本日は十二月八日である。この日はわたしにとっては特別な日である。一年に一度の、半導体関係の総合展示会「セミコン・ジャパン2005」の開催日なのである。というわけで、私も、あまり関係ない業種のくせに幕張まで出かけ、ぼうっと展示を眺めたり、わけもなく会場内をひたすら歩き回ったり、名刺を交換してやあやあどもども言ったり、カレンダーやメモパッドやボールペンをもらったり、屋台でカレーを食べたりして帰ってきたのだった。
さて、数年ぶりに幕張に来て、今回はじめて気が付いたのだが、幕張メッセのある京葉線「海浜幕張」という駅は、プロ野球の千葉ロッテマリーンズの本拠地である「千葉マリンスタジアム」の最寄り駅でもある。プロ野球のファンであれば常識に属することのはずだが、どういうわけか、これまでマリンスタジアムと幕張メッセを関連付けて考えたことがなかった。しかも、もっと言えばマリンスタジアムは幕張メッセのもろに裏側、隣接して位置する施設なのだった。
だからといってどうということはない、と言いたいところだ。あの日本シリーズ、そしてひいきチームのていたらくによって負った傷は、私の中でもうすっかりカサブタになって、触っても痛くも痒くもないと。ところがどうだろう。いざこうして海浜幕張の駅前を歩き、ロッテリアの隣にマリーンズショップみたいなのがあって選手のサインが飾ってあるのを見ると、暗い思い出がフツフツと涌き上がってくるのをどうしても押さえきれないのだ。我ながら、困った人間だと思う。
あれは、思い出すだに、とんでもない敗北だった。今年、2005年度のプロ野球日本シリーズ。秋も深まる十月二二日。岡田監督のもと二年前の雪辱を誓う阪神タイガースと、激しいプレーオフを勝ち抜き見事パ・リーグを制した千葉ロッテマリーンズが、まずロッテの本拠地、ここ千葉マリンスタジアムにて激突したのである。日本球界の頂点を決める大一番は、どえらいことになった。マリーンズの選手が自在に持ち味を発揮し、得点を積み重ねるのに対し、タイガースの選手はいいところが一つもない。信頼できるはずの打撃陣は凡打の山を築き、投手は投手で井川が例によってぱっとしない。継投に絶対の自信を持つ終盤はそもそもやってこなかった。七回濃霧コールド。一〇対一、惨敗である。
以下細々と振り返るのはよすが、第二戦も前夜のタイムシフト視聴でもあるかのように惨敗が続き、さらに一日おいて本拠地の甲子園球場に舞台を移した第三戦も、先攻後攻が替わっただけで改良も無く同じ結果、そして迎えた第四戦では、せめて一矢をという悲惨な望みをパンに挟んでぺろりと平らげ「まあ惨敗はしないで済んだ」という敗北で天晴四タテと、そういうシリーズだったのである。最少得点、無本塁打記録など、前人未到のさまざまな記録を打ち立てた記念碑的な大敗北となった。思えば、全国に恥をさらすためにわざわざリーグ優勝したようなものだった。ずいぶんひどいことを書くようだが、それだけ落胆したのだからバチを当てられる筋合いはない。思い出したらまた腹立ってきた。
さて本日、十二月八日といえば、日米開戦の日、日本軍が真珠湾のアメリカ軍を奇襲し、これをさんざんに打ち破った日でもある。六四年前のこの日、日本海軍は、航空母艦六隻を中核とする艦隊をハワイの真珠湾軍港に接近させ、艦載機による攻撃を加えて、アメリカ太平洋艦隊の中核に痛撃を与えた。在泊中の主力戦艦八隻すべてが撃沈ないし何らかの損害を受け、また、航空機二百機を撃墜または地上撃破したと言われている。この、ほとんど壊滅的と言っていい被害に対し、日本軍側は、投入した航空機がいくらか未帰還になったほか、甲標的と呼ばれる特殊潜航艇を除いては、艦艇の損害は皆無だった。
一時的にせよ頼りの海軍を失ってしまった当時のアメリカ人の気持ちは、おそらく日本シリーズ後の阪神ファンのそれにいくぶんかは似ていたろうか。いや、五日間四回にわたってじわじわ負けた阪神のほうが、一撃されただけのアメリカよりある意味で悲惨だったろうかと、バチアタリで不遜な考えをもてあそんでいたのだが、一つ、共通点があるかもしれない。つまり「大敗すると、人は他に原因を探しはじめる」ということである。
日米開戦のとき、宣戦布告の手交が遅れるなどしたこともあり、アメリカ側は真珠湾攻撃を「卑怯なだまし討ち」ととった。だから、奇襲が合衆国の国民に与えた衝撃は限定的なものとなって、世論は早期講和よりもむしろ日本討つべし、という方向で固まった。それで日本は戦争に負けたのだ、と書くとすごく歴史を単純化していると思うが、信じられないような一方的な敗北に対して「本来の実力ではなかった」「相手がズルをしたから負けたのだ」と考えるのは、ごく自然なことだ。生まれて初めて、今の私には心底そう思える。なにしろ、そこんじょそこらの敗北ではない。戦史に残るとんでもない敗北なのだ。この敗北をなんとか飲み下すには、強さ弱さを超えたなんらかの、納得いく理由が人々には必要なのではないだろうか。
現に阪神がそうだ。レギュラーシーズン終了後、日本シリーズまでにへんな「間」が開いてしまった阪神は、その間プレーオフという真剣勝負を勝ち抜いてきたロッテとの立場に大差があり、選手にとって大切な試合カンとでも言うべきものがすっかり失われてしまっていた。それがこのような惨敗をもたらしたのだと、これは私が言っているのではなくてみんなが言っているのだが、いやさ、私もそう思いたい。よろこんでそう思いたい。阪神がふがいないのではなくて、日程(およびそれを決めた偉いさん)が悪いのだと。そういえば第一戦の霧もうさん臭かったぞと。なるほど、あらかじめ決められたルールに則って戦う、公平たるべきスポーツでさえこうなのだ。戦争においては、潔く「負けたのは弱かったから」などとは思わないのが当然である。そして、戦争には四回負けたらおしまいというような、やめるためのルールはないのである。
どう戦争すれば良かったか、それは私にはわからない。ミもフタもないことを言えば、なにがなんでも戦争などやらないのが一番よかったろうと思う。ただ、この文脈においてはだが、決戦をやらかしたとして「あいつも強かったがこっちも強かった。最後は運が勝敗を分けた」というふうな勝ち負けだったら、真珠湾の勝利はもうちょっと日本側有利に傾いたのではないかという気もするのである。同じ負けでも、二年前の日本シリーズがどちらかといえばいい思い出になっているように。
その意味で、千葉ロッテマリーンズには、来年どうなるか覚えとけよ、と言いたいのである。同じ勝つにしても、もうちょっとこっちも立てる勝ち方をしといたら良かったと思う日がやってくるぞと。いやもう、今回、全体的に大人げないことを書いているが、本当、お願いですから、そういう日がやってきてくれないものですかと思う。歴史上、真珠湾のような完全敗北のあと、その悔しさをバネにして逆転勝利した例はそんなに多くないと思うのである。普通は、大敗するのは単に弱いからであり、一回負けたら国民がどう悔しがろうがそのまま負けっぱなし、という場合が多いのではないだろうか。やられたらやりかえすどころか、来年またリーグ四位、などという未来が実にありそうで怖いのである。