2004年11月24日のことである。産經新聞朝刊(東京版?)の、一面トップに、こういう記事が載った。
低下続く大学生の「日本語力」
「憂える」=「喜ぶ」!?/短大生35%中学生レベル
「留学生以下」授業に支障も
記事は、独立行政法人「メディア教育開発センター」の小野博教授による調査を伝えたものである。一六年度入学の大学、短大生一万三千人を対象にした大規模な調査で、テストの結果、中学生レベルの得点しか取れない学生が五年前と比べて大きく増加している、とのこと。「憂える」の意味を「喜ぶ」と回答するような学生が数多くいることを伝え、日本の自国語教育に警鐘を鳴らすものである。
雰囲気だけで語ることを許されるなら、私も、そういうことはあるのではないかなあ、そんなものではないかなあ、と思う。疑問を抱くとすれば、大学生の日本語力が、長い時間かけてゆっくりと悪くなってきたのではなくて、この五年間に大きく下落しているという部分くらいである。記事では、五年前(だからたぶん、平成一一年度入学の学生だろう)の調査と比較して「中学生レベル」と判定された学生の割合が、
国立四年制大学の学生:0.3%→6%
私立の四年制大学の学生:6.8%→20%
短大の学生:18.7%→35%
というふうに増加しているとしているのだが、印象として、この悪化率はものすごくて、この五年間になにか教育において大きな変化があったのだろうかと悩むべきところだと思う。しかし、実際、学習指導要領やら入試制度やら、よく知らないがなにかそういったことで実際に変化はあったのかも知れず、そういうことをこの調査が明らかにするのであれば、意義深いことである。
ところが、記事に添えて、枠に囲って示してある「問題の例」としてある部分を読んで、あれ、と思った。変なのである。データを引用すると、こうだ。
■露骨に
(1)ためらいがちに(0%)
(2)おおげさに(83.3%)
(3)あらわに(16.7%)
(4)下品に(0%)
(5)ひそかに(0%)
■憂える
(1)うとましく思う(16.7%)
(2)たじろぐ(0%)
(3)喜ぶ(66.7%)
(4)心配する(0%)
(5)進歩する(16.7%)
■懐柔する
(1)賄賂をもらう(50.0%)
(2)気持ちを落ち着ける(33.3%)
(3)優しくいたわる(16.7%)
(4)手なずける(0%)
(5)抱きしめる(0%)
(カッコ内は中学生レベルと判定された学生が回答した割合、白抜き数字が正解)
ここには記号を使えないが、元の記事では「露骨に」の3、「憂える」と「懐柔する」の4が白抜き数字になっている。「憂える」を「喜ぶ」と思っている人が多かったり、正しく「心配する」と思っている人がゼロだったり、おそるべきデータなのだが、数字に鋭い人であれば、一見しただけで変だと思うのではないか。各数字が、あまりにきっちりと、1/6単位になっているのだ。
本当のところ、ここに「全回答の割合」を示すのではなく、「中学生レベルと判定された学生」という、特に成績の悪かったもののデータを抜き出して示すのは、センセーションを狙ったすこし公平でない態度だと思う。「肥満と判定された人の体重の平均」のような、あまり意味のないデータになっているのだが、それよりも問題は、これが何人のデータを集計したものなのか、ということなのである。
わざわざあらためて書くほどのこともないのだが、この15カ所にデータとして出てきた数字は、次の6つしかない。
0%
16.7%
33.3%
50.0%
66.7%
83.3%
そしてこれは、分数0/6、1/6、2/6、3/6、4/6、5/6をそれぞれ小数で書き、その小数点以下4桁目を四捨五入したものに、ぴたりと一致するのである。
どういうことだろう。わからない。「中学生レベルと判定された学生」は実は6人しかいないのだろうか。そんなことはないはずである。調査対象となった合計一万三千人の、6%ないし35%が中学生レベルなのだ。いくら少なく見積もっても、800人くらいのデータでなければおかしい。
もちろん、800人だろうが一万人だろうが、割合の数字を計算すると、ぴたりと1/6単位に、たまたま分かれてしまった、という可能性は常にある。それがどのくらいかというと、ものすごく少ないだろうということはわかるのだが、計算したことはなかったので、計算してみた。
