ある統計の研究者が、かつて「祈りの効果」ということについて調べたことがある。王族が老いたり病に倒れたりして死に瀕すると、多くの人々が長寿ないし快癒を祈る。もし祈りに効果があるものならば、王族と貴族との間に、平均寿命において有意な差が見られるはずだ、というものであった。貴族は、栄養状態に関しては王族と同じようなものだが、捧げられる祈りの数は相対的に少なそう、というわけである。
結果として、実際には差が見られないどころか、むしろ王族のほうが寿命が短い、だから祈りの効果はない、としていた、ような気がするのだが、考えてみると、王とはいえ長寿と健康を祈られるばかりではない。暗殺の存在は論外としても、早く退位すればいいのにとかなり多くの善良な臣民が願う王だってやはりいるはずで、この国を治めていた国王、ペンブローク四八世もまたそういう王の一人だった。
話は十年ほど前にさかのぼる。当時は父王であるペンブローク四七世の治世で、この国はそこそこの平和と繁栄を享受していた。いつものように領土や資源を巡っての隣国との衝突は続いていたし、収入源である金鉱で起きた大規模な崩落事故により王家の台所は必ずしも裕福とは言えなかったが、この国が何十年も戦争らしい戦争を経験しておらず、豊富でうまい食べ物と珍奇な工芸品の数々を臣民が楽しんでいたのは確かだ。ペンブローク四八世はそんな時代を成長し、突然訪れた父王の死に伴って王位を襲った。
四八世が最初に命じたのは、居城の改築だった。王国の中央に周囲を睥睨しつつそびえたつ王城は、主である王が代わるごとに、少しずつ増築あるいは改築を受け、もはや当初の設計意図は何処にあらんという形に膨れ上がっている。ことに王宮の中央、王座が据えられ特に高くまた広く築かれた天守閣は、外観こそ対称性と比率に気を配った美しいアルゲリア様式の建築物だが、人間の内臓がそうであるように内部構造は複雑かつ怪奇なものになっている。冗談ではなく、道に迷い餓死する侍女が出たほどで、彼女は侍女の生活区からほんの数十メートルのところを死ぬまでぐるぐる回っていたらしい。戻るための扉を発見できなかったのだ。
四八世は、この王宮の全面改築を命じた。そもそも上のような諸事情により王宮はもはや更地にしてイチから築きなおすほかないところまで来ていたのに加え、王宮で一二の歳まで育てられた四八世にとってこの宮が決して良き思い出の場所では「なかった」ということもある。しかし、もっとも大きな原動力となったのは、当時王国で発見され大流行していた「電気」という新たな科学的知識だった。
「王よ」
と王の教育係であり偉大な予言者でもあったリサ・エ・ガスパール博士は言ったものである。
「電気こそ、王国の未来をひらく基幹技術となりましょう。すべては電気になります。馬車も蒸気車もすべて電気に取って代わられます。ランプの明かり、工場の煙、人々が日々のパンを焼く炎さえ、最後は電気に変わってゆくことでしょう。人の声や手紙さえ電気に乗せて運ばれるやもしれませぬ。電気こそ世界を支える基本的な力、そして王にもっともふさわしい力となるのです」
実際のところ発見されたばかりの電気がそこまでの力を持つようになるとはガスパール博士も信じてはいなかったが、若い四八世はこの考えを全面的に信じ、新王宮の基本設計に取り入れることを決めた。それはもう断固として決めたので、四六世のころから王家に仕えている大臣達も何も言えずただ髭の端を噛んでいるしかなかった。王の庇護を得たガスパール博士を中心とする王立電気アカデミーは、最新の知識と技術をいかんなく発揮し、また国内外から雇い入れた何百人もの英才の汗と涙を研究と新たな知識の発見に費やした。王宮の改築は、十年の歳月と毎年の国庫のおよそ九分の二を費やす大事業となり、その間に百人を越す事故死者および自殺者および行方不明者を出しつつ、ついに完成の日を迎えたのである。「高電圧の王座」がその名前だった。
「王よ」
と落成なった新王宮の図面を前にガスパール博士はふたたび言った。
「ここが王の居室でございます。塔の頂に設けられ、周囲からはこの」
と博士は図面に描かれた黒く太い線を指す。
「絶縁部によって電気的に絶縁されております。この絶縁部は王宮の土台でありますこちらの基礎を含め、全部で三五も設けられております。地上より頂に至るには、どのような道を通ろうとも、すべて、最低三五の絶縁部をまたぎ越さねばなりません。次に」
博士が指したのは巨大な建造物の中央を貫く巨大な帯だった。帯は、塔の頂と地上を結び、その間を広い幅を持つ絶縁体の帯が回転するようにできている。
「こちらの帯こそ、王立電気アカデミーが誇る研究陣が発明した『電気帯』にして、この新宮を世界唯一のものとする秘密にございます。この帯が、およそ一時間に二四〇回転いたしますが、帯の回転に伴って、電気が下から上へと運ばれます。そしてこの」
博士はぴしり、と図面の一点、塔の頂を指す。
「王とともに、この王座を、無類の電圧に押し上げるのです。かつて人類が到達したことのない、高電圧の高みへと」
王は大いに満足し、ガスパール博士と王立電気アカデミーを新王宮に呼んで、三日三晩続く祝宴を催した。王国が手に入れられる限りの美酒や、山海の珍味、王国一の踊り子や道化師たちを集めた豪華な祝宴だったという。そしてそのあとで王は、この素晴らしい発明物をよそで決して作られぬよう、博士らをまとめて地下牢へ放り込み、幽閉した。王はそれから数年かけて、かれらをさまざまな方法で結局は獄死させてしまった。
さて、ところで、ガスパール博士がかつて言ったようにはならなかった。電気は王国の独占とはならず、アカデミーの、死の祝宴から逃れ得た数少ないメンバーを中心として、そしてまた、王国とはまったく独立に行われた研究により、電気に関する知識は再発見され、あるいはさらに先へと進んでゆき、世界に周知されていった。一方で、高電圧の王座は依然として王国にそびえ立ち、蒸気機関によって回転される帯とともに、設計どおりに電気を王座へと運びつづけた。その高電圧により、王宮は夜ごとに妖しい光と刺激性の香りを放ち、補給される反面いくらか逃れつづける電気によって、雨の日などはじりじりという音まで聞こえるほどであったという。王はその塔に座して完全に満足していた。ある発見が、王国にもたらされるまでは。
隣国を含む、多くの国において発見され、やがて整合が取られ、定められ、完全に定着した定義によれば、すべて物質は原子によって作られており、その原子は負電荷の周囲を正電荷が旋回している、となっていた。そしてガスパール博士が設計した高電圧の王座において、日夜せっせと地上から王座へと運ばれ、蓄えられている電気の正体は、ほかならぬ負電荷であった。すなわち、ペンブローク四八世が築いた巨大な器械は「世界最高の正電圧の高み」ではなく「世界最低の負電圧の低み」へと王座を押し下げるものでしかなかったのである。
もちろんこれは定義だけのことだ。しかし、周囲の祈りが通じ、四八世が次代にその王座を譲る日まで、高電圧の高みにいてさえ、王の気分が晴れることはついになかった、という。