それはさておき「自分にお年玉」である。
自分にプレゼント、とか、自分にごほうび、というような言葉はよく聞くけれども、なにか、こう、満たされないものがあるのは確かである。我々が欲しいのは、それはもう命をかけて欲しいのは、不労所得、あぶく銭、薮で拾った一億円ではないか。私がお歳暮で一番欲しいのはハムだけれども、ハムは自分で買って食べたくはない。本当にちっとも買いたくない。そういうものだと思う。
さて、そういう話でゆくと、郵政公社が今年の年賀状にあわせて行っているこの「自分にお年玉」キャンペーンは正しい方向を向いていることになる。そもそも年賀はがきについている「お年玉くじ」からしてそういうものだが、「自分にお年玉」キャンペーンはたくさん年賀状を送った人がもらえるという方向性のものである。五〇枚以上の年賀状と一緒に提出すると抽選の対象となるものと、別途応募するものがある。
私の家は、ここ数年、年賀状は夫婦あわせて五〇枚と決まっていて、毎年ほぼその枚数に収まるのだが「送っていない人から来たらどうする」という恐怖心があって、五〇枚買っても年内に出すのは四七枚くらいになる。だから上の二つのキャンペーンのうち前者は応募できないということになるのだが、あとのほうは大丈夫である。年賀状を買うとくれる応募はがきに、必要事項を記入して、五〇円切手を貼って、送ればよいだけだ。これでアイポッドミニ(だと思う)などが当たったりする。すてきだ。
そのときだ。え、五〇円切手、と思ったのである。そう、この応募はがき、五〇円切手を貼って送らねばならないのだ。
普通の抽選に応募するときに、はがきに切手を貼らねばならない理屈はわかる。抽選する企業と、はがきを運んでくれる郵便局は別だからだ。しかし、これは郵便局が実施するキャンペーンなのである。宛先も、東京中央郵便局留になっている。
郵便小包を不在にしているなどして受け取れなかったときに「次はいついつ届けてください」と伝えるのは、電話でもいいが郵便でも受け付けている。このときは切手を貼らなくてよいらしく、切手を貼るべきところに「郵便事務」と書いてある。転居の届け出も同様に、切手を貼らなくてよいはがき(もどき)をポストに入れればよい。これらは、宛先が郵便局であるからで、理にかなっていると思う。
しかるに、これは五〇円取るのである。考えてみよう。この五〇円は、結局郵便局のものになる。五〇円のコストのある部分は、この応募はがきを東京まで送ることに使われることだろうが、回収、輸送、切手そのものを製造するのにかかるコスト等まですべて含めても、このはがき自体では赤字は出ないはずである(でなければ、年賀状をこれほど大々的にキャンペーンするはずがない)。本来、ある個人の家に届けるところ、局留でよいのだから、一枚あたりの収益はもっと上がるはずだ。
ということは、つまりこれは、郵便局に一定額の賭け金を渡して、ある確率で賞品が送られてくる、賭けに近いものではないだろうか。普通の懸賞も「ある会社の商品を買って応募マークを集めて送る」という形式の場合、これに似ているが、この場合、郵便局から買うのが「切手」という、一種の有価証券であるところが、一段なまぐさい。悪いたとえだけれども、マルチレベルマーケティングとねずみ講くらいの差がある話である(あまり差はない気がするが、後者は法律で禁じられている)。ただ、賞金総額を計算すると六千万円くらいにはなっていると思うのだが、はがき一枚あたりの収益が二〇円として、三百万通の応募がなければトントンにはならない勘定である。ちょっと、無理かもしれない。
というわけでこんなキャンペーン応募しないほうがよいのかというと、しかし、まあその、ここまで書いておいてなんだが、ついでであるし、アイポッドは買いたくないけど欲しいものの筆頭なので、いそいそと応募してしまうのである。こんなことを書いたら当たらないような気もするが、郵政公社も年末忙しい時期にこんなサイトをチェックしている暇はないと思うので、平気なのである。欲しいなあ、お年玉。