ジャッキー大西かんにりんさま
私は8才です。私の友だちは、サンタクロースはほんとうにいるのだといいます。お父さんは「大西科学に書いてあるならそうなんだよ」と言うのです。ほんとうのことを教えてください。サンタクロースはいるのですか。大西りか
りかちゃん。端的に言うと、きみの友だちが間違っています。お友だちは、たぶんお父さんかお母さんにそう聞いて、サンタクロースを信じているのでしょう。もちろん、言われたことをなんでも素直に信じるのは、美しいことです。だいいち、小さなあなたがたが、この目で見たことしか信じず、わからないことは全部うそだと決めてかかったりしたら、どうしてまともな大人になることができるでしょう。けれども、このとんでもなく大きい世界に比べたら、大人でも子供でも、どんなひとだって、頭で考えて理解できることなんか、ここだけの話、ほんのちっぽけなムシけら、アリみたいなものなんですよ。
りかちゃん。サンタクロースを信じている人はいます。この世界に、愛や、寛大さや、献身があるように。サンタクロースがいないとしたら、どんなに寂しいことだろうと思っている人がいます。それはもう、あなたのような子供がいない世の中と同じくらい寂しいことだと思っている人が確かにいるのです。この世の中を耐えられるものにしてくれている、子供らしい信頼も、詩も、ロマンスもなくなってしまう。目に見えないものに楽しみを見出すことはできなくなり、子供時代を満たしている永遠の光も消えうせてしまう、と、そんなふうにまで。
そうです、りかちゃん。よその国には、サンタクロースなんか見たことも聞いたこともない、でもべつに不自由していない子供たちだっていっぱいいるはずなのです。キリスト教伝来以前の日本には、愛も、ロマンスもなかったのでしょうか。目に見えない楽しみはなかったと。日本の子供たちには、楽しみはなにもなかったのでしょうか? サンタクロースがいる、と願う美しい人の心に欠けているものがあるとしたら、この「サンタクロース文化外への気配り」であるように、どうも私には思えてなりません。
サンタクロースは「いないとは言い切れません」! 家に暖炉がないから、誰も見たことがないからといって、サンタクロースがいないということにはなりません。だから、その意味においては確かに誰もサンタクロースはいないと言うことはできません。もちろん、そんなことを言うなら妖精だって、アンパンマンだって、バナナワニだって、ゲックゴウス先生だっていないとは言い切れないわけですが、いないということの科学的証明は、このように難しいことなのです。
しかし、そんな証明は、そもそも不必要なことかもしれません。サンタクロースを信じる人の心に「サンタクロース文化外への気配り」が欠けているとした同じ口で、どうしてサンタクロースなんていない、なんて告げることができるでしょう。
赤ちゃんのがらがらを壊して、どうして音が出るのか調べてみることはできます。けれども、他人の心を包んでいるベールを引っ張りはがすなんていうことは、どんな偉い人でも、たとえ世界最高の科学者がよってたかっても、時にはこれはどうしても必要なことなのですが、簡単にはやってはいけないことだと、私は思います。たとえ、疑うこと、一つひとつ調べて、理性と論理に照らして厳密な考察を重ねる辛い作業だけが、真実という、美しくもなく、あまり輝かしくもない、ただ正しく、役に立つ真実にいたる道なのだとしても。
サンタクロースがいるですって! 信じている人にとっては、確かにそうなのです。「いる」のだということを、あなたが信じなくても構いません。ただ、信じている友だちのことを、認め、許してあげてください。これからもサンタクロースはそれを信じる人の心に生きつづけるでしょうし、喜びをもたらしもするでしょう。しかしそれは、自分と異なった考えを持つ人がいることを認め、そうした人のことを許し、思いやることができればこそです。サンタクロースを信じる人も、信じない人も、もしみんながそうできるなら。いろいろなことを信じる人がお互いを認められるなら、これはたいへん難しいことですが、そのときこそ、りかちゃん、人間の文明と、子供たちの喜びは続いてゆくのです。千年でも、十万年のちまでも。
大西科学 2005年12月24日