虹色の国

 あなたは、どこか外国を一人で旅行している途中だ。露天商がにぎやかに軒を連ねる広場を歩いていて、サイコロを使った賭博が行われているのを目にする。言葉があまりうまくは通じないのだが、土地の人が遊んでいるのを見て、だいたいのルールは飲み込めた。

 まず、3ディム(土地の通貨。1ディムは数十円くらい。1ディムは100センチマ)を、1から6のどれかの数字に賭ける。胴元は三個のサイコロを転がす。賭けた数字が出れば、賭け金と賞金3ディムが得られる。サイコロは三つあるが、賞金は的中したサイコロ1個につき3ディムで、だから一つのゲームで最高9ディムが得られる。

 あなたは考える。果たしてこの賭けは得だろうか損だろうか。こうして胴元がいて、ギャンブルが繰り広げられているのだから子にとって損に決まっているようなものだが、いや、そうとばかりも言えない。なんとなく、プロを相手にした真剣な賭けというよりは、仲間内で遊んでいるだけのようにも見えるのだ。とにかく、損だとしても、どれくらい損なのだろう。

(A)

 もちろん、確率の基本的な知識があるあなたは、既に答えを持っている。こういう場合は、単純に、賭けの期待値を求めればよい。そして、期待値というのは確率にその場合の得失を賭けて、足し上げたものである。

 まず、どのサイコロも当たらない確率は、5/6の三乗だが、これにマイナス3(賭け金没収)を掛けたものが外れの分の期待値である。これに、サイコロ一つだけ当たるぶんとして、5/6の二乗に1/6を掛けて、三倍して、それに賞金額の3ディムを掛けたものが加わる。サイコロ二つが当たることによる期待値は、5/6に1/6の二乗を掛けて三倍。賞金額6ディムを掛ける。そして、サイコロ三つが当たるぶんは、1/6の三乗に賞金9ディムを掛ける。これらを全部足したものがゲーム全体の期待値である。

 しかし。あなたは考える。これはちょっと暗算では難しい。ホテルに帰って紙と鉛筆を使えば簡単に計算できるだろうが、今この時点で、乗ろうかどうしようか考える役には立ちそうにない。あなたは、計算を簡単にするために、分解して考えてみることにする。

(B)

 基本的にこのゲームは、サイコロ一つにつき1/6の確率で的中する。サイコロは三つだから1/6の三倍で1/2。1/2の確率で賭けに勝つので、結局賭けは五分と五分である。…という計算が、間違っていることをあなたは知っている。こんなことをしてはダメだというのは、ほとんど直感的にわかるのだ。こういう場合、確率は足してはいけない。

 そうだ。だいたい、こういう考え方なら、サイコロ六つだったら確率「1」で賭けに勝つことになるが、もちろんそんなことはないのである。実のところ、サイコロ三つの場合の真の期待値は五分五分から大外れはしてないだろうという雰囲気はある。その意味でこの計算は近似値としてだいたい正しいことだろう。しかし、賭けに乗ったとき長期的にどうかというの判断のためには、もう少し丁寧に考えてみる必要があるのは明らかだ。

(C)

 あなたはさらに考える。やりなおそう。サイコロ三個を振って、あらゆる出目を表にしてみると、6×6×6で、216通りの目があることはわかる。サイコロを振るとこの216の状態のどれかが、それぞれ1/216の確率で選ばれる。さて、数字を一つ選んで賭けるとき、この表の中に、
一つ目のサイコロを当てたことによって3ディムもらえる場合。
二つ目のサイコロを当てたことによって3ディムもらえる場合。
三つ目のサイコロを当てたことによって3ディムもらえる場合。
が、それぞれ6つに1つ、36ずつあるはずである。36あるそれぞれのマスは、当たりが互いに重なっている場合(たとえば、サイコロが三つとも同じ目でそれを当てたような場合)もあるはずだけれども、表の中に36×3の「3ディム」がどこかにあるのは間違いない。したがって、期待値を求めるために216マス全部を合計したとき、もらえるお金の総額は108個×3ディムである。108というのは、216のちょうど半分であるから、期待値としてはまったくの五分になる。