たとえば、実は「中学生レベルと判定された学生」が6人ではなく、12人いたとする。この場合、引用部のデータのように1/6の倍数の数値だけが出てくるということは、たまたま各設問の答えを出した学生が、0人、2人、4人、6人、8人、10人、12人の6通りだけであり、残りの1人、3人、5人、7人、9人、11人という場合はなかった、ということである。たった一つでも「1人がこう答えた」「3人がこう答えた」というようなデータがあってはならない。
これがどのくらい起こりそうなことかは、なにかちゃんとした計算方法があるのだろうと思うが、私はエクセルのワークシートを使って、樹形図を確率でたどってゆく計算しか思いつかなかったので、そうした。これは、こういう計算である。最初の一人がなんと答えても「奇数人数がこう答えた」という回答の数が1になる。次の一人が、最初の一人と同じ答えをすると「奇数人数が答えた回答」の数は0になる。違う答えをした場合「奇数人数が答えた回答」の数は2になる。前者の確率は1/5、後者は4/5と考える。そうやって、12人目まで確率を計算していって「奇数人数が答えた回答」の数が0になる確率を計算すればよい。
語るもお恥ずかしい、力づくの計算法だが、とにかく答えは出て、その確率は6.3%である。これは設問一つについての確率なので、紙面にある問題3つについて同じことが同時に起こる確率は0.03%になってしまう。これは12人の場合で、私の頭の悪いやりかたではこれに加えて18人の場合まで計算できただけだが、この場合は設問一つあたり1.2%だった。3つでは0.0002%。そしてこれは人数を増やすにつれ、どんどん減ってゆくはずである。実用的な意味において、800人でこのようなことが起こることはない。どこかがおかしいのである。
おそらくは調査はちゃんとされているのだろうと思う。が、提示されているデータが信用できないので、なんだか調査自体、いいかげんにされているのではないか、と疑ってしまう。五年前のデータに比べて、今回の調査結果のパーセンテージが有効数字が一桁少ない(短大生が18.7%→35%など)のまで、疑わしい点に思えてくるのである。邪推なのだろうとは思うのだけれども。
恐ろしいのは、この調査が、ある意味で非常に「うまい」ものであることだ。例示するデータとして「憂える」を持ってきているのが特にうまい。「大学生の日本語力を憂える」と誰でも言いたくなるところで、現にこの次の日の産経抄(朝日新聞で言うと「天声人語」に当たるコラム)でも、そういう切り込み方をしていた。毎日新聞でもそういう4コマ漫画をたまたま見かけたので、新聞以外まで含めると、おそらく、もっとたくさんあったはずである。これからも、延々と未来にわたって孫引きされ、使われ続けるだろう。産經新聞にとっても、小野博教授にとっても、それから日本語のリメディアル教育なるもの(再教育ということらしい)をされてしまうに違いないいくらかの大学生たちにとっても、不幸なことだと思う。
これは「データの捏造」などという話ではないだろう。あまりにも数字が変なので、悪意を持って捏造したら、こんなことになるはずがないからだ。何かきっと、ちょっとした行き違いがあるに違いない。ちゃんとしたデータを載せた方がよいのではないかと思い、実はすでに上のような内容で産經新聞にメールを送って問い合わせてみたのだが「『メディア教育開発センター』に尋ねてみたらどうか」という回答だった。メディア教育開発センターにも送ってみたが、一週間経って、小野教授からは今のところ特に返事はない。
上に書いた「産経抄」(11月25日)には、こうある。
「憂える」の意味を「喜ぶ」と思いこんでいるような大学生がすくなからずいる。そんなばかな! 全く信じられない数字が新聞に出ていた。メディア教育開発センターの調査で、大学生の「日本語力」は中学生レベルにまで低下しているということだった。
「大学生の『日本語力』は中学生レベルまで低下している」とまで言えるかどうか、たぶん「大学生の中に『日本語力』が中学生レベルである者がかなりいる」程度のことだと思うのだが、そのことさえも、今となっては、新聞一面に怪しげなデータをさしたる疑問も持たずに載せる、算数力の低下に比べればたいした問題ではないのではないか、と思うのである。
最後に、ここに「憂えるのである」と書かなかったのは、我ながら偉いと思う。