以前から自分には若さがない、新しいことにどんどんチャレンジしてゆく若々しさがない、と思っていたが、三五歳という小節を迎えるに至って、わずかながら存在していた最後の輝きさえますます損耗してゆくのを感じている。端的には、情報通信関係の用語や概念に本当に疎くなった。確か二十代の頃は周囲のパソコンの管理係みたいなことをしていて、それなりに最新技術にもついて行けていた気がするのに、最近はもう、自分がいつも使っている十個ほどのアプリケーションの外には一切出ないような人間になってしまっている。
ソフトウェアは果たして「個」で数えるのかという問題もあるが、その十個のソフトも、買ったパソコンに最初から入っていたアテガイブチか、そうでなければまだ二十代だったころに買ってずっと使っているものである。しかも、滅多に使わないプリンター等を繋いであれこれやっていると、我ながらみるみる機嫌が悪くなってゆくのを感じる。つまり、もしかして私はパソコンが嫌いなのではないか。まったく、若さというものがないのである。あとほんの十年もすれば、課の若い者を自分のパソコンの前に呼びつけて、インターネットへの繋ぎ方を教えてもらうくらいに落ちぶれると思われる。
最近、企業や官公庁からの情報流出に関して「Winny」というソフトがよく報道されているが、これについても、いまさらながら自分は世間にまったくついていけてないと思い知って、かなり悄然としている。言ってはなんだが、テレビや新聞の報道に接して、なるほどそういうことか、と思ってしまうのは、つまりこれは客観的に見て相当遅れているということである。現に、自分が比較的詳しい他の分野なら、一般向けの報道に対して「その説明はいい加減すぎる」とか「間違ってはいないけど簡略化しすぎ」等と、なにかしら文句が出てくるのだ。それが何だ。これに関しては「ほほう、なるほど、それでわかった」である。なあにが「なるほど」かっ。大西三五歳。早くも戦う力を失ったのか。牙も爪もなくしてしまったのか。立て。立って戦うんだ私。
と、以上のように思い直して、詳しそうな人に質問をぶつけてみた。いかに私でも、Winnyが日本独自のファイル交換ソフトで、ピアツーピア(カッコよく「P2P」と書いたりするアレ)の技術を使って大きなファイルを効率よく交換でき、しかもかなりの匿名性が確保できるので、非合法なファイルの交換に最適、というくらいの予備知識はある。しかし、本当にそれだけなのか、ある程度「まっとうな使い道」というものがあって、自分のパソコンにインストールしていても「私は合法的な使い方をしています」と言い訳ができるものなのかどうか、そのへんをぜひ知りたいと思っていたのである。報道でも、そのへんはけっこうぼかして書いてある気がするし、書いてあっても「実際に使っている人の感覚」と報道はズレがあるかもしれない。
いただいた答えとしては、いや、答えというより、いかにも誰も直接はっきりとは言わないのだが、総合的に判断するに、どうやら「合法的な使い方なんてない」ということのようである。インストールしているだけでは非合法とは言えないのだろうから、他人には絶対に見つかりたくない、というほどでなくとも、相当開き直らない限り、上司や婚約者(の親)などに広く周知されたくはない類の趣味である、らしい。単純に、悪いことにしか使えない道具、と考えて、それほど間違いではないのかもしれない。
私自身あまり利害関係がない(どこかで情報流出の被害にあっているかもしれないが)ので、この問題全体を見る目がいささか不謹慎なのだが、上の推測が当たっているとして、他に類をあまり見ない、面白い存在であるのは確かである。たとえばメールソフトなら、みんな使っていてなくてはならないものだし、ウィルスなどの警告もよくされているし、使い方のルール(添付ファイルは開いてはいけないなど)を定め守らせるのも比較的簡単である。ここがWinnyは違う。他人に知られてはいけない趣味に関しては、どうしてもセキュリティ意識が希薄になると思うのである。
たとえば「書類は持ち出し禁止」「システムは定期的にアップデート」というような細々とした取り決めがあったとして、Winnyを使っている程度の遵法意識の人がそれを守るものだろうか。麻薬を注射したあと、使った注射針はきちんと医療廃棄物として処理してね、とか、飲酒運転のときはスピードを控えめにシートベルトも確実に、という啓蒙活動と同じようなむなしさが確かにある。隠れて吸ったタバコでトイレが詰まったり火災報知器が作動するような話にも似ていると思う。
そういう意味では、これに「本来の使い方」をつけて開発しておかなかったのは、ちょっと近視眼的だったのではないかなあと、素人目には思う。あるべき本来の使い方がどのようなものかと聞かれたら困ってしまうが、たとえばWinnyのおかげで命が救われた人がいる、まで行かなくても、なにか堂々と「仕事で使ってますので外せません」と言えるものならば、禁止命令にまっとうな理由を挙げて反対できるし、ユーザーのセキュリティ意識をもっと高めることは容易だろうし、だいいち官房長官にまであれこれ言われないで済んだと思うのだ。
言い訳というのは大切である。言い訳がないばっかりに、現状では風潮に抗して「Winnyは使っていいんだ」とはなかなか主張しにくくなってしまっている。「Winnyが悪いわけではなく悪いのはウィルスである」「Winnyを支える技術は悪でも善でもない」「Winnyを禁止しても情報流出はなくならない」などの主張はできるが、Winny本体に善用の可能性がある場合と比べると、いかにも苦しい主張になってしまう。これからどうなるかは予断を許さないが、そういうわけで、愛好家の声にならない悲鳴を圧して、Winnyにとっての世界は少しずつ住みにくいところになってゆき、最終的にはどこかでとどめを刺される、というようなことになるのではないか。いつか、正当な使い道もある「言い訳を装備したWinny」が出てくるとして(それがどんな言い訳かは想像できないが)、その日までは。
と、ここまで書いて気が付いたが、自分にはほとんど関係ないこういうことに首を突っ込んで、あるべき姿や将来像まであれこれ心配するというのは、まったくの「老婆心」というものだ。Winnyが最新の話題であるかどうかという辛い指摘を別にしても、これでは若さがないといわれても仕方がないのではないか。大西三五歳。老成するにはまだ早い。