空に還る日

 ぎりぎりと肩に食い込むリュックサックに心の中で悲鳴をあげながら、ぼくは誰もいないバス停に降り立った。ぼくを下ろした古いバスが、ぶうん、とエンジン音を立てて走り去って行く。その後ろ姿が、重い荷物を下ろしてほっとしているかのように見えるのはぼくの僻目だろうか。ぼくがこの荷物を下ろせるときは来ない。たぶん当分は。

 乱れそうになった気持ちを、ふうっ、とひと息吐いて整えて、ぼくはあたりを見回す。前に来たときにもあったはずの、登山口、と書いてある看板を探して、すぐ、バス停から十メートルほど離れたところにそれを見つけた。転ばないように足元に用心しながら、濡れた舗装の上、歩みを進める。このためにはいてきた登山靴は、しっかりと地面を捉えている。大丈夫。まだ今のところはこれでなんとかなりそうだ。

 言うまでもなく、浮人症患者、特に症状がかなり進行した患者にとって、もっとも恐れるべきは戸外だ。理想を言えば、天井がしっかりと作られた家に閉じこもって暮らしていれば、そんなに不都合はない。もしかして、普通どおりの生活ができる、と言ってしまってもいいかもしれない。それが生活と言えるなら、もしぼくがそういう人ならば、だが。

 ぼくはそうではなかった。ぼくがこの病気であるとの診断を、はじめて医者に告げられたときの衝撃は、まだほとんど薄れてはいない。あのときは、考えてみるとまだ二二歳で、卒業も就職もほぼ決まり、なんとなく将来結婚するつもりでお付き合いをしていた女性もおり、週に一度は海に出かけ、あるいは友人と飲み、人生を楽しんでいた。ぼくがこのあと社会人になるとして、果たして毎日きちんと会社に通い、子供を作り、家庭を守る「大人」になれる日がやってくるのかどうか、まったく真剣に考えていなかった。まあ、なんとかなるだろう、と思っていた。

 なんともならなかった。ほとんど内定が出るばかりになっていた企業は、ぼくの病気を知ると、丁寧なお断りの手紙を書いてきた。三年ほど付き合っていた彼女も、はじめは心配してくれていたが、やがて疎遠になった。ぼくには、どうすることもできなかった。かろうじて大学は卒業して、さまざまなアルバイトと公的な支援で食べて行くことだけはできたが、その間も、医者が予告した通り、ぼくの体重は減りつづけ、そして、ついにゼロキログラムを割り込む日がやってきた。ぼくはドアの外の社会から切り離された。

 口さがない人々に「風船病」と呼ばれたりすることもある浮人症の本当の原因は、まったくわかっていない。ただ、これが伝染性はないらしいこと、遺伝も関係ないこと、そして今のところ不治の病であることはよく知られている。何年にもわたって体重が少しずつ減少するのだが、だからといって外見上はほとんど変化がない。太ろうと思ってたくさん食べると、確かに見た目は太るものの、体重にはほとんど現れないのだ(試してはみなかったが、そうだと聞いている)。ただひたすらに体重が減少してゆき、元には戻らない。

 実は、浮人症の症状としては、本当にただそれだけだ。ぼくが自分の病気に気がついたのは、銭湯でたまたま乗ってみた体重計の数値が不審だったからだが、大学では健康診断なんて受けないから、これがなければ気が付くのはもっと後のことだったかもしれない(そのほうがよかった気もするが)。とにかく、ずっと前から浮人症はぼくをむしばみ、体重を減らしつづけていたらしい。

 しかし、浮人症が本当に恐ろしいのは、体重がゼロになってから後のことだ。浮人症は、ぼくの体重をゼロにして、さらに減らしつづけ、ついにマイナスにしてしまう。重量がマイナスになるとどうなるかというと、体が浮くのだ。地球と反発している、と言ってもいい。戸外に出て、体が浮くにまかせていると、たぶん、どこまでも空を落ちてゆくことになる。そのあとどうなるかは考えると恐ろしいが、大気圏を突破し、地球の引力圏を脱した後は太陽と反発し、さらにその後は銀河系全体の質量と反発しながら、何百万年もかけて何もない銀河間宇宙へと「落ちてゆく」のではないか。

