あなたは振り返る。通い慣れたあなたの通勤路、北風舞う夜の歩道で、自分の名前が呼ばれたからだ。名前。そう、姓ではなくて、あなたの名前の方だ。そういえば長いこと、姓ではなく名前で、呼んでくれる人はいなかったような気がする。会社でも、病院やなにかでも。自分の名前として、いつのまにか、むしろ姓のほうを自分の「名前」と思ってしまっていることの不思議。
あなたは、あたりを見回す。確かに、幻聴などではなかった。呼んだのは誰だったろう。どうにも声に聞き覚えがあるのだ。父や母ではない(この人たちを「おとうさん」「おかあさん」ではなく父母と、心の中でさえそう呼び始めたのはいつの頃からだったか)。あなたのきょうだいでもない。しかし、ほとんどそれに近い、かつては非常に近しかった、しかし今となってはほとんど聞かなくなった、誰かの声だ。
あなたはどきっとして、ほとんど飛び上がりそうになる。もう一度、あなたの名前が呼ばれたからだ。突然、あなたの心の焦点が合って、この感覚が、なんであったかわかるようになる。冬に入ったあなたの暮らす街に、まったく場違いにも、ちょこんと立って、こちらを見ているのは、あれは。
それはくまのぬいぐるみ。はるか昔に、すり切れて、ついに失ったくまのぬいぐるみ。黒いボタンの目をした柔らかなぬいぐるみ。
それは人形。あなたが飽きずに幾度も遊んだ、さまざまな物語を、あなたの分身として演じた、金髪で青い目をしたおにんぎょう。
それはプラレールの機関車。数あるモータ付き車両のなかで、あなたが一番気に入っていたD51を模したプラスチックの機関車。
それはブロックのロボット。同じブロックから、何度も何度も組み立て、分解して、また作って、お気に入りだったロボットの形。
あなたはすっかり納得する。そうか、あの声は、あなたが一番気に入っていて、そうして、いつのまにかそのことを忘れてしまっていた、この子の声だったのかと。もう一度、あなたの名を呼んだその子に、あなたはおずおずと返事をする。なんといったらいいのかわからないけれど、ひさしぶり。
迎えにきた、とその子はいうのだった。行こう。その子が使う言葉は、古く、あなたがもう忘れてしまっているかもしれない、ふるさとの訛り、あなたの地のことば。あなたが母親と話すときに使う言葉だ。あなたはなんとなく自分の肩を抱いて、まるでそこに自分がまだいることを確かめるようにして、どうして、と聞き返す。そのイントネーションが、もう昔の言葉のそれとは違っていることに気がついて、少し、なにかを後悔する。
帰ろう。その子はいう。暗い街路で、その子のまわりだけ、ぱっとオレンジの輪ができたよう。暖かな光。その子はあなたに向かって、手を差し伸べたように見える。あなたも、その子のほうに一歩あるいて、そうして、そんなことをすればばかみたいに見えるだろう、と思いながらも、コートを着た体を曲げて、その場にしゃがみ込み、そっとその子に手を伸ばす。昔やっていたように、その子を手にしようとして、ややくたびれてしまったあなたの手を伸ばそうとして、しかし、その子は身をかわす。大人になったあなたの手を嫌がるように。
顔をあげたあなたの前を、その子はたったった、と走って行って、振り返り、ふたたびあなたに向かって告げる。まだ間に合う。でも、もうぎりぎり。急がないとだめ。あなたは思わずそちらに向けて一歩あゆんで、そして立ち尽くす。その子は悲しそうに、あなたのほうを見ている。もう一歩、その子のほうに進もうとして、あなたは、急に思い出す。
だめ。あなたはコートの胸の前で、ぎゅっと手を握りしめる。だめだ。もうあの頃には帰れない。あなたの心の中に浮かんだのは、はるかな故郷。暖かなあなたのうち。おもちゃ。おふろ。おかし。おかあさん。なんの義務もなかった、なにも考えないで自分のために生きていてよかった日々。だめだ。
あなたはきびすを返す。その方向、歩道が伸びる先には、あなたの家がある。あなたの子供が、ああ、なんということだろう。あなたの子供が、あなたの帰りを待っている。女の子、あるいは男の子。伸ばした小さな手。そのやわらかな手は待ちかねたあなたの手に重ねられて、そして、あなたはその子を抱き上げる。ご飯を食べさせてやり、お風呂に入れてやり、そして、寝かしつけてやるべきあなた自身の子供。
急に、疲れにも似た感覚を覚えて、あなたはもう一度だけ、振り返ってみる。そこにはもう誰もいない。街路のかなたで、ただかすかに動くのが見えるのは、風に舞う枯葉だろうか。あなたは、手に下げた買い物袋を持ち直して、決然として、歩き出す。その中には、あなたの子供への、クリスマスプレゼント。たいせつなあの子への。