歳末大売出し

 12月22日、NHKニュースの天気予報で、
「今日は二十四節気のうち『冬至』です」
と言っていた。それはそうだ。だが、なんとなく「今日は国民の祝日である『元旦』です」とか「プロ野球の球団の一つである読売ジャイアンツ」とか、そういう表現だなと思った。「検索エンジンの『グーグル』による調査」とか。

「鳥インフルエンザ」は、わりあい発音しにくい割に、省略形が確立していない。たとえば「トリフルエンザ」と言っている人はどのくらいいるのか。検索エンジンの「グーグル」による調査では、12月27日現在234件のヒットがあった。ちなみに「鳥インフルエンザ」では2,470,000というヒット数が出たので、ちょうど約1万分の1である。「鳥インフルエンザ」は英語では「Avian Influenza」だが(このヒット数は3,070,000)、「Avifluenza」ではゼロである。だからどうということはない。

 現在、イタリアの与党第一党の名前は「がんばれイタリア党(フォルツァ・イタリア)」という。べつにどんな名前だって構わないし、自民党とか共産党に比べて名前として劣っているかというと決してそんなことはない。だいいち、私はこれがどんな党で今イタリアの政界はどうなっているのかも知らないのである。しかし、なんというか、素朴な感想として、本当に言いにくいのだが、決してイタリア人の方々に含むところがあるわけではないのだが、思い切って言うと、その、もっとまじめにやれと。おまえら人生それでいいと思っているのかと。しかし、なんだか楽しそうでちょっと悔しいのも確かである。

「東京の空の下」は東京。

 近所の予備校に、標語として、
「第一志望は絶対ゆずれない」
と書いてある。「第一」と言っている時点で二の矢に希望を残しているような気がするがどうか。

 よく聞く言葉だが、「選手権大会」の「選手権」とは何なのか。これはつまり「チャンピオンシップ」らしい。「オープン大会」の対義語になると思い込んでいたのだが、選抜大会ということではない。要するに、勝利することでチャンピオンシップ(選手権)を得られる大会である、ということである。当たり前のことのようだが、優勝するとなにか特別なものがもらえる「なんとか旗大会」とか「天皇賞」などが、本当の対義語ということになるのだろうか。

 妊娠した女性向けの雑誌「たまごクラブ」の、ある年の一月号の表紙に「赤ちゃんに会える年がやってきた!」と書いてあった。おそろしく計算され尽くした名コピーだと思う。

 テレビで「エコ」のことについてコマーシャルを作り放送するのは、石油業界、自動車業界、電力会社など、二酸化炭素を排出し環境負荷が高い会社である。これらの会社は「環境に配慮している」とことさらに言っている。何か「不良だと思って嫌っていた級友が捨て猫を優しく抱っこしているところをたまたま見てしまって突然胸がきゅんとする」という現象に似ていなくはない。タバコの広告もちょっとこれに近い。

 学校の歴史の授業において、明治維新後があまり取り上げられない、という不満をちょくちょく目にする。現代史は取り上げるのが難しいというもっともな理由のほか、授業の時間が足りない、というのも事実だと思う。現代からさかのぼって逆向きに教えたらどうかという意見もあって、私は昔星新一氏のエッセイで読んだことがある。実際にやってみるとかなり面倒でわかりにくいのではないかと思うけれども。
 とはいえ、歴史はそれでいいとして、地理についてはどうなのか。いつも時間切れで北海道やオーストラリアは取り上げられない、なんてことがあるのではないか。理科においては原子や原子核のツクリに関する部分が、数学においては確率統計が、似た扱いを受けることが多い気がするのだ。

 静電気を蓄えるびんは、その発明された大学の名前をとって「ライデン瓶」と呼ばれる。日本語ではない。

 小学生のとき、先生に「長距離走の後は急に止まってはいけない」ということを教わった。長い距離を走ってきたあと、ゴールして、その場にへたり込みたくなるのは人情なのだが、ぐっとこらえてそうはせずに、ゆっくりと走ったり、歩いたり、徐々に運動を軽くしていって、ついに立ち止まったりあるいは座り込む。
 そういうふうにしないと何か悪いことがある、と聞いたように思うのだが、具体的にどういう悪いことがあるのか、よく理解しないまま大人になってしまってもう誰も教えてはくれない。長距離走の後、急に止まると具体的にはどうなるのか。まさか「急に止まると地獄への扉が開き魑魅魍魎がこの世にあふれ出す」ということはないと思うが。

 経済史上、初期のバブル現象として有名なものは、チューリップの球根(バルブ)の取り引きにおいて発生した。

 娘が幼稚園で購読している年少向け雑誌に「うっかりパンダあららちゃん」という連載コーナーがある。パンダの女の子あららちゃんが、毎回、七夕の笹に洗濯物を干したり、海で石けんをつけて頭をわしわし洗ったりなど、ゆかいなミスをしでかす、というものだ。四月号のあららちゃんのうっかりは、なんと、間違えて幼稚園にぱんつ一丁で来てしまう、というものだった。しかし、よく考えるとパンダなので、それでいいような気もする。むしろぱんつをはいていることが変かもしれない。

「ゆりかごから墓場まで」とか「一本の原木から町造りまで」とか「北は北海道から南は沖縄まで」などという表現があるが、この前「サッシ・ドアからキッチン・バスルームまで」というのを見た。何が含まれて、何が含まれないのか、もう一つよくわからない。


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