ジョン平は天気を占う

 占術庁の予言によれば、関東地方の明日、日曜日は曇りのち晴れ。最低気温は一二度で、最高気温は一九度くらいまで上がる、そうだ。

 テレビでそう確かめたぼくは、傍らで同じようにテレビを見ていたジョン平に、よかったね、と言う。ジョン平はぼくの使い魔で、並の犬ではないけれど、やはり犬の本能からは逃れられない。どうにもこうにも散歩が好きなのだ。天気がよいと、犬は嬉しい。ジョン平はぼくのほうを見て、うあん、と返事をした。口の端がひょいと上がっている。笑っているようだ。

「ジョン平」は、じょんぺえ、と読む。長い間ぼくと一緒に暮らしている、ぼくの「使い魔」であり、レトリバーを中心になんだかよくわからない血の混ざり方をした、「大の中」くらいの大きさの雑種犬だ。魔法が支配するこの世の中にあって、使い魔という存在は決して珍しいものではないが、普通の動物と比べて見てしまうと、どうにも奇妙なものである。どうして飼い主と一緒に暮らしているだけで、普通の動物が、このような、かけがえのない、優しくも親切な、人語を解する「使い魔」という存在が作り上げられるものか。

 でも、それよりももっと奇怪な感じがするものといえば「予言」の存在である。本当に、これはなんだろうと思う。

 魔法とは、原則的に言って、願望をかなえる能力である。自分が強くつよく願うこと、一点の曇りもなくそれを信じぬくこと、それが魔法の力の源、マナ、魔法素を物理的な力に転換する、魔法回路を自分の頭の中に作るということだ。使い魔だって、つまりはそういう存在である。一個の生き物と共に暮らし、さまざまな喜怒哀楽を共にすることによって、使い魔と飼い主が同化し、二つの脳の間に魔法回路が出来上がる。ぼくらは、そうして人生のパートナーたる使い魔を得る。

 残念ながらぼくにはどうやらこの「信じる力」がやや欠けていて、だからジョン平の「馴致」もなかなか思うようには進まないわけだが、それでも、おそらくはぼくの数学的才能のいくらかは、逆説的だけれども、魔法の力によるものであるはずだ。ぼくは自分の望む自分になりたいと強く願う(そうしない人がいるだろうか?)。そうすると、ぼくはそういう存在になってゆく。魔法は、そうやって世界を変える。ぼくの場合、それがこの世界で幸せになる道とは少し違う方向を向いている気がするのが、辛いところなのだけれど。

 ぼくは、続いてアナウンサーが伝え始めた明日の予言の前に、思いついて、テレビのスイッチを消した。ジョン平がいぶかしげにぼくの顔を覗き込む。ジョン平は、これはあまり犬らしくなく、テレビが好きなのだ。
「しげ…る、どうした」
た、の音が少し、ふぁ、のように聞こえるジョン平の発音で、ぼくのことを呼ぶジョン平の頭をなでて安心させてやり、ぼくは新聞を広げた。どうしてテレビを消したかに、そんなに深い理由はないのだ。ただ、天気予言を伝えるキャスターの態度が、なんだか気に入らないという程度のことだったから。

 そう考えて、新聞を見てみれば、世の中には予言があふれている。景気は春までには少し回復するだろう。為替はこれこれこのようになる。世界のそこかしこで続いている戦争は、あるところでは激化し、またあるところでは小康状態になるだろう。一つの予言には具体的な数字が用いられ、別の予言はあいまいで定性的である。そうして、占術庁がまとめた予言一覧が、新聞の一つの面を埋めている。

 予言。予言の存在だ。なんというものだろう。誰かが予言をする、そのこと自体にはあまり魔法は介在していない。しかし、いったん予言として口に出されると、予言が、魔法によって、自分自身をかなえはじめるのだ。普段からたくさんの予言に接しているぼくたちは、あらためてこのことを意識することはあまりないのだが、これはかなり不気味なことではないかと思う。

 誰かがこう言ったとする。
「この冬は寒くなるだろう」
 それらしい理由も添えられている。気圧配置がこうで、記録によればこの配置は何年のものに似ていて、そのときは厳しい冬になった、とか。信じる人は多いだろう。実は、ここのところはさほど厳密でなくてもよい。極端な話、星の配置とか、お茶の葉の散らばり方とか、総理大臣の血液型を根拠にしたってかまわない。重要なのは、多くの人が根拠をもっともだと思い、予言を信じるということなのだ。