 なんだろう。五分になった。なんとなくもっともらしいのだが、上の、間違っているに違いない(B)と結論が同じになってしまったので、こちらも間違っているに違いない。

(D)

 あなたは混乱してくる。順に考えてみよう。まず、状況を思い切って単純にして、サイコロが一つしかなかったと考えてみる。1/6の確率で的中してプラス3ディム。5/6の確率で外れてマイナス3ディムである。この期待値を計算すると、3×1/6−3×5/6で、0.5−2.5=−2。だから、一回賭けるごとに2ディム失うことになる。こんな賭けには誰も乗らないと思うが、もしサイコロが一個きりだとこうなるのは確かだ。

 さてここで、そういう賭けの裏で振られる二つ目のサイコロがあると考える。こちらでも1/6の確率で的中して3ディムがもらえる。幸い、こっちのサイコロが外れたからといって、特にこれ以上お金を取られることはない。的中したときに3ディムがプレイヤーに支払われるだけである。この二個目のサイコロによる賭け金支払いの期待値は、当たれば3ディム外れてもゼロだから、3×1/6+0×5/6で、結局プラス50センチマ(0.5ディム)。

 三つ目のサイコロについても、議論は同じだ。プラス50センチマである。以上を書き出すと、一回賭けるごとに平均して、
一つ目のサイコロで2ディム失う。
二つ目のサイコロで50センチマ得る。
三つ目のサイコロで50センチマ得る。
ということだから、三つのサイコロから得られる賞金の期待値を合計すると、マイナス1ディム。一回ごとに1ディムずつ失ってゆくことになる。サイコロが五個あったとして、ようやく五分と五分の賭けになるのだろう。

 ところがこれもそうではないはずだ、と思える。さっきの(B)の「ほぼイーブンのはず」という見積もりに比べて、振るたびに1ディム損、サイコロが五個あってやっと五分五分という上の計算はちょっと不利すぎるように思われる。だいたい(C)と矛盾するが、これらの考え方のどちらが、どこが間違っているのだろう。わからない。少なくともどっちかが間違っているはずなのだが。

(A’)

 しかたがないので、あなたは肩をすくめてそこを離れ、別の店を見ることにする。あなたはただの旅行者だから、結局はそのほうが良かったのかもしれない。その日は露天商をのぞき、なんだかわからない果物、何に使うのかわからない道具をいくつか買ったくらいで、あとは何事もなく過ぎ、あなたは一日を楽しんだ。

 さて、無事夕食を済ませホテルに帰って来たあなたは、ふと思い出して、一番最初の計算をちゃんとやってみることにした。
−3×(5/6)3+3×3×(1/6)(5/6)2+6×3×(1/6)2(5/6)+9×(1/6)3
=−3×125/216+3×3×25/216+6×3×5/216+9/216
=(−375+225+90+9)/216
=−51/216
≒−0.236
やはり賭けると損をするのだが、その損の幅は、一回振るごとに、24センチマほどらしい。おそらく(C)も(D)ももちろん(B)も間違いで、これが正しい答えだろう。しかし、電卓叩いてポンで出てきた数字を、なんとなく信用できないのも人情なのである。あなたは何度も計算をやり直してみるが、どうやら正しいらしい。

 あなたは考え込む。首をひねる。表を書き始めて、ノートが狭いので断念したりする。そして、そのうち暑く長かった今日一日の記憶の中で、昼間のたどたどしい思索があやふやな、どうでもよいものに思えてくる。こんな国である。計算が合わなくても、しかたがないかと思う。そう思い定めているうちに、夕食に飲んだ酒も効いてくる。少し休むつもりで、あなたは計算のために広げた手帳にほっぺたをくっつけて目を閉じて、やがて、深く眠り込んでしまう。


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