一人、入り口を背にして寝転んでいた。彼は旅の途中に知り合い、事情を知って深く同情を寄せた侍と共に、一計を案じたのである。まず、若者と侍が服装を交換し、ゆきは侍(若者の格好をした)と一緒にいることにする。ゆきもそれらしい衣装を手に入れ、いかにも旅の者が女を買った、というふうにしておく。こうしておいて、追っ手をだますのである。かれらは若者の顔は知っているが、まさか一人とは思わない。運がよければ、侍の格好をした若者には声をかけもしないだろう。一方、ゆきと侍のほうは、侍がまったくの他人であるうえ、ゆきは顔を知られていないのだから問題はない。
若者は、やくざ者が声を掛けにくいように、なるべく大儀そうに夜具の上に身を横たえつつ、耳だけは背後の声に向けてそばだてている。ずかずかと部屋に入り込んできた二人組が、他人の目も気にするでなく、まずは侍とおゆきのほうに向かったようだ。男女二人連れは、いちおう確かめておこうということでもあろうか。
やくざ者の声が聞こえた。
「兄貴、こいつらはどうですかい」
「そうだな、おい、あんたたち、ちょっとすまねぇが」
侍が静かに、なにか言い返しているのが聞こえる。そういうものではありません、とかなんとか。やくざ者の一人が少し声を荒げて何か言って、侍も言い返す。しばらく押し問答があって「弟分」のほうがこう口を利いた。
「うるせぇよ。なあ兄貴、もう間違いねえ、こいつらが、そうだ」
えっ、と若者は声を挙げそうになる。
「ああ、そうだな。坊ちゃん、おゆきさん、そういうわけでしてね、ご足労ですが、一緒に来ていただきますよ」
やくざ者と侍はさらに言い争うが、旅装ごと腰のものを若者に預けてしまった侍は、匕首を飲んでいるのであろうやくざ者に逆らうだけ損と考えたようである。結局おゆきと侍はやくざ者達に連れてゆかれてしまう。
その間、若者はなにをすることもできず、冷や汗を流しながら、痺れたように壁ばかりを見つめていた。彼らが部屋を出て行ってから、ようやく、若者はわれに返ったように考え始める。どうしてこんなことになったのか。やくざ者は結局おゆきの顔を知っていたのだろうか。あるいは、単に若者の顔を知らず、それらしい年格好の男女と見ればだれかれ構わず声をかけているだけなのか。もしや、やくざ者どもはすべて分かった上で、若者をおびき出そうとして、一芝居打った可能性だってある(そんなことをして何になるかはわからないが)。とにかく、大変なことになった。
大変なことになった、とそこで夢から覚めたので私はずっこけた。つまり、上記のような夢を見ていたらしい。横で赤ん坊が夜泣きをはじめて、それで目が覚めたのだった。まだ外は暗い。夜泣きをはじめた息子を、妻がなんとか寝かしつけるのを見ながら、私は、わあ、このあとどうなるんだろう、と思った。知りたい。ぜひ知りたい。
夢というもの、私に関してはどうも、眠りが足りないと見ないもののようである。現在我が家には二人の幼い子供がいる関係上、休みの日だからといって惰眠をむさぼるわけには行かず、だから最近は、なかなか夢を見ない。ところが、昨日は腰痛で動けずにずっと寝ていて、うとうとと昼寝をすることまでできたものだから(その間子供達を見ていた妻はたまったものではなかっただろうが)久しぶりに睡眠十分となっていて、それで夢を見たものだろう。ということは、これから朝までさらに頑張れば、少なくとも夢を見ることが出来る確率は高い。続きだって見れないことはなかろう。
信じれば夢はかなう、と思いつつ、うとうとした。うとうとしながら考えた。とにかく、四人を追うべきだろう。侍の持っていた刀は現在若者が持っている。これを持って駆け出して、どうにかやくざ者に追いつき、とにかく侍に刀を渡してしまうのだ。侍のほうも腕に覚えがありそうには見えなかったが、若者よりはよっぽどましだ。その際、若者のほうでも脇差でもってやくざ者の一人を片づけておくとなおよい。しかし、考えてみると、どうだろう、仮にすべてうまく行き、追っ手に勝ったところで、そうなればつまりひとごろしである。若者は、やくざものの一人の背後から背中を突き刺す情景を思い浮かべる。そんなことができるだろうか。できたとして、さらなる追っ手、今度は幕府(なりその他の役人なり)が加わった追っ手をどうかわすのか。
そうやってうとうとしつつ、かすかに、見たような、見なかったような夢の中で、とほうに暮れたような若者が、刀を鞘ごと抱きかかえたまま、土ぼこりの舞う街道に立ち尽くしていたような気がした。逡巡しながら出てきたものの、四人がどこに行ったか、わからなくなったのだった。どこを探せばいいのか。これからどうすればよいのか。
かように夢というものは思うに任せない。何か、ここから新しい物語が始まるような予感もするが、解決はしなかった。だいたい、すっかり目覚めた今になっても、この先どう物語を作ればよいかわからないのに、潜在意識(ではないのかもしれないが、とにかく私に夢を見せているナニモノか)に、頼ろうとしたのが間違いだったのかもしれない。気が付けばすっかり明るくなったいつもの寝室で、私は考えるのをやめた。才能がないのを嘆いてもしかたがないが、そういうわけで、かの男女の前途に関しては、申し訳ないような気が今もしている。