 多くの人は、この「信じる」ということで、わずかながら、魔法を行使する。そのパワーは、意識しないものだから、ほんのわずかかもしれないが、それは魔法素から転換した物理力の形で集められ、力となって、この冬を寒くする。こうして、予言は自らをかなえるのだ。どんな魔法を使っても実現不可能な予言はあるけれども(全人類の全魔力を使っても、月を砕くことはできない、というたとえがよく使われる)、冬を例年より一、二度寒くすることぐらいはできる。

 かつては、恐ろしいことがあった。人々の信頼を集める魔法王のようなひとの不用意な予言が、強大な力を持つようになり、大げさに言えば人類が滅亡しかかったこともある。近代になって、予言の仕組みが知られるようになって、あまりにも悲観的な予言が実現したりしないよう、政府は心を砕いてきた。たとえば、占術庁の存在がその一つで、占術庁はさまざまな予言を行う、信頼すべき機関として、政府を支えている。一寸先の闇の、その先を照らそうと努力している。

 予言はよいことばかり言っていてはいけない。悪いことばかり言う予言よりはましに思えるが、どちらも、信じてはもらえないからだ。疑いを持たれてしまったら、その人にとって予言は予言としての力を失う。政府、そして占術庁は、こうして、吉凶相半ばする予言を出しながら、ほんのすこし、明るい予言を増やしているのではないか、と、そういうふうに信じられている(そのこと自体、予言の効果をいささか減じるのだけれども)。

 ぼくは、魔法があまり得意でないこともあって、ちょっと予言に対してシニカルな気持ちでいる。そういう人は最近では決して少なくないらしく、予言の効果は、それが信頼の置ける政府の機関で出したものであっても、かつてほどは高くない。景気なんかに対しては、予言が外れることも多い。が、それでも、ひとびとは予言や占いを信じ、自分の行動や子供の名前、株の売買をしばしばそうやって決める。そうしないのは、よほど心の強いひとだけだ。

 そして、ジョン平は、なにも信じない。ただ、すべてを受け入れているようだ。

 いや、信じているとしたら、それは、ぼくか。ジョン平はぼくを、たぶんぼくだけを見ている。ぼくがそう言ったから、明日は晴れると信じていて、散歩に連れて行ってもらえると信じている。口を笑いの形にあけて、舌を少し出して、ゆっくりと尻尾を振って、楽しげにしている。
「しげ…る、なに」
 と、見ているぼくに気が付いて、ジョン平はそう尋ねた。ぼくは首を振る。
「いいや、なんでもないよ」
「おかし…くぁべふ、か」
 ジョン平の声が期待に膨らんでいる気がする。
「いや、今晩はまだ食べない。風呂のあとだね」
とぼくは言う。ジョン平は、くうぃ、という感じの短い声で抗議した。

 しかし、そのぼくは、信じられるに足る人間だろうか。自分で自分のことを信じられないのに。この魔法の世界における自分のゆくすえを、ジョン平のゆくすえを、信じていないというのに。自分がなにもので、どうしたいのかさえ、時にはわからなくなるのに。ぼくの魔法は、自分を自分に作り上げてゆく魔法は、強くはなくて、それでぼくは、劣等生として生きている。ぼくとジョン平は、鈴音ちゃんとトルバディンや、優くんとダガーのようには、なれない。

 そう思って、ますます落ち込みつつも、今夜も深くなってゆく。見ていてもちっとも風呂にも入らず、お菓子を食べ始めたりもせず、ただ新聞を読んでいるぼくに、ジョン平はすっかり退屈して、大きなあくびを一つして、ついに前足を枕に、その場に寝そべってしまった。たぬき寝入りというのもおかしなものだが、本当に寝ているかどうかは、わからない。見ていると、黒い鼻をぺろりとなめた。

 ぼくはその姿を見て、落ち込んでいた気持ちが、少し癒されたような気がした。まあ、いいか。そうつぶやいて、ぼくは決意する。明日、日曜日は散歩に連れて行ってやろう。きっと晴れるさ。そして、これこそが、もしかしたら、ジョン平の魔法かもしれない。明日が晴れることを、今なら信じられそうな気さえしていた。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧ヘ][△次を読む