大と小が関係する物事を記述するときに、たとえば大と小がぶつかったときに、小が大にぶつかった、とするか、大が小にぶつかった、とするかはひとつの問題である。
これが、自動車と歩行者、なんかだと話は簡単だ。この場合は大も小もない。衝突の原因となった方が被害者にぶつかるのであり、勝手に反対にしてはいけない。「自動車が」歩行者にぶつかる場合が多いだろうが、「歩行者が」自動車にぶつかる場合も皆無ではない(特に自動車が停車中のときなどは)。どちらがどちらにぶつかったかはしばしば争いになり、「自動車と歩行者が」ぶつかった、と書くしかない場合もあると思うが、まず原則は上のとおりである。
さて、これに対し、宇宙空間で天体同士がぶつかるような場合を考える。これは別にどちらかに原因があるわけではない。重力に従って運動する天体二つの軌道が、たまたまあるとき交差するだけのことである。ただ、同程度の大きさの天体が正面衝突するような(めったにない)場合はともかく、たいていは「隕石が」地球にぶつかると表現し、その反対ではない。これは、我々はなんと言っても地球に住んでいるということもあるし、地球の軌道は比較的安定しているのに対し隕石はそうではない、という理由もあるだろう。ただ、そういう事情がなかったとしても、因果関係が対等のとき、まずは、「小さいほうが」大きいほうにぶつかる、というふうに書くのが自然ではないかと思う。
そういう目で見ると、いつもおかしいなあと思うのが「炭化水素」という語である。これは、ある種の化学物質の総称で、炭素と水素からなる化合物のことである。炭素原子と水素原子がくっついて分子を作っているわけだが、この「くっついている」には、天体の衝突がそうであるように、原因も結果もない。虚心にはこの二元素は対等で、水素が炭素にくっついている、と言ってもいいし、反対に炭素が水素にくっついている、と表現しても構わないはずである。
しかし、分子のツクリを見てみると、両者の役割には厳然として非対称がある。炭化水素の構造は、まず中央に炭素があって互いに繋がり、分子のいわば骨格をなしている。炭素同士の結合が、まっすぐだったり、枝分かれしていたり円環になっていたり、また二重結合だったり三重結合だったりして、これが一塊の集団をなしている。そしてその周囲、炭素の空いている結合肢のところを水素が埋めるのだ。そういうものである。いや、そのように思うのは、まだまだ虚心さが足りないのかも知れない。「まず炭素の骨格があって」とか「残りを水素で埋めて」というのは構造を紙の上で眺めたときの錯覚なのかも。しかしながら、原子の大きさとしてもこれはもう炭素のほうがずいぶん大きな原子で、また水素のほうが構造上周辺にあるのは確かで、人情として、これはやはり「水素が」炭素にくっついている、としたい。
しかるに、これらの名前は炭化水素なのである。これはどう見ても、水素が基本としてまずあって、それが炭化した、即ち「炭素が」水素にくっついた、という語だ。炭化水素は、英語だと「hydrocarbon」であり「hydrogen carbide」ではないので、英語においては両者は対等、どちらかといえば「水素化炭素」という語感なのかもと思うのだが、日本語においては、これはあくまで炭化水素である。どうしてこうなのか。化合物名においては「マイナス傾向のものからプラス傾向のものに(簡単には、周期表の右にあるものからから左にあるものに)向けて並べる」というようなルールがあるらしいので、これかとは思うものの、はっきりした答えは私は知らない。特に、炭素と水素の共有結合においてはどっちがプラスということもない気がするので、最後は慣習的なものなのかもしれない。
そんなんどっちゃでもええやんけ、とあなたは思うかもしれない。炭化だろうが俳句だろうが好きにすればええやんけと。それはそうなのだが、しかし、大げさに言えばこれは「隕石に地球がぶつかった」を許すものである。「携帯電話があなたに運ばれてやってきた」でよいか。「お誕生日のプレゼントとお父さんが帰ってきた」が許される世の中でよいというのか。主客が転倒するとはそういう悲劇的なことなのである。出勤する私は、携帯電話化されており、財布化されており、お昼のお弁当化されているかもしれないが、決してお昼のお弁当が大西化しているのではない。そう思いたい。それなのに炭化水素。炭素はそろそろ怒ってよい。
そして「塩化炭化水素」なのである。そういう言葉が本当にあるのだが、これは炭化水素の、水素の一部または全部を塩素に置き換えたものである。塩素の数が増えるに従い、毒性が強くなるが、反面燃えにくくなって、有機溶剤の用途にとっては有用である。いやそんなことはどうでもよい。つまり、これがなぜ「炭化塩素水素」ではないのかということだ。今、私はたいへんややこしいことを書こうとしているので、ここのくだりはぜひ一度音読して欲しいのだが、ここで塩素に置き換わっているのは水素のほうであり、炭素ではない。「塩化炭化水素」では、炭素と塩素が同格で、順番をいじって「炭化塩化水素」としてもいい気がするし、水素がコアであとの二つが付録、という感じがするが、実際には炭素を中心に水素がくっついたり塩素がくっついたりしているわけである。炭素は置き換え不可、水素が置き換え可である。塩化炭化水素、それで良いのか。
いや、ええやんそやかて塩化してるやんか、これで「マイナス順」やんか、と言われるとそうだなと思うのだが、これがもし、もとの名前が炭化水素ではなく「水素化炭素」だったなら、塩化水素化炭素、ということになって、ものすごくすっきりすると思うのだ。いま、会社からの帰宅途中に子供のお誕生日のケーキを買ってくる。ケーキ化大西である。ついでにガムを一つ買う。ガム化ケーキ化大西である。これがガム化大西化ケーキだったら、もっと言えば大西化ケーキ化ガムだったら、なんだかもう生きている価値さえないような気がする。ガムが基礎では、駅のホームに貼り付いて他人に迷惑をかけるのが関の山なのである。炭素もそう思っていると思うのだ。
一等単純な炭化水素であるメタンを考える。炭素一つの周りに水素が四つ配されたものである。この四つある水素を一つとって、代わりに塩素を置いた塩化炭化水素を「クロロメタン」という。塩素が二個(水素も二個)だと「ジクロロメタン」だ。塩素が三つ(水素が一つ)だと「トリクロロメタン」で、これは有名なクロロホルムのことである。で、四つだとどうなるか。水素が全部塩素に置き変わってしまったので、正直言えばもう「塩化炭化水素」ではないものの、グループ分けとしてはここに入れて「テトラクロロメタン」と呼ぶ。ところがこれに別の呼び名があるのだ。四塩化炭素である。化はどこにいったのか。またしても都合により主客が転倒している。本当に、炭素はそろそろ怒ってよいと思う。