するからの逃走

 少し前に読んだ、ある事件を報じた新聞記事に、こういう表現があった。
「犯行時間前の約4時間、少年は自分の部屋でパソコンをしていた」
 その後、見たドラマでこう言っていた。
「なんだ加津、またインターネットしてるのか」
 今これをお読みのあなた。そう、あなたも、まさにインターネットをしていて、さらに言えばパソコンをしているのだ。私は広く問いたい。いかがなものか。これで良いのだろうかと。

 そもそも、総じて、マスコミは科学技術、パソコン関係を苦手としている気がする。後者に関して言えば「『橋田壽賀子ドラマ・渡る世間は鬼ばかり』になにを期待しているのか」と叱られそうである。しかし、特に、この一件に関して言えば、新聞なりテレビなりが悪いわけではない。橋田も悪くない。日本語として、まだうまい言い方が定着してないだけだと思う。

 その証拠に、ではどう表現すればよかったのかと尋ねられると、にわかには答えづらい。「パソコンを操作していた」とか「インターネットを閲覧していた」と言うふうにすれば一応綺麗に表現できていると思うのだが、漢語になってしまうし、ふだん私がやっているような、よそのページの更新をてれてれと確認したり、自分のホームページになにかあほうなことを書いてアップロードしたり、掲示板に思いついた駄洒落を書き込む、といったようなふるまいに「閲覧」だの「操作」だのという言葉は、どうも大げさにすぎるのである。そうではないか諸君。

 ここは、なにか新しい言葉を当てるべきなのだろう。といって、まさか「ホームページをこきる」「マウスをげどった」というような近未来的な言葉を作っても混乱が広がってゆくだけである。「バグる」「ネゴる」「サチる」という類のものとも、ちょっと違う気がする。こういうとき、昔の日本人は、外来語をカタカナで書いただけのホヤホヤで日本語に取り入れたりしつつも、動詞はちゃっかりと古いものを使いまわしてきたのである。いや、自信はないがたぶんそうだ。

 たとえば。目の前にレンズを固定して水晶体のピント合わせを補助する道具、眼鏡というものは、日本語が生まれて以来、歴史上ずっとあったものではない。たぶん幕末ぐらいのあるときに、日本人の前に姿をあらわし、定着した。「眼鏡」という単語が新たに日本語に追加されたわけだが、では、この眼鏡をどう「する」のがよいか。そのまま「眼鏡をする」と言ってもいいし、実際そう言っている人もいる。しかし「かける」と言ったほうが、多少スマートに思える。おそらく、眼鏡は鼻や耳にひっ「かける」ものだからこう言うのだろうと思うが、「あの人は眼鏡をかけている」というとき鼻のことは関係なくなっているのだから、語源がどうであれ、「ひっかける」等の「かける」では、もはやなくなっていると言うべきだろう。なにしろ水中眼鏡のようなものでも「かける」と言えるのである。

 見回してみると、こういう言い方は他にもいっぱいある。電話はかけて、電報はうつのだが、電話線はひく。レコードもかけるが、まわすこともある(CDはどうだろう。MP3プレーヤーは?)。新聞はとったりひいたりし、チケットがとれると嬉しい。エンジンをかけ、動かした車は時にころがしたり、まわしたりする。原稿が完成するとあげる。電灯やその他スイッチはつけて、きる。ピアノはひく。音程もリズムもとる、そうして、音楽にのる。夜はうるさいので音量はしぼる。

 より新しいものでは、マウスには「クリックする」という口惜しい言い方しかないが、キーボードは「たたく」と言えると思う。ぽちぽち柔らかに押していても「たたく」と言えるかどうか、多少の異論はあると思うが、やがてそうなっていったとしても、それほど意外な展開ではない。電子メールを「うつ」という言い方をする人にも会ったことがある。これはキーボードよりは上の「電報をうつ」からの連想かもしれないが、つまりはこういうのを、他に応用してゆこうというのである。

 たとえば、ホームページ(※)を設置し、運営管理することを「たてる」というのはどうか。

「私は大西科学をたてております、大西と申します」

 何を言っているのだ、という感じもするが、要するに慣れの問題であり、百回使えばギャグでも何でもなくなる。あなたはホームページをたてないんですか。きみがたてているページのアドレス教えてよ。私は十年も前からたてています。たてたと言ってもこじんまりしたのですよ。時間がなくてたてただけになってしまいましたが。

 上の新聞記事にあった、パソコンやインターネットは、あるいは「はいる」を提案したい。

「昨日は二時間も愛用のノートパソコンにはいっていた」
「光ファイバーなら快適にインターネットにはいれます」
「詳しい情報はインターネットにはいっています」
「PHSからははいれません」
「ついにあの老舗もはいってきたか」

 だめだろうか。「はいりっぱなし」とか「はいったきり」「奥にはいっている」等と言えるのがいいところである。少なくとも「する」ではこうは行かない。

 これらの動詞は、ここまでわざとひらがなで書いたのだが、何か好きな漢字を当ててもよいのだと思う。吉田戦車のおかげか今や「感染る」と書くと「うつる」と読んでしまうが、もちろん本来こんな読み方はない。逆に、ふさわしい漢字を持ってきて送り仮名をふっておくと、いつか、ちゃんと読めるようになるということかもしれない。考えてみれば、刀ですぱっとやるときに使う「斬る」というのもそうではないか。えいやと作ってみると、「たてる」は「建てる」だと多少大げさなので、「編てる」「公開る」、あるいはお茶のように「点てる」を使って「たてる」と読ます。「はいる」は「潜いる」でどうか。感じが出てないか。

 さて、以上は、私が昼休みの間に考えた、大ざっぱな例である。このまま定着するものか、自信があるかと言われると、正直言ってなにかがちがう。ただ、何もしないのは、それだけはよくないと思うのである。このへんを曖昧にして、何十年もスルスル言っているよりは、何か定まった言葉遣いが作られるべきである。もしも私の意見に賛同していただけるなら、あなたも「する」と書きたくなったとき、話したくなったときに、自分の好きな動詞を代わりに使ってみてはいかがだろうか。思いついたらなんでもよい。「する」に比べたらなんでもマシであり、通じないということはないと思う。

「今日は一日中表計算ソフトをひろげていました」
「お好きな着メロをもぐことができます。無料ですのでどんどんもいでください」
「ときどきは、上の広告バナーをつまんでいただくと助かります」
「迷惑メール一五〇万通をねじって、サーバに負荷を与えた罪」
「犯人はしきりと出会系サイトをしばいていたようだ」

 なんだかわからなくなってきたが、努力を怠らなければ、いつか、こういうものの中から優れた表現が出てきて、定着する日がやってくるはずである。必要なのはちょっとした創意工夫と、後ろ指をさされても気にしない勇気、それだけである。私も不退転の決意でナニしてゆこうと思う。


※主題とは別の問題ですが、ここではウェブブラウザを開いたときに最初に表示されるページではなく、自分の管理するページ、という意味で使っています。私も歳なので、抵抗するのもやめました。
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