湯の道

 一般に科学技術は人間を幸せにしてきたが、その例外と言えるのが「お風呂の給湯システム」である。蛇口をひねるとお湯が出て、あったかいシャワーを浴びることができる。目指すところはすばらしい。あたたかい。しあわせだ。しかし、そうではないのだ。腹が立つのだ。裸のまんまオモテに駆け出していって、エウレカとつぶやきながらガス給湯器をひねりつぶしてやりたくなるのだ。

 まあ落ち着け。最初から説明することにしよう。何回か書いているが、私が学生のとき下宿していたのは「男おいどん」式のアパートだったので、はじめて自分の部屋に風呂がついたのは、就職してからのことだった。その部屋のお風呂のガス湯沸し器というのが、まさに人類の敵、それは言い過ぎでも私の敵、といっていいもので、どこかにいるマーフィーなんとかいう名前の技術者が悪意をもって作り出したに違いないキカイだった。

 この湯沸し器は、たぶん過熱を防ぐセンサーあたりに問題があって、ときどき給湯中に自動消火機能が働くことがあった。またこれとは別に、種火を点火する機能の調子が悪く、点火つまみを回しても、うまく種火に着火しないことが多かった。などと書くと、ふうん、というところだろうが、これが実用上どういうことを意味するか。つまり、お風呂に入って、気持ちよくシャワーを浴びていると、湯が突如として水になるのだ。あったかい、しあわせなお湯が、突如として、つべたい痛い刺すような冷水になるのだっ。特に冬場。これは出る。ぎぁっ、というへんな声が出る。

 しかも、このときは種火ごと給湯器の火が消えているので、一度こうなると手元ではもうどうやってもお湯に戻らない。しかたがないので風呂から出て給湯器のところへ行って、種火に再点火しようとするわけだが、これがまた、何度ツマミをかちんと回しても、種火がつかないのである。かちん、かちん、駄目だ。かちん、かちん、かちん、かちん、駄目なのだ。大家さんには内緒だが、腹が立って給湯器をがつんがつん蹴ったこともあった。なにしろ、仮にも主人の私に向けて冷水は喰らわすは、火はつかないわである。ロボット三原則に照らせば給湯器の陽電子頭脳は焼き切れていなければならないところだ。

 つまりこれは故障しているのであって、借りている部屋の借りている装置なのだから大家さんにその旨告げて直してもらえばよかったのだが、そこに思い至らないまま私の埼玉における三年間は過ぎ去った。それ以降に暮らしたアパートなり持家では、さすがにこういうことはなかったが、私の戦いがそれで終わったわけではなかった。上の不具合の代わりに、もしかして世間のほとんどの住宅で発生しているに違いない、ある問題に遭遇することになったのである。すなわち、

「お湯の蛇口をひねってもすぐにはお湯がでない」

 これだ。なんだい、当たり前のことを言うではないか。そうなのだが、嫌なのだ。特に冬場は嫌なのだ。これはおおむね次のような機構で発生するタイムラグであると思われる。

(1)蛇口をひねると、水道の水圧に押されてすぐ水が出るが、このとき給湯器では瞬間的に火がつくわけではない。水流を感知してメインバーナーに点火するまで一瞬の遅れがあるはずである。
(2)給湯器と風呂場の蛇口までの間にはある長さの給水管(給湯管)があり、ここには最初一定量の冷水が存在している。いくら給湯器がお湯を生成しても、この水を湯が押し出してしまうまで、蛇口から出てくるのは冷水である。
(3)給湯器と風呂場の蛇口までの間にある給水管は、最初冷水で冷え切っている。ここを湯が流れると、湯は冷たい管によって冷やされ、水になってしまう。給水管が温まるに連れて、だんだん水温が上がってくることになる。

 シャワーからしばらくは水が出る、ということは、知ってさえいれば害をこうむらずに済ませられることだが、それでも、ただ水が流れ出るのは、なんとももったいないし、いらいらすることでもある。だいたい、自分の体に当てないよう、壁なり床なりに向けて水を出すようにしても、しぶきをあびて寒かったり、お風呂場の気温が下がって寒かったりして、やっぱり寒いには違いないのだ。すでにお湯がたまっている風呂桶の中に水を出すというのがこの問題の一定の解決策になるが、お風呂の湯温がちょっと下がるのも嫌だし、なにか地球にやさしくない感じは否めない。加えて、

「お湯を止めた後、給水管(給湯器と蛇口の間)に残った湯がなすすべもなく冷えてゆく」

というのも気がついてみるともったいないことかもしれない。まあ、一年に数回お風呂を抜く(または頭を洗う回数を減らす)、という効果絶大な節約に比べてしまうと、この水やお湯をためておいてどうこうする、というのは話が小さすぎてつい気持ちも沈みがちだと思うのだが、さあしかし、それだけならまだいいのだ。腹が立つのは、湯を使っていて、いったん湯を止めると、その後しばらく湯温が不安定になるということなのだ。

 これは、どういうことなのかわからない。もしかして私の家の給湯器だけの問題ではないかと疑っているのだが、湯を止めて、また出すと、しばらくは湯が出たあと、いったん水になって、今度はちょっと熱すぎるお湯になって、やっと平常に戻るというふうに、しばらく水温が暴れるのである。お湯のあと水になるというのは、たぶん上の2と1だろう。はじめは給水管の中にお湯が残っていて、これが給湯器からの水で押し出される間はお湯が出るのだが、1のタイムラグがあるので、そのときは一定量の水が給湯器を水のまま通過してしまっている。そのため、また湯が出る前に一回は水が出るわけだ。

 解せないのは、そのあと熱湯になるという、そのことである。もしかして3の問題を解決するために最初は湯温を上げる設定になっているとか、お湯の温度を一定に保つ機能が最初頑張りすぎてしまう(「大きなかぶ」を引っこ抜こうとして勢い余って後ろに倒れてしまうようなもの)、というようなことがあるのかもしれない。しかし、使う身としてはこれはたいへん危ないことである。火傷するほどではないが、頭に浴びるとけっこうな苦痛なのだ。へんな声が出る。

 たぶん、ある種のオール電化システムがそうであるように、あらかじめ沸かしたお湯をたくさん蓄えておくバッファがあれば避け得る難点ではないかと思うが、さしあたって、この熱湯問題を運用で回避するためには、お湯を再度出すときにもしばらくシャワーから出るお湯を捨てる、ということをすればよい。あるいは、いかにももったいないが「湯は一度使い始めたら出しっぱなしにしておく」という解決法もある。湯を使っていないときは湯船にシャワーの先を突っ込んでおけば、地球や家計のことを心配する胸もあんまり痛まない。

 しかし、考えてみればこのように使用者にいろいろ気を使わせる給湯器というのは何サマであろうか。あえて傲慢なことを言おう。蛇口をひねればお湯が出る、そのことに喜んでいればよかった時代は既に過ぎ去った。安全と水は確かにタダではないがタダと思わせるのが政治家と技術者の仕事だ。我々がいつでも、使いたいときに使いたいだけまっとうなお湯を使えるようになり、しかもそのときに「ああ、おれって地球にやさしいなあ」と思えるようにすることこそ、今時のエンジニアのなすべき仕事というものではないか。給湯器の開発者はその日まで戦え、血の汗を流せと言いたい。じゃなきゃ、じゃなきゃ、ええと、エコキュートに切り替えてやるんだかんな。


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