 もちろんそんなことは嫌なので、ぼくは家に閉じこもり、たまに屋外に出るときには、こうして重いリュックを背負う。そうしているうちに、体重はさらに減少を続け(あるいはマイナスの体重が絶対値としては増加を続け)、理論的には浮力に耐え切れなくなって家が壊れるとか、リュックの重量に背骨が耐えられなくなるのだろうと思うが、医者もどうなるかはわからない、とのことだった。そこまで症状が進行する前に、患者の寿命が(他の要因で)尽きるのが普通なのだという。ぼくは笑った。ほかに何ができただろう。

 そういうわけで、ぼくは山道を歩いている。リュックの肩紐が痛いが、その反面、足にはあまり大きな重量がかからないので、それほど苦しくはない。荷物を減らせば足への負荷はさらに少なくなり、ほとんどゼロにだってできる計算だが、質量は変わらないので、体を前に進めるためには、足と地面の間に一定の摩擦力は必要になる。そのために、錘を詰め込んだリュックは、ぼくの現在の体重より、だいぶ重くしてあった。

 どうしてこのような苦行をしようと思うのか、よくわからない。何ヶ月も家にいると、外に出たいという気持ちが押さえきれなくなるのは確かだ。ただ、それなら昔よく行ったように海にでも行けばよいので、山に、それも家から近くのそれほど高くもない山に登る理由にはならないのである。ぼくが浮人症とともに暮らしてきたいくつもの春や秋を、どうして山登りで費やそうと思ったのか、最初のきっかけはなんだったのか。わからない。わからないが、ぼくはこうして、毎年のように山を登っている。

 リュックの重みに耐え、山道を登りながら、ぼくは何度も空想した考えを、またもてあそぶ。このままリュックを下ろして、空に飛び上がったらどうなるだろう。おそらく、その途中でぼくは死ぬだろう。気を失うのが先か、窒息するのが先か、あるいは大気との摩擦で燃え尽きるのか。しかしその過程で、たぶんぼくはすごく美しいものが見られるのではないか。これから長い間苦しみつづけることを思えば、すっきりと、誰にも迷惑をかけることのない死だという気がする。

 おはようございます、という声を聞いて、ぼくは足元に落としていた目を上げた。山道を下りてきた女の人が、ぼくに挨拶をする声だった。女の人、と言っても、ぼくよりだいぶ年上だ。ほとんど「老婦人」と言ってもいいのだと思うが、山登りをするだけあり、ちょっとそういう言葉には当てはまらない感じがする。ぼくは口の中で、もぐもぐと返事をした。その人は、楽しそうに笑った顔のまま、ぼくとすれ違って、山道を下りていった。

 孤独が突然破られたことにしばし呆然としながら、その人のことをなんとなく見送って、そのまま視線を遠くの町の風景に落とす。いろいろ考えながら登っていたら、いつのまにか結構、高いところまで登って来たらしい。まだ水が張られていない田んぼと、そこに点在する小さな家、それからもっと遠くに町が見える。どこからか、濡れた緑の香りがする。

 ぼくは、甘美な空想を振り払い、山道をふたたび登り始めた。背中で弾むリュックが、ぐいぐいと背中を痛めつける。ぼくが歩きつづけるためには、リュックによる重量の中心を、ぼくの体が持つ浮力の中心とちょうど合わせつづけなければならず、もし転んだりしたら、また立ち上がってバランスを取るのは一仕事だ、と知っている。それでも、ぼくは早足で道をのぼりつづける。死にたくはない。そのつもりもない。ぼくは死ぬまで、地面にしがみついていたいと思う。そう唱えながら、ぼくは空を目指す体を山頂へと運びつづける。わかっているのだ。まだ山頂までは、ずっと遠い。


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