くまくまくま

「三匹のくま」というタイトルで知られる童話がある。ある資料によればもとはイギリスの昔話だそうで、ハッピーエンドともなんとも言いがたい、奇妙な味がする物語である。あなたもきっとどこかで聞いた事があるのではないかと思うが、筋を紹介すると、

・三匹のくまが森の中に家を建てて住んでいる。大きなくまと中くらいのくまと小さいくまである(※)。
・三匹のくまはそれぞれ自分の大きさに合ったスープ皿、椅子、ベッドを持っている。
・三匹のくまが朝ご飯のスープ(おかゆである場合もある)を用意してそれぞれの皿によそい、スープが冷めるまでの間、散歩に出かける。
・女の子が一人、くまたちの留守に忍び込んでくる。
・女の子はスープを飲み干し、椅子に座って壊し、ベッドで寝る。
・三匹のくまが帰ってきて、スープ皿、椅子、ベッドの異変を確認し、最後にベッドに寝ている女の子を発見する。
・気がついた女の子が一目散に逃げ出す。

 さてここで、一等ひどい目に遭うのはなんといっても「小さいくま」である。大きいくまと中くらいのくまは、自分のスープが一口飲まれ、椅子やベッドを誰かが使ったあとを発見するだけだが、小さいくまは自分のスープがすっかり飲み干され、椅子が壊され、自分のベッドにまさに女の子が寝ているところを発見することになる。すべてこの調子で、最後に試した小さいくまのものが女の子にぴったり合うのである。

 自然、話の流れとしては、くまたちのスープ、椅子、ベッドを紹介し、女の子が入ってきてスープ、椅子、ベッドを使って、それからくまたちが帰ってきて、スープ、椅子、ベッドを確認して、というひたすらの繰り返しになる。おそらくは小さい子供にとっては、この三回ずつ三回それを三回、というパターンが楽しいのだと思う。私の調べた範囲でもいくつか、少しずつ細部が違う絵本が書かれているので、日本における「桃太郎」とまでは行かないまでも、同様の、特定の原作者のいない、有名な昔話なのかもしれない。

 このようによくできた物語なのだが、話を読んでいて、引っかかるというべきか、惜しいと思う点があって、なにか細部をいじりたい気がしてしまう。たとえば、女の子がぴったり自分に合うのが「中くらいのくま」のものであれば、物語がもっと理にかなったものになるのではないだろうか。

 くまは元来大きいものだし、女の子は小さいものだが、ここであえて「中くらいのくま」と女の子が同じくらいの大きさとする。すると、ベッドも椅子も、中くまの中くらいのものがちょうど身の丈に合い、大きいくまのは大きすぎ、小さいくまのは小さすぎる、という話になるが、これは元の話よりも単純でわかりやすい。物語ではベッドは頭が高かったり足のほうが高かったりで、また椅子は固かったり柔らかすぎたりして女の子のお気に召さない、というふうになっているのだが、なぜそうなのか、大きいくまのものと中くらいのくまのもの、どっちがどっちなのか、特に必然性がないのだ。

 そしてスープである。私が読んだ絵本では、例外なく、ここは「大きいくま」のものが熱すぎて、「中くらいのくま」のものが冷たすぎる、ということになっている。小さいくま用のスープがちょうどよい温度ということだが、これはおかしくないか。

 現実にはいろいろな事情があるので一概には言えないわけだが、他の条件が全く同じであれば、熱伝導の効率に関係する表面積は寸法の二乗に比例する一方、熱容量に関係する体積は寸法の三乗に比例するという簡単な関係から、大きいスープ皿のスープは冷めにくく、小さいスープ皿のスープは早く冷えてしまう、という結論が導き出せる。常識に適合するように物語を作りかえるとすれば「ちょうどよい温度」なのは、どうしても中くらいのくまのスープでなければならない。

 娘や息子にこの話を読み聞かせていると、本当に、ここのところが惜しくてならない。小さい器のほうが中身が早く冷めるというのは、物理法則がどうこう、と大上段に構えて言うほどのことではなくて、日常の経験から誰もが直感的に体得することだから、どうしてこの不整合がそのままになっているのか、不思議に思ってしまう。今までこの絵本を読み、書き、編集してきたみんなが多かれ少なかれおかしいと思いっていたに違いないのである。

 息子はもちろん、娘もまだ文字を自由には読みこなせないので、読み聞かせのときに勝手に筋を変えてしまうことだってできるのだが、では中くまがひどい目にあう物語にすればよかったのかというと、それも間違っている気がする。本当にこれをやると特に椅子の項との整合性が悪いし、大中小で小くまが「オチ」という流れは変えたくない。

 実は、私は一度だけ、大くまのスープがものすごく熱く、中くまのスープがまだまだ熱く、というふうに読みかえてみたこともあるのだが、これもあまりよろしくない、とすぐ気がついた。というのも、私が器量狭く常識にこだわって勝手に筋を変えることで、間違って覚えた娘が幼稚園でいじめられる、なんてことも、ないとは言えないではないか。考えてみれば、くまが三匹で家を建てて住んでいる、ということからして生物学の常識には適合しないし、留守中に勝手に入って好きなことをする女の子は道徳律にも適合しないのである。このうえ物理法則がなんだというのだ。

 もしかして、つまりはこういうことで、中くらいのくまのスープはこれまでずっと冷たく、そしてこれからも、物理法則に反して冷たいままなのかもしれない。それにしても、よそったスープが冷めるまでという約束だったのに、くまたちは、ちょっと散歩しすぎたようである。


※夫婦と子供の三人家族、という解釈のバージョンも見かけたが、一般的ではないと思う。
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